京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

乞食行

2023年01月10日 | 日々の暮らしの中で

ブォー ブォ~ン
前方からほら貝の音が近づいてきた。
8日から始まったと聞いていたが、聖護院門跡の寒中托鉢修行の山伏一行4人さん。
ほら貝は3年ぶりの再開となるのではなかったか。
見送ると、足並みは速歩! 速いこと速いこと。ぐんぐん遠ざかる。しばらくは、ほら貝の音が聞こえていた。



京都東福寺での修行体験をもとに書かれた絵日記風の画文『雲水日記』を開いてみた。著者は病を得て、昭和42年に47歳で亡くなっている。
托鉢について…。

【はじめて「東福僧堂」と染め抜いた看板袋をかけさせられ、雨雪を問わず素足に草履がけで、「ホォー」「ホォー」と連呼しつつ、路地から路地を喜捨を求めて歩くことは、まだ生意気盛りの娑婆っ気が抵抗し、恥ずかしさいっぱいで満足な声は出ぬ。

しかし、こうした間にもありがたいもの、古参新米の区別なく一様に喜捨を受けていると、いつか心は大気のようにさわやかになり、卑下の心も増上慢も地に捨てて托鉢専一となる。
施す者も受ける者も一面識なく名もわからぬ。ただ合掌。何のこだわりもなくやがて水の流れる心境になってゆく】

「施すも無心。受くるも無心」
市中の人々に布施離欲の機会を与え、一方、自分の忍辱没我の修行のために行われるところに托鉢の大きな意義を見いだし、まさに「自利利他円満の行」だと言っている。


「仏の教え給う趣は、事にふれて執心なかれとなり。」(『方丈記』)
私たちは、どうしても自分を中心としたものの見方に執われてしまう。些細なことで自分を卑下したり、他人を見下し優越感を抱いたり。
「こうあるべきだ」「こうでなければならない」と決めつけないで…。
うーん、良く味わい、考えてみようかな。
コメント (4)
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