久しぶりに有楽町で映画を見た。
有楽町スバル座で 「宮廷画家ゴヤは見た Goya's Ghosts」
ゴヤを語り手に18世紀末のスペインと、ある聖職者の恥知らずな生き方を描いた映画。
18世紀末から19世紀のはじめと言えばフランス革命、ナポレオンの台頭、失脚と、ヨーロッパの価値観が二転三転した時代。そういう時代には身分がひっくり返ったり、風見鶏のようにあっちについたりこっちについたりと節操のないやつが幅を利かせたりする。そんななかで右往左往させられ、戦いでも始まれば虫けらのように殺される庶民。
脚本と監督は「アマデウス」のミロシュ・フォアマン。プラハの春を経験したチェコ人なので、ここには当然、共産主義時代のチェコの様相が反映されているだろう。
だがこの映画を見ながら思ったのはチベットのこと。
聖職者が神の名の下に力をふるい、絶対権力者の王がいて、そこに隣の国の革命から誕生した新たな独裁者が「旧体制からの開放、自由」を旗印に侵略してくる。
19世紀初頭のスペインと現代のチベットはなんと似ていることだろう。
ソ連支配下のチェコも含めて、要するにこんなことはいたるところで何回も繰り返されているということだ。
映画の中では浮沈の激しい聖職者の人生にも、哀れなヒロインの運命にも救いはない。しかし王や高位聖職者も含めてその描き方は人間的で、安易な善悪でわけたりしていないところにリアリティがある。そしてこれだけ重いテーマをきっちり娯楽映画にしてみせるところ、さすがフォアマンは大人の映画監督だ。
唯一物足りない所があるとすれば複雑な人間であったろうゴヤが薄っぺらいところだが、この映画の中では狂言回しであり、その絵が雄弁に語るのでこれでいいのかもしれない。
役者では聖職者のハビエル・バディムが怪演、最近やたらに映画に出ている感じのナタリー・ポートマンがすごい汚れ役で、さすがハリウッドで生き残るにはきれいなだけではだめなのね、とその根性に敬服する。
久しぶりに大人の映画を見て満足。
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ゴヤを語り手に18世紀末のスペインと、ある聖職者の恥知らずな生き方を描いた映画。
18世紀末から19世紀のはじめと言えばフランス革命、ナポレオンの台頭、失脚と、ヨーロッパの価値観が二転三転した時代。そういう時代には身分がひっくり返ったり、風見鶏のようにあっちについたりこっちについたりと節操のないやつが幅を利かせたりする。そんななかで右往左往させられ、戦いでも始まれば虫けらのように殺される庶民。
脚本と監督は「アマデウス」のミロシュ・フォアマン。プラハの春を経験したチェコ人なので、ここには当然、共産主義時代のチェコの様相が反映されているだろう。
だがこの映画を見ながら思ったのはチベットのこと。
聖職者が神の名の下に力をふるい、絶対権力者の王がいて、そこに隣の国の革命から誕生した新たな独裁者が「旧体制からの開放、自由」を旗印に侵略してくる。
19世紀初頭のスペインと現代のチベットはなんと似ていることだろう。
ソ連支配下のチェコも含めて、要するにこんなことはいたるところで何回も繰り返されているということだ。
映画の中では浮沈の激しい聖職者の人生にも、哀れなヒロインの運命にも救いはない。しかし王や高位聖職者も含めてその描き方は人間的で、安易な善悪でわけたりしていないところにリアリティがある。そしてこれだけ重いテーマをきっちり娯楽映画にしてみせるところ、さすがフォアマンは大人の映画監督だ。
唯一物足りない所があるとすれば複雑な人間であったろうゴヤが薄っぺらいところだが、この映画の中では狂言回しであり、その絵が雄弁に語るのでこれでいいのかもしれない。
役者では聖職者のハビエル・バディムが怪演、最近やたらに映画に出ている感じのナタリー・ポートマンがすごい汚れ役で、さすがハリウッドで生き残るにはきれいなだけではだめなのね、とその根性に敬服する。
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