小雨、15度、86%
あの大きな大きな津波がやって来て、たくさんの生き物の命を奪って行って、4年が経ちました。陸前高田市に一本だけ残った松の木も、根が枯れて死んでしまい、今では人工処置が施され、人工の葉っぱを付けてあの場所に立っているそうです。震災後ポツンと真っ直ぐに佇むあの松の姿に、人はどれほどの思いを抱いたことでしょう。福島でも1000年といわれる三春の滝桜は、季節を違わず咲き誇りました。あの桜を見上げる人たちの胸の内には、様々な思いがあったに違いありません。そして、人は時間が経ってもその木を心の何処かに思い留めていると思います。幸福な木たちです。
香港には、町中に大きなバニアンツリーが至る所に見られます。その根っこが張り出した姿は、人の目を引かずにはおきません。この蒸し暑い香港で、夏になるとこのバニアンツリーの木陰を歩くのは、体も心もホッとするひとときです。スコールが来れば、大きな木の下で雨宿り。どれだけの人が私のようにこのバニアンツリーのお世話になっていることやら。
去年の秋口のことでした。とても痛ましい事故が起きました。しかも、我が家から歩いて5分ほどの所での事故でした。もうすぐ臨月というお母さんが、病院に行くためにミニバスを待っていたそうです。彼女が立っていたその上には斜面にさほど大きくないバニアンツリーが立っていました。雨が降った後でもありません、大風が吹いていたわけでもありません。きっと、老朽化した木だったのでしょうか、バスを待つお母さんの上に木は倒れて来たそうです。お母さんも、お腹の赤ちゃんも亡くなりました。
それ以来、我が家の周りでは、危険と思われる木は検査され、どんどん切り倒されて行きます。香港島の北側斜面の一帯です。岩盤質の香港の地質は、雨が降っても地面にしみ込むことなく流れます。確かに根をしっかり張っていない木は倒れ易いと思います。ましてや、人の命に関わることです。それは充分に理解しているつもりですが、チェーンソーの音が何処からともなく聞こえると、妙に不安な気持ちになります。
この数ヶ月で、この一帯、何本の木が切られたことでしょうか。ある時、ふと気付きます。あら?ここには木があったはずなのに。道沿いの木を切ると、すぐさま石が敷き詰められます。その木のためにあったような花壇には、すぐさま背の低い木が植えられます。でも、長く長くそこにあった木の余韻が未だに残っています。道を渡ろうと道路の左右を見ているとき、いつも背中に感じていた木の温もりがありません。振り返ると、低木がきれいに植わっています。ここにあった木は白蘭でした。夏の盛りにここで道を渡る時には、背中から優しい甘い香りを注いでいてくれましたっけ。
木を見上げながら歩いている人なんて少ない香港です。皆さん忙しい。私のように、あそこの木が無くなったなんて呟く人もいません。木がそこにあったことも、木が無くなったことも覚えられていない木は沢山あります。
陸前高田の一本松、福島の三春滝の桜のように、記憶に残って行く木は幸せ者です。名の無い木の記憶をせめても私の胸の中で留めてやりたいと思います。でも、一年もしたら、こんな私でも忘れてしまうかもしれません。