ブータンで観光と言えばお寺、そしてそこにはえんじ色の集団がいる。
一番小さい子で7,8歳だろうか、体を前後に揺らしながらお経を読む姿もかわいいが、ちょっと先生が目がはなせばやんちゃな小坊主も一杯。
お堂で鬼ごっこをしてみたり、やっぱり子供は子供。
これが育つと
こんなかわいいのもいるが
街中でたむろする姿はそこらの高校生と大差ない。
坊主の晴れ舞台といえばツェチュなどのお祭り。
楽器を鳴らしたり
舞いを舞ったりとそれぞれの特技を披露する。
しかしその他大勢は
こんな感じ。
ブータン全体でどれだけの僧侶がいるのか、その数は知らないが、今でも一家から1人は僧侶にしたいと願う家族は多いのだそうだ。
昔は教育を受けられる場と言えば寺しかなかったし、子供の多い家では口減らしの必要もあっただろう。寺は今でも普段の生活に密着しているし、おそらくそのためだろう、チベット仏教圏のお寺は想像するよりもずっとのんびりしていて、厳しい鍛錬の場という雰囲気はない。厳しい修行をして偉くなるのはほんの一握り、あとの坊主は普段の生活を支える下働きになるからだ。
外国人がチベット仏教に抱く神秘的な幻想など打ち砕く、このあっけらかんとしたゆるさが好きだ。
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これが育つと
こんなかわいいのもいるが
街中でたむろする姿はそこらの高校生と大差ない。
坊主の晴れ舞台といえばツェチュなどのお祭り。
楽器を鳴らしたり
舞いを舞ったりとそれぞれの特技を披露する。
しかしその他大勢は
こんな感じ。
ブータン全体でどれだけの僧侶がいるのか、その数は知らないが、今でも一家から1人は僧侶にしたいと願う家族は多いのだそうだ。
昔は教育を受けられる場と言えば寺しかなかったし、子供の多い家では口減らしの必要もあっただろう。寺は今でも普段の生活に密着しているし、おそらくそのためだろう、チベット仏教圏のお寺は想像するよりもずっとのんびりしていて、厳しい鍛錬の場という雰囲気はない。厳しい修行をして偉くなるのはほんの一握り、あとの坊主は普段の生活を支える下働きになるからだ。
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