「親分、お早やうございます。今日も暑くなりさうですね」
御馴染の八五郎、神妙に格子を開けて、見透しの六疊に所在なさの煙草にしてゐる錢形平次に聲を掛けました。
「大層丁寧な口をきくぢやないか。さう改まつて物を申されると、借金取りが來たやうで氣味がよくねえ。矢つ張り八五郎は格子を蹴飛ばして大變をけし込むか、庭木戸の上へ長んがい顎を載つけなくちや、恰好が付かないね」
とこのように、物語は平次親分と、子分の八五郎の掛け合いで始まる。二人の掛け合いは、話の中でもいたるところでみられるが、これらも銭形平次の魅力の一つだろう。
さて事件の方だが、藥研堀に住む旗本の石崎丹後の紛失物を探し出せば、褒美の金が百両もらえるというのだ。八五郎の叔母が世話になっている大家が、石崎家の用人と眤懇だったことから、この話が、平次に回ってきたという訳だ。
百兩といふ金があれば、半歳溜めた家賃を拂つて、女房のお靜に氣のきいた袷を着せて、好きな國府の飛切りを、尻から煙が出るほどふかしても請け合ひ九十七八兩は殘る勘定だつたのです。惡いことを大眼に見て袖の下かなんかを取るのと違つて、チヨイと物を搜さがしてやつて、百兩の褒美を貰ふのは、良心に恥ぢるほどの仕事ではないやうに、八五郎の太い神經では感じたのです。
つまり、平次は貧乏だということ。江戸時代の岡っ引きは、奉行所に雇われているという訳ではなく、奉行所に勤める同心などの役人から私的に雇われた存在である。だから奉行所から給料は支払われなかったので、役人から小遣いをもらっていたが、その金額は驚くほど安かった。当然それだけでは生活が出来ないので、女房に店をやらせているのが常だったが、平次のおかみさんのお静さんには、これまで読んだ限りではそんな記述は見当たらなかったので、平次の無精さとも相まって、かなりの貧乏暮らしをしていたんだろうと推察される。
さて、百両の探し物には心を動かされなかった平次だが、無報酬の玉川一座の事件の方には心惹かれる。玉川一座の花形・燕女が「殺されるかもしれない」というのだ。
それから二三日、こんどは富澤町の和泉屋のところに泥棒が入り、番頭が殺される。和泉屋というのは、金貸しで繁盛した家だ。
この三つの事件、石崎丹後の事件、玉川燕女の事件、和泉屋の事件がやがて一つに絡まり、平次の推理が冴える。そして最後に残るのは、八五郎の失恋。それにしても八五郎、惚れっぽいね(笑)
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