Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

タジキスタン周遊 19 サリタシュ~オシュ

2013-10-27 17:15:02 | 中央アジア
8月17日

早朝のサリタシュ、とても寒いが朝は電気が来ないらしく、やっぱり部屋の電気ストーブは使えない。
 
朝焼けの雪をかぶった山々が美しいが、気温は5℃くらいだろうか。牛さんたちが勝手に出勤していく。

 出発の頃には空がきれいに晴れ、矢印の山がタジキスタンとキルギス国境のレーニン峰、7134mと確認する。

羊さんたちを追い抜いて最初の峠へ。
  

 タルガット峠は3485m。
 
タジキスタンやアフガニスタンの岩山に比べ、キルギス側の山は緑の草に覆われてそれだけで豊かな感じがする。今まで見なかった馬の姿も急に増える。

峠から降りてくるとユルタも増える。ということで添乗員がまたアポなし訪問を提案。
 車を止めた途端に駆け寄ってくる子供たち。
言葉は通じないが、どうも「家に寄ってお茶を飲んでください」と言っているらしい。

こちらがお邪魔したユルタ。観光用でもなんでもない、ほんまもんだが
  
 
実際に使われている袋やお椀の収納紐が何とも素敵。
 
家の裏にはまだお出かけ前の羊たち。
  キルギス族もホスピタリティでタジク族に負けない。
 お隣さんはこんな客車にお住まいだった。

 
気持ちのいい景色の中、中国が整備しているらしい道路は快適。

 本日2つ目の峠は2380mのチェルチック峠。
 
ここにあるユルタではクムスという馬乳酒を売っている。
  
ということで我々も試飲。左のような皮袋に入れて撹拌するので表面には皮の屑が浮かび、鼻を近づけるとまるで鰹節のような燻したにおいがする。ヨーグルトを薄めたような酸味で、アルコール探知機の自分でも飲めたのでたぶん度数は1、2%だろう。決してまずくはない。

この峠を越えてどんどん標高を下げ、お昼に到着したキルギス第二の都市オシュは1030m。
 気温は30℃を優に超えて、また暑いところに戻ってきた。
  
久しぶりに見る「都会」だ。
 
このオシュではほんの3年前に暴動があり、その知識のせいか精悍なキルギス人の風貌のせいか、タジキスタンではまったくなかった緊張感を感じる。あるいは単に田舎から都会に来たせいかもしれないが。

昼食を食べてからこの町のバザールを見学。
 
これまた久々に見る大勢の人でにぎわう大きなバザールだが、屋内市場はコンテナーの転用らしい。
 
衣類やら食品やら商品が豊富。
  
帽子からコート、長靴まで、キルギス人らしい衣装もすべて揃う。
 子供用教科書の、これはキルギスの偉人達だろうか。
 
穀物も野菜も、パミール高原から来るとなんと豊かなことか。

キルギス滞在はこれで終了。
ウズベキスタンとの国境はオシュの町はずれにある。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 18 マルガブ~サリタシュ

2013-10-24 19:09:48 | 中央アジア
8月16日

朝、窓からホテルの裏を眺めていると羊さんたちが出勤の準備中。

あちらの家から5頭、こちらの家から10頭と、まるで幼稚園児の通園のようにお母さんが連れてきて、羊飼いに預けると帰っていく。みんな集まったら放牧に出発というのが見ていてとても面白い。

 マルガブ周辺の山は昨夜雪が降ったらしく頭が白い。
 この方角には天気が良ければ中国領のムスターグ峰(7546m)が見えるはずだが、滞在中一度もお目見えはなかった。

パミール・ハイウェイを北上するうちに次第に天気は回復。
 
出発2時間で今回の最高所、4655mのアク・バイタル峠。

 
荒涼とした景色ながら道路脇にはマーモットが顔を出し
 
延々と続く道路の脇を鉄条網のフェンスがこれまた延々と伸びる。このフェンスの向こうは中国側国境との緩衝地帯なのだそうだ。

やがて左手に大きな湖が見えてくる。

タジキスタン最大のカラ・クル(黒い湖)は中央アジア最高所、3914mにある。
 近くに寄って見ても水は青く、黒くはない。

 湖畔には村があり、ここでお茶と昼食休憩。
 
宿泊所でもあるこちらで出してもらったさくらんぼジャムがおいしく
  
お兄ちゃんは甲斐甲斐しくお手伝いをしていたが、妹はひたすら愛嬌をふりまく。

次の停車はカラアート遺跡。
 
古代の遊牧民サカ族の墓地だと言うが、これは本当に遺跡なのか。

 道はまた昇りになり、このヤクの看板を過ぎたらタジキスタンの国境事務所がある。ガイドさんがすべてすませてくれた出国には30分かかったが、キルギス国内も同じガイドさん、ドライバーさんたちが案内してくれる。

事務所の先にあるのが4282mのキジルアート峠。
  
これでいよいよタジキスタンとはお別れだ。

 峠を越えて道はぐんぐん下がっていくが、キルギス側の入国事務所まではなんと20kmもあり、45分かかった。
その入国事務所でも車内待機だが、終了まで1時間。
タジキスタンに比べて兵士の装備がこころなしいいのが印象的。

峠道を下りきると道は平たんになるが、標高はまだ3000m以上ある。
 
その証拠に草原にはヤクがいる。

やがて旧ソ連が残したという白いドーム(レーダー?)が見えてきたらそこがサリタシュの町。
 
 
標高のさほど違わないランガール村と比べて寒く、まわりの家々では牧草や燃料を積み上げて冬の支度をしている。

 今夜の宿はこちらの一軒家。
 
小奇麗な家ではあるのだが、トイレは戸外のボットン便所、夜は電気ストーブがありがたいほど寒くて、しかし電気は9時ごろ消えてしまった。
 


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 17 マルガブ

2013-10-22 17:16:49 | 中央アジア
8月15日

暖かいベッドでしっかり一晩眠り、翌朝にはなんとか復活。

  
ホテルのキルギス族は顔が似ているせいだろうか、みんななんだかとても愛想がいい。

 ホテルの前の広い道を渡って、徒歩で町の観光へ。
 観光案内所があるのでここがマルガブ銀座だろうか。案内所の扉は固く閉ざされていたけど。 

町はずれの草原の中に建つのはかわいらしいモスク。ユルタのような形が独特だ。
 
  
我々の姿を見かけて駆け寄り、鍵を開けてくれたのはこのモスクの指導者の息子。自分も父親の跡を継ぎたいというとてもまじめそうなキルギス族の少年はタジク族の友達と仲良しだ。


モスクから一望できるマルガブの町。

この町で他に見る物と言えばバザールしかない。
 まるで駐車場か資材置き場のようだが
 
それもそのはず、店はすべてコンテナの再利用だ。

 
雑貨類はすべて中国製と思われるが
 
お菓子などパッケージされた食品類は旧ソ連各国から来ているよう。
 
新鮮な野菜類はほとんど見当たらないが、
  
 
ここだけはしっかりした建物内で売られている肉類は新鮮そうだ。新しいお肉も歩いているし。

町や市場を歩いていて目につくのは独特のキルギス帽。
  
 
年配のキルギス族は100%の着用率。もちろん市場でも売られている。
ここはもう基本キルギス族の土地なのだ。

何も買うもののないバザール見学の後は、これまた町はずれの「ヤク・ハウス」へ。
フランスのNGOが地元経済の支援のために作った施設で、ユルトのような形の建物の中にクラフトショップがある。かわいいものがたくさんあるが、写真を撮り忘れたのは買い物に夢中になったせい。なにしろタジキスタンではお金を使うところがほとんどないのだから。
 と言うわけでここでの戦利品はランチョンマット(2枚で30ソモニ)、携帯ケース(16ソモニ)、それにお尻の大きな羊さん(22ソモ二)。
支払いは米ドルでもできるが、換算はすべて切り上げでおつりは出ない。

午後は郊外にまた岩絵を見に行くとのことだったが、本調子ではないのでホテルに残って共同シャワーでゆっくりお湯を浴びた。
なにしろ町で唯一のホテルらしいホテル、日本人にフランス人、イタリア人で満室なのだ。

そして夜には夕食後に地元の「音楽家」が来て楽器の演奏と歌を披露。
  
お姉ちゃんが弾いているのはコムスというアンズの木で作った3弦の楽器。ボディガードの弟はアコーディオンを持っているが、どちらもうまいとは言えないレベル。
それでも我々の部屋の音楽を聴いて他の外人グループからもお座敷がかかった。
少しはお小遣いになればいいね。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 16 パミール高原へ

2013-10-21 15:31:23 | 中央アジア
8月14日

今朝の起床は5時半。タジク時間ではまだ4時半だが、これから向かうパミール高原は1時間早いキルギス時間で動いているので、まだ真っ暗な中、懐中電灯の明かりで支度をする。

ランガールを出てしばらく行くと深い谷がアフガニスタンの奥へと続いて行く地点がある。
  
これこそワハーン山脈とヒンドゥークシュの間を中国へと続く本来のワハーン回廊。緑の谷がちらりと覗いたが、タジキスタン側からはワハーン山脈に遮られ、その山さえ今日は天気が悪くて雲がかかっている。

 荒涼として悪路が続くが
 
対岸には馬で荷物を運ぶ人も見える。どこからどこまで、何を運んでいるのだろうか。

やがて道はパミール川を離れ、北へ向かう。アフガニスタンとはとうとうお別れだ。

標高2800メートルだったランガールからパミール高原へと上る道。
途中の検問所あたりからは雪になってすごく寒くなってきた。
 検問所自体は撮影厳禁だが、こんな荒涼としたところに駐在する若い兵士たち、ご苦労なことだ。
 だらだらとしたのぼりで何の標識もないハルゴッシュ峠は4344メートル。ここも真っ白。

この峠をすぎ、ランガール出発から3時間半でホルグからまっすぐ東に走るパミール・ハイウェイに合流。
 
予想より悪くなかったとはいえ、未舗装の川沿いの道から曲がりなりにもアスファルト舗装のハイウェイに入って運転手たちはうれしそうだ。

行程は右手のはず、と思っていると車は左手に向かい、少し先で脇道に入って小さな村に着いた。
 
子供たちが遊んではいるが、なんとも荒涼とした村。ロンプラによれば「タジキスタンで一番寒い村」とか。
  
この家の一室を借りてインスタントラーメンの昼食となったが、毛布を掛けたゆりかごに眠る赤ちゃん、この子の両親も出稼ぎだろうか。

  
村の近くにはブルン・クル(山の中の湖)。

村を出てハイウェイを東へ向かえば
 
トゥス・クル(塩の湖)、サシク・クル(くさい湖)と高原には湖がたくさん点在する。

 中国からのトラックが止まるというアリチュール村は西チベットの漢族の村を思い起こさせる。

その先にある小さなアク・バリクの泉は聖なる泉。
 
真っ青に澄んだこの泉の魚は取ってはいけないのだそうだ。

しばらく行くとまばらな草原にユルタが見えた。
 ホームステイの看板が出ているのでちょっと立ち寄ってお茶をさせてもらう。

ユルタとはキルギス族の遊牧移動テント。
 
  
 
木組みの上にフェルトをかぶせているが、近くで見ると独特の装飾が美しい。
 茶わんを重ねてひもで吊った収納も素敵だ。

  
おいしいパンとカイマックに感激していると
 
子供たちがおずおずと入ってきた。イラン系でエキゾチックなタジク族とは明らかに違う、なじみ深いモンゴル系のキルギス族の世界に入ったことを実感。
 お母さん、お茶をごちそう様。

  
やがて羊をたくさん連れたキルギス帽のおじさんに遭遇すると、その向こうに広がる町が今日の目的地、標高3560メートルのマルガブ。

少しづつ標高を上げてきたし、3600メートル程度の高地は何度も経験があるので甘く見ていたら、峠での寒さが災いしたか、具合が悪くなってしまった。
  
今日は幸いにしてホテルの個室、夜はお茶をもらっただけで早々と寝てしまった。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 15 ランガール

2013-10-10 18:55:00 | 中央アジア
8月13日 続き

ヤン村を出てすぐに今度はヴァンと言う村がある。

この村の裏手の岩山をよじ登ると
  
4世紀に作られたという仏塔と、まわりには修行僧のための洞窟の跡が見える。


同じような景色ながら、ここも眺めが素晴らしく
  
眼下の畑がきれいだ。

 パミール川とワハーン川が合流してパンジ川になる地点を過ぎれば次の宿泊地ランガール。
ヤン村からいくらの距離でもないので午後3時半には着いてしまった。

今夜の宿はヨドゴールさんの家。
 
細長い建物の手前に家族の部屋、奥に宿泊のための部屋があり、水洗トイレも完備。
 
パミール式の大きな部屋を4人に割り当てられたので四方に一人づつおさまった。

一休みしたところでランガール村の散策へ。
  
標高2800メートル、人口2000人弱の静かな村。
 
おばあちゃんはちゃんとパミール帽をかぶり、ビーズのチョーカーをしている。

この村は昔から中国とインドの通商ルート上にあり、そのため多くの人が行きかって岩に落書きを残し、古いものは青銅器時代までさかのぼる岩刻画が6000近くも残っている、と誇らしげな碑文があるのだが
 どれがいつの時代のものやら、最近彫られたらしいキリル文字の落書きも多くてかなり残念な状態。

村の中でまたアポなし家庭訪問をさせていただくことになった。
 
伝統的な作りの室内は家具もほとんどないがとてもきれいに整えられていて、突然の来訪者を招き入れることなど考えられもしない我が家とは大違い。
しかし明治時代に日本を訪れた外国人は畳の部屋に同じような感動を得ていたことを思い出す。
  
ところでこの家の住人はおじいちゃんと赤ん坊を抱いたおばあちゃん。あとは近所の人だが、このあたりではどこでも隣人が我が家のように出入りするので誰が家族だが紛らわしい。
で赤ちゃんの両親はというと、子供を祖父母に預けてロシアに出稼ぎ中とのこと。
中央アジア最貧国のタジキスタンではよくある話で、しかも出稼ぎ先ではロシア人に暴力を振るわれることも多いとか、なんだか中国奥地の農村地帯とそっくりだ。

ランガール村にも電気は来ているが、夕食時から停電して朝まで点かなかった。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 14 ヤン村とビビ・ファティマ温泉

2013-10-09 18:26:11 | 中央アジア
8月13日

朝、宿の息子に案内されてヤン村を散歩。
  
村の中は風よけのためだろうか、家はもちろん、畑もすべて石塀に囲まれている。

ちょっとした広場に面した白い壁はムバラキ・ワハーニー博物館。
 ムバラキ・ワハーニーとは19世紀末の神秘主義者、天文学者、詩人だったという地元の偉人で、宿のオーナーはその子孫にあたるとか。
  
内部にはワハーニーの資料と、あとは民俗博物館のような展示物がある。
   
ワハーニーが作ったという人型の楽器の説明をするのは博物館の管理人、首が2つある楽器を弾いて見せたのはワハーニーの子孫たる宿の息子。
 初めはまじめくさっていた管理人のおじちゃん、だんだん調子が出てきてこんなポーズまで決めてくれた。

村を一回りしたら荷物は宿に置いたまま、車に乗って道をちょっと戻る。
  
村はずれの草地ではお姉さんたちが山羊の番。
  
月光仮面スタイルのお姉ちゃんを撮っていたら山羊にガン飛ばされた。

この先でパンジ川沿いの道を外れ、段々畑など見える山道をぐんぐん上がって行く。
 

やがて見えてくるのは12世紀のヤムチュン砦。
  
 崩れてはいるがまだ砦らしい壁の跡が見える。

砦の対岸の景色も素晴らしい。

ここからさらに山道を行くと白い建物が見えてくる。
 
これが今回の旅2つ目の温泉、標高3155メートルにあるビビ・ファティマ温泉。
 
入口の壁には成分表らしきものがあり、白衣を着た係員などいて温泉療養所らしい。ここの浴場は一つしかないので男女は30分づつの交代制。
  
建物は岩の間を流れる激流をまたぐ形で建てられている。到着するとちょうど女性の入浴タイムだったので早速中へ。

内部は川をまたいでいる部分が更衣室になっており、ベンチと壁に荷物掛けの釘があるだけのシンプルな造りながら清潔。地元のおばちゃんやらお姉さんたちで大にぎわい。
でここで服を脱いで、階段を10段ほど降りた先は洞窟のようになっており、10人ほどでいっぱいになる浴槽には岩肌からお湯が滝のように落ちている。
 この写真はネットから拝借したのでムサイおじさんたちが入浴しているが、実際にはきれいなタジク人のお姉さんたちも裸で入浴中

お湯は無色透明でにおいもないが肌に柔らかく、温度は40℃ほどの最適温。
滝のところではおばちゃんたちが肩や腰にお湯を当てていて、こっちの人も打たせ湯をするんだ、とうれしくなる。
滝のお湯を飲んでいる人もいるので真似してみると、これまた癖がなくとてもおいしいお湯。

さらに岩の壁には穴が一つあって、中の小石を拾うと子宝に恵まれると言われているそうな。
手を伸ばしてもまったく底には届かず、「それじゃ無理よ」と言うガイドさんがよじのぼると穴にすっぽり入ってしまった。アメリカ人と婚約中のガイドさん、これで子宝はばっちりだ。

ガラム・チャシュマの硫黄泉もよかったが、ここのお湯もすばらしく、タジキスタンの温泉にぞっこん。
本当ならこのコースでは3つの温泉に入れるはずだったが、もう一つの温泉はがけ崩れで今年は行けなくなってしまったとのこと。残念!

男性陣と交代をして、待っている間に管理人室を覗くとビスケットや缶詰と一緒にちょっとしたお土産を売っている。
 刺しゅうを施したパミール帽は平べったいのが女性用、高さがあるのが男性用。
 ワハーニー博物館でも売っていたビーズのチョーカーは上の2つをお買い上げ。

とすっかり温泉を堪能し、昼食のために宿へ戻る。
すると我々に慣れたらしい宿の孫娘が弟を引き連れて歌を歌い始めた。
 お姉ちゃんの言いなりの弟がかわいい!
 やさしいおじいちゃん、お世話になりました。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。  
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 13 カライ・カハカ~ヤン村

2013-10-04 17:15:42 | 中央アジア
8月12日 続き

温泉を出て、イシュカシムを通った次の観光はカライ・カハカ要塞。
  
紀元前3世紀ごろ、クシャン朝の時代に作られたという要塞はいつものごとく岩と土の塊だが、わざわざこの上に上るのは
 すぐ目の前がアフガニスタンだから。
実はこの要塞の川側には現在も国境警備のタジク軍が駐留しているとのことで、その姿は見ないように観光しなければならない。

この要塞からちょっと歩くと道路脇にマルコポーロ・シープの角を飾った塚と門が現れる。
  
  
門の中には小さな祠があり、これは預言者マホメットの義理の息子アリーがここを訪れたので聖地とされているのだそうだ。

再びパンジ川沿いに走ると対岸には珍しく車が走っている。
 ロバしか通れないと思っていた細い道、車も通るんだ!

やがて対岸の岩山の間に雪をかぶった山々が覗くようになった。
  
これぞ7000メートル峰をいくつも擁する「インド人殺し」のヒンドゥークシュ山脈。

さらに前方にはタジキスタン側の高峰が見えてきた。
 一番高い白い峰がカール・マルクス峰(6723m)、その右の黒い三角がエンゲルス峰(6507m)。
ちなみにタジキスタンで一番高い山は7495mのイスマイリ・ソモニ峰。こちらはソ連邦時代のスターリン峰、コミュニズム峰から独立後に名前を変えられたそうだが、マルクス、エンゲルスはそのままらしい。

 
日も傾いた17時半、痩せ牛を連れた村人たちと一緒に今夜の宿泊地、ヤン村に到着。
 
 この門の奥がハイダルさんの民宿。

  
中庭に面したポーチは一段高くなって絨毯が敷かれ、ここでも宿泊可能。その脇の扉内に2部屋ほどあり
  
さらにその奥の新館にも大小4部屋とシャワールーム。
  
いろいろな野菜の植わった中庭に面したトイレは水洗で、ほかに洗濯室まである。
 ポーチの奥は家族の居室で、立派な冷蔵庫の備わった台所もあり
 
一番大きな部屋はやはりラテルネンデッケ天井のパミール様式。
 
 民宿とは言え快適な宿でゆっくり休めたが、さすがに標高2700mのここまで来ると夜は寒くなった。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 12 ホルグのバザールとガラム・チャシュマ温泉

2013-10-03 18:15:52 | 中央アジア
8月12日

 本日も快晴。
  
ホルグの町はずれには橋があり、これを渡ればアフガニスタン。対岸はこのあたりでは一番大きな町のようで、夜もぽつぽつと明かりが見えた。

ホルグにはアフガニスタンの領事館もあり、ここで申請すればビザはわりに簡単に取れるらしい。川の両岸に住んでいるのは同族だし、探せばきっと対岸での移動や宿泊を手配できるエージェントがいるにちがいない。
わくわくしながらそんなことを話していると、タジキスタン人のガイド曰く「私も対岸に行ってみたい。でも最近カナダ人の旅行者が個人で入国し、奥まで入り込んで殺されてしまった」とか。川のこちら側から眺めている分には平和そうなんだがなあ。

町の中心にあるバザールへ。
 
ホルグは広大なゴルノ・バダフシャン州の州都なので、ごちゃごちゃしているが一応の活気はある。
   
屋根付き食品市場の中はきれいだが、辺境とあって野菜類はこれまでに比べてぐっと種類も量も少ない。
その代り作りたての乳製品を売っているおばちゃんたちが何人もいて、カイマックがおいしそうなので少し買ってみたが、暑さで味見をする前に溶けてしまった。残念。
 
お肉の搬入もこのワイルドさ。
 パミール独特のアクセサリーや手編みの靴下を売っているおばちゃんも一人だけいたが 
  
いろいろ売られている日用品はパキスタンから入ったものだろうか、ロシア語や中国語ではなかった。

離れる前に高台からホルグの町を一望。

眼下を流れる川はグント川、これもすぐにパンジ川に合流する。

 
そのパンジ川沿いを今日も走る。

ホルグを出て46キロ、次に立ち寄ったのはガラム・チャシュマ。
 
ここはタジキスタン有数の温泉保養地で、左手の塀の向こうが温泉、右手の木立の中には立派なサナトリウムが建っている。

今回このタジキスタンのツアーに参加したのも、もちろんワハーン回廊が見たかったのが一番の理由だが、この温泉がいいと聞いたのも大きかった。
なにしろ塀の向こうからのぞく大きな抽出物の下には、こんな露天温泉があるのだ。
  温泉の写真は絵葉書から

しかしこの魅惑的な露天風呂には一つ問題があって、裸で入るこちらの温泉、男女は時間ごとの入れ替え制。
で10時半に到着してみるとなんと、
 女性の入浴タイムは終わったばかりだった。え~ん 

ただ幸いにしてここには男女別の内湯もあって、こちらはいつでも入れるというので、露天は男性陣に譲って内風呂へ。
 この緑の屋根の下、こちらが女湯、反対側が男湯の入り口。
  
中に入ってみると片側にはベンチ、反対側には10人ほどが入れる大きさの浴槽があるだけというシンプルさ。
しかしお湯は薄青く白濁し、硫黄のにおいがプンプン。向こうの穴から入って下に落ちる完全かけ流しで、43、4℃と熱いので長くは入っていられないが、噂にたがわぬ素晴らしいお湯。
浴槽の底には沈殿物も少しあったが、露天の方ではこれを体に塗っていたとか。内湯の方には残念ながらそこまで溜まっていなかった。

露天も入ってみたかったが、内湯好きなのでこちらにも大満足。
後ろ髪引かれつつ、飛騨高山の温泉に入ったことがあるというイタリア人のお姉ちゃんたちと交替。

この素晴らしい温泉、外国人の入湯料は20ソモ二(約400円)だが、地元民はなんと無料とか。
ここで1週間ぐらい湯治がしたいものだが、しぶしぶ1時間ほどで引きあげた。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 11 カライクム~ホルグ

2013-09-27 18:55:07 | 中央アジア
8月11日

夜はいささか寝苦しかったカライクムも朝の気温は22℃ほどでさわやか。
朝食の用意ができるまで村をちょっと散歩してみる。

 
宿の前の道をちょっと行くとT字路。人がたむろっているのはホルグ行きの車を待っているのだろう。橋の下を流れる川はパンジ川にそそぐ。 
  
カライクム銀座を歩きちょっと路地に入ると柔道場を発見。こんなところにまで普及しているとは、大したものだ。

今日も一日パミールの中心の町ホルグまで、アフガニスタンとの国境をパンジ川に沿って240キロ走る。
 川幅は狭くなったり

広くなったり。川の流れが緩やかなところには見張り塔があるが、ほとんどのところでは急流なので長い国境線をすべて監視しているわけではなさそうだ。

  
  
対岸はほとんど灰色の岩山が続く景色。それだけにその間に点在する緑の村がまさにオアシスのよう。

  
川幅の狭いところではコンデジでも望遠で家の様子が見え、人の姿も見える。
  
例の青いブルカをかぶったお母さんたちも見えるが、村の中では背中にたらしている。
 
川辺には遊んでいる子供たちや、水浴びをする親子の姿も見え、こちらから眺める限りは平和な田舎の村の風景だ。
 
途中にはロバで移動する人の姿も見えて、く~、やっぱりアフガニスタン、行きたい! 

タジキスタン側では途中の小川で水浴びをしている子供たちに出くわした。
 
バシャバシャ泳いで、体が冷えたら熱い砂の上に寝転んで気持ちよさそう。
 でもちょっと育つとやっぱりこうなる。

しばらく行くと一台の車の調子が悪くなり、修理のために止まってしまった。
 周りには牛と羊しかいないようなところだが、しばらくすると子供が寄ってきた。
これ幸いと捕まえて、またアポなし家庭訪問を依頼する添乗員。

子供について行くと庭先でお母さんが働いていた。
 大きな石で粉にしているのはアンズの種。これにミルクを加えたお粥を朝食に食べるとか。
アンズの種はラダックなどでもそのまま食べたり、油を採ったりしていたが、こんな風に粉にするのは初めて見た。やってみると石は重くて、これは重労働。

さらに図々しくお願いすると、ためらいもなく家の中にまで招き入れてくださる。
 外からは特徴もなく見える家だが内部はパミール様式。
  
2本の柱をくぐって部屋に入ると四方がちょうど腰かけられるぐらいの高さの段になっていて、天井は真ん中に明り取りの穴の開いた独特の形状。ラテルネンデッケといってチベット文化圏でも見かけるもの。
床や壁には絨毯が敷き詰められ、そこに布を敷いてパンやお菓子、お茶を出してくださる。

家族構成のことやら、暮らし向きのことやら散々伺って、さあそれではお暇しましょう、と腰を上げると
  
お父さんが庭のリンゴを落とし、さらに干してあった桑の実まで袋に入れて持っていきなさいとおっしゃる。
「こんなにたくさん、結構ですよ」「いいのよ、いいのよ、みんなで食べてちょうだい」というガイドとお母さんのやり取りが日本の田舎みたい。
 本当に突然おしかけたのに温かくもてなしてくださったパミールのホスピタリティーに感謝。

ホルグの宿に到着したのは17時半。
  
本日のパミール・ロッジは貸し切りのようで、くじ引きをしたらベッドが3つもある部屋を一人で使うことになった。

ただしこの宿、町の中心からはすごく遠くて
  
まわりにはサッカー場と放牧地しかなかった。

 
にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タジキスタン周遊 10 アフガニスタン国境へ

2013-09-23 18:46:21 | 中央アジア
8月10日

いよいよドゥシャンベを出発してアフガニスタンとの国境へ向かう。

証文の出し遅れのようだが、ここでタジキスタンの地図と今回のルートをご紹介。

本日の目的地は国境沿いにあるカライクムと言う町。
通常であればドゥシャンベからは点線で示した3232メートルのハブロボト峠越えルートを行くのだが、途中の橋が洪水で壊れたままなので、今日は大きく南下してからアフガニスタン国境沿いを北上する遠回りになるという。

 南へ下る道はきれいに舗装されて快適だが、標高1000メートル以下では乾燥して暑い。

出発して1時間ちょっとでノラクと言う町に到着。ここにはヴァクシー川をせき止めたタジキスタン最大のダムがある。
  
ダムから流れ出る川は思いのほかきれい。
 牛も歩く橋を渡れば
  
川でとれた魚のフライを売っているおばちゃんもいる。この魚、野菜のスープをかけて食べるのだろうか。
  
ダムを見下ろす場所には休憩所もあって人気のようだが、ここをせき止めるとヴァクシー川が合流するアムダリアの水量が減るということで、ウズベキスタンともめる原因になっているのだそうだ。

 ダムから降りると周りの景色はますますカラカラになって、遠くに羊の群れが見えるだけ。

やがてクロブの手前、ブリストンと言う町まで来るとやけにきれいな要塞が見えた。
 この城壁はもちろんごく最近再現されたものだが、これは9~11世紀のフタロン王国のホルボック要塞。
  
閉じた門から中を覗き込んでいると、「今日はお休みだけれど君たちは日本人だから」と管理人のおじさんが開けて中を案内してくれた。
  
現在発掘中のこちら、日本の東京文化財研究所が援助しているのだそうで、だから我々も中を見せてもらえたわけ。  
 

クロブの町でゆっくり昼食をとって、1950メートルの峠を越えると
 いよいよ川の合流先がパンジ川、その向こうに見える山はアフガニスタン!
 
さらにちょっと山を下ると国境の橋がよく見えるが、これが渡れないのだね。

 川のこちら側、タジキスタンには緑の畑が多いのに比べて、あちら側アフガニスタンは荒涼として見える。

 
道はパンジ川沿いに上がったり下がったりしているが、向こうの山が迫って川幅はいくらもなく、場所によっては本当に手が届きそう。
 
よく見ればあちら側も川沿いに細い道が延々と続いていて、たまに歩いている人やバイクの人が見える。
こんな荒涼として何もないところをどこまで行くんだろうと思っていると
  
 
山からの細流があるらしいところにだけ緑が見え、その間に家が見える。
  
家は茶色い箱で、小さな窓にはガラスもはまっていない家が多いようだが、よく見ればパラボラアンテナを立てている家が結構ある。電柱は見当たらないので、おそらくソーラーを使っているのだろう。
アフガニスタン・サイドもきっと我々の想像以上に情報は入っているに違いない。

タジキスタン・サイドの道は国境沿いはさすがに未舗装が多くなったがところどころは舗装されている。
 
「ここはトルコの援助」、「こちらはイランの援助」と解説がつくのが面白い

やがて日もだいぶ傾いた18時半、途中2時間の休憩を含めて11時間で無事にカライクムに到着。
ドゥシャンベからの距離は360キロ。

今夜の宿はスルタン・ショーさんのホームステイ。
  
階段を下りていくとリンゴの木が何本も植わった中庭があり、川沿いに昔ながらのトイレやシャワールームがある。
 家は2つに分かれていて、1階にキッチンや家族の部屋、2階にゲストルーム。
 
キッチンを覗かせてもらうと冷蔵庫もあり、料理にはIH調理器を使っている。
 
思いのほか多くの部屋に区切られた2階は清潔で、床に敷く布団も薄いながら問題なかったが、1300メートル近い標高でも夜で29℃あって暑かった。


にほんブログ村 旅行ブログへ  ←人気ブログランキングへ一票、お願いします。  
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする