チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

一枚の写真の重さ

2015年03月23日 | 日々のこと

曇り、19度、60%

 我が家のアルバムの最初を飾る写真は、生まれてひと月目の息子の写真です。未熟児室のガラス越しに撮ったその写真は、大切な大切な一枚です。

 この15年ほどの間で、つまり2000年に入る少し前から、カメラ、写真のあり方が変わってきました。携帯電話の進歩ほどではないにしても、写真というものに向かう人々の気持ちが日常化してきました。高級な貴金属に位置していたカメラが小型化、低価格化して来て、ついには電話と一体になって、赤ちゃんだって写真を写すことが出来そうな勢いです。写真を撮ることばかりでなく、写真の保存だって紙に焼き付けること無く、アルバムに貼ること無く保存できます。紙に焼き付けるのも、お家で簡単にいくらでも焼き増しできます。プリンターの普及、プリンターの値段もお手頃になってきました。あと一つ、プリクラの貢献度も見逃せません。

 フィルムを使わないカメラ、これは、随分と気楽に撮ることが出来ます。何枚撮ろうが、好きなだけとっても嫌な写真ならゴミ箱マークにポイと捨てれば言い訳です。我が家の30数年の歴史の中で、最初のカメラは一眼レフの当然フィルムカメラです。息子を撮るために買ったカメラです。それ以来、一体何台のカメラを使って来たことか。人から頂いたカメラも含めて10台は越します。今、目の前にすら一眼レフのデジカメ、小型デジカメ、スマホがデンと構えています。

 今のところ一番多い被写体は、モモさんです。動く方ですから、ああでもないこうでもないと何枚もパシパシ。その上、いい写りでもないのにあのゴミ箱マークなどにモモさんをポイするわけには行きません。ただでさえ変顔なモモさんの超変顔がPCに一杯保存されています。もちろん、息子夫婦から送られて来る孫の写真も、一枚足りとて粗末には出来ません。

 フィルムカメラの頃は、旅行から帰って来ると、フィルムをカメラから出して急いで写真屋さんに現像印刷に持って行きました。出来上がるのを待ちかねて取りに行く、家に着く前に一枚一枚眺めたものです。あの時のドキドキ感、焼き上がるのが待ち遠しかったあの気持ち。今ではすっかり忘れています。お家でPCから、デジカメをそのままつないで、プリンターからジコジコと出て来る写真を待ちます。

 私は写真屋の娘です。まだ白黒写真のあの頃、父が暗い現像室で写真を仕上げる様を見ていました。現像液の中で徐々に形作られ浮かんで来る映像、その魅力とその手間を肌身で覚えています。

 カメラという機械も好き、写真という映像も私は好きです。

 先日久しぶりに写真をプリントアウトしました。義父と義母が歩く後ろ姿です。遠目に撮られた写真は、撮った主人の気持ちをぐっと包み込んだようないい写真です。

 昔の人は、白黒の写真を大事に大事にとってありました。家族の写真、自分の晴れの日の写真。大事な一枚が必ずあったものです。身近になった写真ですが、この一枚、これだけはという写真が無くなったのも現実です。

 一枚の写真が持つ重さが随分軽くなったと感じます。この義父と義母の歩く後ろ姿の写真、きっと大切な重みのある写真となってくれると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする