文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:神の時空 貴船の沢鬼

2015-02-15 21:01:27 | 書評:小説(その他)
神の時空 ―貴船の沢鬼― (講談社ノベルス)
クリエーター情報なし
講談社


 QEDシリーズでお馴染みの高田崇史の最新シリーズ、「神の時空」の第3弾、「貴船の沢鬼」。高田氏の作品は、殆ど読んでいるのだが、最近の積読山の高さに押されて、これを書店で見かけるまで、新シリーズが始まっていたことに気が付かなかった。そういう訳で、読んだのは、いきなり3巻目である。

 主役を務めるのは、清和源氏の血を引くという。辻曲家の4兄妹。長男の了を筆頭に、彩音、摩季、巳雨の3姉妹。ただし、摩季は現在死亡中である。他の兄妹たちは、摩季を反魂術で生き返らそうとしているようだが、そのリミットは死後1週間。反魂術jを行うためには、京都貴船の清浄な水が必要らしい。しかし、京都では、高村皇という謎の男により、貴船の水を汚し、神々を怒らせて、京都を水没させようという恐ろしい陰謀が進んでいた。

 その一方、京都では、不気味な殺人事件が連続していた。目撃された犯人が、文字通りの鬼や般若のような形相をしていたというのだ。

 この巻では、京都を壊滅させようとする霊的な陰謀と、不気味な殺人事件という2つを軸に物語は進んでいく。この作品の性格を一言で表せば、伝奇小説とミステリーの融合といったところだろうか。

 ミステリー部分は、この巻で完結しているが、伝奇小説的な部分は、一巻からずっとストーリーが続いているようだ。これについては、この巻だけではいきさつがよく分からないところもあり、簡単なあらすじでも付けてくれればありがたかったのだが。

 伝奇小説部分は、QEDからの流れを受けて、蘊蓄の多さは相変わらずである。蘊蓄の多さは相変わらず。貴船や鞍馬の神をはじめとする、神々に関する蘊蓄はなかなか興味深い。高田氏の作品で、どのような蘊蓄が披露されるかを楽しみにしている人には、十分に期待に応えてくれるものと思う。

 果たして、高村皇とは何者か。摩季は生き返ることができるのか。色々な疑問を残して、話は次巻に続いている。

☆☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評:ヒラノ教授の線形計画法物語

2015-02-13 20:57:40 | 書評:学術教養(科学・工学)
ヒラノ教授の線形計画法物語
クリエーター情報なし
岩波書店


 我が国の金融工学の先駆者の一人、ヒラノ教授こと東工大名誉教授の今野博さんの、「ヒラノ教授の線形計画法物語」(岩波書店)。本書は、今野さんの自伝でもあり、今野さんの線形計画法の恩師に当たるダンツィク教授の追悼の書でもあり、また、線形計画法の歩みを解説した書でもある。

 線形計画法自体は、高校の数学で習うようなものであり、原理そのもののは、そう難しいものではないうえ、その応用範囲はものすごく広い。しかし、変数の数が少ないうちは良いのだが、変数が多くなるにつれて、計算が困難になり、解を求めるのが困難になってしまう。まともに説いていては、計算機の計算速度がいくら早くなっても追いつけないような莫大な計算量となるため、解き方の工夫(計算のアルゴリズム)といったものが重要になってくる。現在、かなり大きな線形計画法の問題が解けるのは、計算機の速度以上に、解き方の工夫による計算速度向上が寄与しているためだ。ダンツィクは、その工夫に生涯をささげたと第一人者と言っても過言ではない人物だろう。

 線形計画法は、間違いなく数学の一分野である。そして、特に経済学の分野では、それを応用できるものはいくらでもありそうだ。ところが困ったことに、日本の数学者は計算手法には関心を示さず、経済学者の方も計算のようなつまらないことは誰かにやってもらえば良いと思っているらしい。そこで、今野さんのような数理工学者の出番となる。しかし、アメリカの数学者には、細かい工夫が大好きな人がいて、エンジニアと協力して解法の改良に取り組んでいるという。それが、この分野での日米の格差につながっていると、今野さんは嘆く。

 ところで、1975年のノーベル経済学賞は、線形計画法の応用である<資源の効率的配分方法>に対して、クープマンスとカントロビッチの2人に与えられた。ところが、この分野の最大の功労者であるダンツィクは、選から外されたのである。今野さんは、この理由を、ノーベル経済学賞に影響を持っている大物経済学者たちが、ダンツィクの仕事を数学であって、経済学ではないと考えたためだと推測している。

 今野さんは、80年代に金融工学の分野に参入して、多くの経済学者たちと付き合ってきたが、彼らが、<経済学者の経済学者による、経済学者のための経済学>の僕であることを知ったそうだ。「経済学者は、現実に合わせて理論を修正することを好まない。また計算がお好きでない彼らは、面倒な計算をやらずに問題を解こうと考える。この結果、主流派経済学者は、現場のやっかいな問題を解くことに関心を示さなくなったのである。」(pp83-84)ということだから、経済学者たちが言っていることが、定性的で、百家争鳴なのも頷けるというものだろう。

 このほか、有名なカーマーカー特許騒動についても述べられており、こちらもなかなか興味深い。アルゴリズムが特許になるのはおかしいということで、今野さんが原告となり 無効審判を起こしたのだが、数学のわからない裁判官が、判断することの不合理さなどがよくわかり、特許裁判の実態にはあきれる限りだ。今は知財高裁なんてものができているが、状況はどう変わったのだろうか。

 また、本書には、線形計画法のいくつかの手法が、コラムとして示されている。数式が使ってあるが、本書を読むときは、読み飛ばして影響はないだろう。時間のある時に、ゆっくりと考えてみれば良いと思う。

 本書は、淡々とした中にもユーモアを感じさせる文体で、線形計画法が、いかに重要な役割を果たしてきたかということ、その割には、それほど学問の世界で、十分に理解されていないことなどが良くわかるよう記されている。数学が苦手な方でも面白く読めるので、ぜひ一読してみてはどうだろうか。

☆☆☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放送大学H27年度1学期の科目登録完了

2015-02-13 18:30:00 | 放送大学関係
 今日から、放送大学のH27年度1学期の科目登録が可能なので、さっそくシステムWAKABA
から登録を行った。今回登録したのは、放送科目2科目、面接科目3科目の計5科目7単位分だ。登録申請した科目は以下の通りである。

(放送授業)
・和歌文学の世界(’14)
・文化人類学(’14)


(面接授業)
・宮島と芸能
・名作の名場面
・認知行動療法入門


 これに、受験を次学期に繰り延べた、「場と時間空間の物理(’14)」が加わり、来学期は、9単位分の学習を行うことになる。

 今回受験した、「博物館経営論(’13)」と「ヨーロッパ文学の読み方―古典篇(’14)」の2科目だが、以前フラ夫さんのブログで教わった裏技で合否を確認すると、どうも合格しているようだ。評価の方はまだ未定なので、正式な発表があるのを楽しみにしておこう。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セミナー「~先進事例に学ぶ「来るべき水素社会」~」を聴講

2015-02-12 20:59:03 | セミナー、講演会他




 今日は、午後から、広島市工業技術センターで開催された、セミナー「~先進事例に学ぶ「来るべき水素社会」~」を聴講した。

 これは、水素社会の実現に向けて、川崎市(官)、東芝(産)、広島大学(学)の「産学官」の取り組み状況を紹介したものだ。あまり、この分野については詳しくなかったが、現状における全体像を知ることができ、なかなか有益だった。

 おそらく、水素の活用は、今後世界的に広まっていくのは間違いないだろう。世界に後れを取らないように、産学官が協力して技術開発に取り組んでいくことは大事なことである。しかし、まだまだ課題も多そうだ。今回のセミナーでは、あまり触れられていなかったが、やはり一番重要なのはコストだろう。既存のエネルギーを使って水素を作っていたのでは、効率分だけ割高になるのは明らかだ。かといって、再生エネルギーだけで、大量の水素を生み出すのは困難だろう。

 私は、特にこの分野に関わっているわけではないが、技術関係のバックグラウンドを持つ者として、今後の発展をウォッチングしていきたい。


なお、下の写真は、広島市工業技術センターの隣にある、「広島県発明協会」である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評:2か月セルフケア「愛され姫の魔法の小顔! 」-世界を見てきたゴットハンドがすすめるアンチエイジング

2015-02-12 09:03:45 | 書評:その他
2か月セルフケア「愛され姫の魔法の小顔! 」-世界を見てきたゴットハンドがすすめるアンチエイジング
クリエーター情報なし
セルバ出版


 小顔の効用と、いかにして小顔を作り上げるかを説いた、「2か月セルフケア「愛され姫の魔法の小顔! 」-世界を見てきたゴットハンドがすすめるアンチエイジング」(柴崎知加:セルバ出版)。

 なぜ、世の中の女性たちは、小顔を目指すのか。もちろん、キレイになるためである。でかいワラジのような顔(←あるのか?)と、可愛らしい小顔では、どちらが綺麗に見えるかは言うまでもないことだ。本書は、小顔の効用として、可愛らしさ、愛らしさ、美しさ、上品さがアップすることを挙げている。これに異論はない。小顔の方が、絶対にオトコにはモテる。しかし、決して、テレビなどで見かける、小顔の可愛らしいモデルさんやタレントさんと同じようになろうなどと思ってはいけない。本書が強調するのは、個性を大切にするということ。一人ひとりがみな違うのだ。

 それでは、どのようにして小顔を作るのか。小顔作成は、まず自分の顔を知ることから始まる。そこから自分が目標とする顔のイメージを明確にする。そして、それをどのように目標にに近づけていくかという戦略を立てるのである。このとき、絶対に無理だろうというような、自分とかけ離れた顔を思い浮かべてはいけない。どんなに努力しても、誰もがオリンピックで優勝できるようになるわけではないように、ものには限度というものがある。自分の個性を活かして、自分なりの可愛らしい顔を目標にすることが大切なのだ。

 小顔を作るためには、表情筋を鍛えることが大切だという。これが歳とともに衰えてくると、小顔から離れてくるらしい。本書では、歳を取るとどのような顔になりやすいかというタイプ別に、それを防止するためには、どの表情筋を鍛えれば良いかについて解説されている。だから、1日15分、本書に紹介された方法を実行していけば良いのだ。ここで大切なことは、自分を信じることである。自己暗示の効果をばかにしてはいけない。

 まずあるべき姿と現状とのギャップを明確にして、それを埋めの努力をしていくというのは、ビジネスの現場でもよく言われるPDCA(Plan⇒Do⇒Check⇒Action)の管理サイクルを回すことに似ている。上記のことは、そのうちのPDに当たるわけだが、例えば、効果が思ったほど出なかった場合にはどうするか、逆に出すぎた場合にはどうするかなどの、CAの部分にについてはほとんど述べられていなかったのは残念である。

 ところで、小顔になると、「同じ身長なのに・・・8頭身になります」(p51)とあったが、さすがにそれは無理だろう。イラストもあったので、疑い深い私は、実際に測ってみたがせいぜい7頭身だった(笑)。でも大切なのはバランスで、バランスが良いと、スタイルが良く見えることは間違いない。

 本書では、実際のメソッド部分は、第4章に書かれており、全体の1/5程度の分量しかない。だから、手っ取り早くやってみたい人は、まず、1章を読んで、自分の顔のタイプを把握し、それから第4章を読んで実践するというやり方がよいだろう。読み飛ばしたところは、後でゆっくり読んでも問題はないと思う。

 頭骸骨の大きさは変えられないのだから、小顔にするということは、結局のところ、表情筋を鍛えるとともに、いかに顔の脂肪をコントロールしていくかということだと思う。後は、目の錯覚かな。脂肪がつくと、実際以上に顔が巨大に見えるものだ。これが首と顔の区別ができなくなるくらいまで脂肪がついてくると、さあ大変。

 かっては美少年だった私も、やはり年齢とともに顔が大きくなったような気がする(あくまで気がするだけで、決して巨大な顔ではないので念のため(笑))。男だって、脂ぎった大顔ではオヤジ臭くなるだけである。できるオトコは小顔を目指すべきだ。さあ、小顔になるぞ!

☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評:なぜ年収3000万円の男はセンスにこだわるのか?

2015-02-11 08:58:26 | 書評:ビジネス
なぜ年収3000万円の男はセンスにこだわるのか?
クリエーター情報なし
かんき出版

 著者が、800人以上もの、年収3000万円以上のエグゼクティブと交流した結果導いた「秘密の法則」と銘打った、「なぜ年収3000万円の男はセンスにこだわるのか?」(臼井由妃:かんき出版)。

 「いったいエグゼクティブたちには、どんな秘密が?」と思って、名を通してはみたが、あまり根拠などありそうにないような主張が満載だ。中には、賛成できるような主張もあるが、特に目新しくもないようなものである。800人以上のエグゼクティブと交流した結果というが、その中から共通法則を見出したわけでもなく、聞いて面白そうな話を選んで、ただしゃべっているだけのように思える。例えば、電柱にも挨拶するという人物を取り上げているが、それでは、電柱に挨拶すれば、エグゼクティブになれるのか。実際のエグゼクティブの中にも、そんな人間がそう沢山いるとは思えない。

 例として取り上げてられている人物は、ただエグゼクティブの中にこんな人がいるというだけにすぎない。決して、その人物のようにふるまえばエグゼクティブになれるというわけではないのだ。そして、何かと言えば、「一流の男は・・・」と持論を展開するが、自分の趣味を述べているだけだろうとしか思えない。要するに、述べられていることの根拠が、まったく理解不能なのである。

 少し例をあげてみよう。本書には、<男の下着は「戦闘服」であると知っている>として、エグゼクティブは、シルクのパンツを履いていると書かれている。しかし一体どうやって調べたのか。800人以上というエグゼクティブたちに、「どんなパンツ履いてますか?」と聞いて歩いたのだろうか。もしそうなら、完全にセクハラやん。

 また、<「エグゼクティブ」のオーラは靴下からただよう>として、靴下が短くて、すね毛が見えたらアウトだとも書かれている。それなら、靴下を履かないので有名な某芸能人なんかは、完全に問題外だということか。別にそれはそれでもいいのだが、いっそ、エグゼクティブになりたい皆さんは、ニーソでも履いたらどうだろうか。

 とにかく、全編自分の趣味と思い込みで溢れかえっているのだが、それにしても、それだけで本が1冊かけるというのは、ある意味すごいとは思う。



※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評:天平の甍

2015-02-10 07:54:51 | 書評:小説(その他)
天平の甍 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


 日本仏教の黎明期、日本に戒律をもたらすため、命をかけた中国僧・鑑真と、その渡日のために力を尽くした留学僧たちを描いた、「天平の甍」(井上靖:新潮文庫)。多くの人は、教科書などで、この作品の一部なりと読んだことがあるのではないだろうか。そこでは、鑑真が苦労に苦労を重ね、失明してもなお、日本に渡ってきたことにスポットが当たっていたと思う。

 確かに、この作品の中心にあるのは、鑑真の渡日の物語である。鑑真は、留学僧の栄叡、普照からの要請に応え、唐で築いていた確固たる地位を投げ打ってまで日本に渡ろうと決意する。当時、日本に渡るということは、簡単なことではなかった。あの時代の木造船など、嵐が来れば、ひとたまりもなかったのだ。嵐に阻まれ、渡日失敗すること、なんと5回。高齢のうえ、光を失ってしまった鑑真だが、それでも日本に戒律をもたらすという情熱は衰えない。その姿は、宗教者かくあるべしということを我々に教えてくれるだろう。 しかし、それ以上に作者が描きたかったのは、留学僧たちのドラマだったのではないだろうか。

 まず、日本に戒律をもたらすという使命を帯びて、唐に渡った4人の留学僧たち。もっともその使命に燃えていたのは、興福寺の僧・栄叡だった。しかし、鑑真を渡日させる目的を果たさぬまま、病に倒れ、唐土の土になってしまう。筑紫の僧・戒融は、唐土を自分の足で歩けるだけ歩こうと、受戒後まもなく、留学生の役目をおいて出奔してしまう。紀州の僧・玄朗は、一番日本に帰りたがっていたが、結局妻子を設けて、そのまま唐土に留まることになる。鑑真と共に日本に帰りつくことができたのは、大安寺の僧・普照だけであった。

 そして、先輩留学僧にあたる業行。自らの勉学の才能に見切りをつけ、寺を渡り歩いて、ひたすら経論を写すだけの生活。30年近く唐土に留まり、莫大な写本を作ったが、その写本も結局は業行と共に海の藻屑となってしまう。

 ひとつの物語の裏には、多くの人間ドラマが潜んでいる。それぞれの思いを持って、唐土に渡りながらも、結局は運命に従うしかなかった人々。そのような人々にスポットを当てた物語が織り込まれているからこそ、この作品は、一層我々の胸を打つのである。

(注)作品中では、「鑑真」の表記がこのレビューとは異なっています。このレビューでは一般的に使われている表記法を採用しています。

☆☆☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評:"思考停止人生"から卒業するための個人授業 -年間5000人のリーダー職を生む、最強の思考法-

2015-02-08 12:49:39 | 書評:ビジネス
タイトルなし
クリエーター情報なし
ごま書房新社


 世の中は、思考停止に陥っている人で溢れている。別にこれは今に始まったことではなく、いつの時代にも、マスゴミの流すデマに人々は踊らされてきた。朝日新聞の例でもわかるように、それが時には、我が国にとって大きな不利益につながる。最近は、これに、ネットでの情報も加わり、ますます危険な状況になっているのではないだろうか。

 特に最近は、小さい頃から、塾などで勉強を「習う」ことばかりで、自分の頭で考えることは隅に追いやられているような風潮も、これに拍車をかけているのではないかと懸念する。だから、ちょっと考えればおかしいと思うようなことにも簡単に乗せられてしまうのだ。

 マスコミやネットに流れていることを鵜呑みにするのは愚の骨頂だ。大切なのは「自分の頭で考えること」。そのためには、もとになるデータを見て、それが信頼できるものか、自分ならどう解釈するのかをしっかり考えることが大切だと著者は説く。

 本書は、「先生」と「ヤマダくん」との対話形式で、講義が進んでいく。だから、読者は、自分を「ヤマダくん」だと仮定して読んでいけばよいだろう。もちろん、本書の趣旨からしても、「先生」の言うことを、頭から信じ込んではいけない。きちんと自分で考えて、納得してこそ、知識が、自家薬籠中のものとなるのだ。

 それでは、「自分の頭で考える」ためには、どうすればよいのだろうか。本書には、ロジカルに考えたり、枠を外して自由奔放に考えたりと、そのための心構えが多く書かれている。そしてまた、考えることを「習慣化」することの大切さも。

 著者も言うように、「学ぶことは楽しく」、考えることは「ワクワクする体験」なのだ。この学ぶとは、単に知識を覚えることではない。自分の頭で考えて、勉強したことを使いこなすことができるようになってこそ、本当に「学んだ」と言えるのである。必要なのは、「覚える力」ではない。知識は陳腐化しがちだ。本書で主張されているように、「考えて学ぶ」ことこそ、自分の成長につながるっていくのである。

 ところで、この本の読み方だが、著者が進めるのは次のようなものだ。まず付箋とメモを用意し、180分で1回読み切る。この時、重要なところやわからないところに理由などを書き込み、付箋を貼る。読了後、60分休んだら、再度180分かけて、メモや付箋に注意しながら読んでいく。このとき、ワーク作業も行いながら不明点を確認していくのだ。著者が言うように、これで本当に「思考停止人生から卒業」できるかどうかは、個人の資質にもよると思うが、方法論としては間違ってはいない。

 まず、著者も述べているように、本はきれいに読むものではない。私もやっているが、どんどん書き込んで、突っ込んで、対話したり、対決したりすることが大切なのだ。私の読んだ本など、汚くて、絶対に古本屋には売れない(笑)。また、読んだ内容を一度で頭に入れようと思ってはいけない。繰り返して読むうちに、頭の中で発酵して、こなれていき、自分のものになっていくのだ。一字一句、本書に書かれている通りにする必要はないが、洪水のように飛び回っている情報に踊らされないようにするためには、役にたつヒントが詰まっているのではないだろうか。

☆☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放送大学近くの松屋で牛めし(広島氏を歩く139)

2015-02-06 16:32:49 | 旅行:広島県



 上の写真は、放送大学広島学習センターの近くにある松屋。先般、単位認定試験を受けに学習センターに行った際に、昼食をここで食べた。




 頼んだのが、この牛めし大盛、価格は390円。普段は、ダイエットのため、大盛は頼まないのだが、この日は、なぜかお腹がすいて、つい誘惑に負けてしまった(笑)。

 でも、味噌汁付きで、390円とはなかなかリーズナブルな値段だ。それほど食に対するこだわりはないので、これで十分に満足である。


○関連過去記事
マダムジョイ千田店前のドルトムント市電(広島市を歩く138)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評:ヨーロッパ文学の読み方ー古典篇

2015-02-05 21:24:46 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
ヨーロッパ文学の読み方―古典篇 (放送大学教材)
クリエーター情報なし
放送大学教育振興会


 放送大学の印刷教材として使われている「ヨーロッパ文学の読み方ー古典篇」(宮下志郎、井口篤)。本書は、タイトルの通り、ヨーロッパの代表的な古典文学について解説したものである。
扱われている作品は、ギリシア・ローマ時代のホメロスの「イリオス」やヘロドトスの「歴史」から始まり、中世・ルネサンス時代のダンテの「神曲」、ボッカッチョの「デカメロン」など。

 日本の古典には、学校の古文の授業などで触れる機会があるので、おおよそどのようなものか見当くらいはつくと思うが、ヨーロッパの古典となるとタイトルくらいは知っていても、多くの方にとっては、それほどなじみがないのではなかろうか。正直私も、この本で取り上げられている作品で読んだ記憶があるのはボッカチョの「デカメロン」くらいだ(内容はまったく覚えていないが)。

 しかし、本書により、その一環にでも触れてみると、色々と興味深いことが多い。まず、ギリシア・ローマ時代の作品だ。大昔の作品だから、つい、書き方のテクニックなどにはみるべきものはないのではないかと思ってしまいそうだが、その認識ががらりとひっくり返されるだろう。例えば、ホメロスの「イリアス」は、トロイア戦争における、わずか47日の出来事を描いたものであるが、登場人物に過去を回想させ、未来を予見させて、トロイア戦争の原因から、トロイアの滅亡までを織り込んでいる。また、リングコンポジションといって、各要素を折り返し点で逆順に展開していくという手法も使われているのだ。

 中世・ルネサンス時代の作品も負けてはいない。ダンテの「神曲」には、我々読書家にとってなかなか有用なことが記されている。それをかいつまんで紹介すると、「書かれたものには、①字面的な意味、②アレゴリー(その物語に隠された意味)、③倫理的な意味、④解釈によって明らかにされる上位の意味の4つがある」ということだ。これは、古典のみならず、現代小説を読んでいくうえでも視点として使えるのではないだろうか。

 また、中世・ルネサンス時代には、ヘンな本も多い。特にヘンなのが、「ティル・オイレンシュピーゲル」である。無類のいたずら好きだというオイレンシュピーゲルという男の話なのだが、これが何かと言うと「うんち」の話になるという、全編スカトロ趣味に溢れているのだ。

 あまり触れる機会のない、ヨーロッパの古典の概要だけでも知ることができ、なかなか面白い。機会があれば読んでみたいものもいくつかあったが、現状ではそこまで手が回らないのが残念だ。


☆☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする