ガス、19度、95%
昨日のこと、土曜日の夕方のある一家の一コマ。女の子一人の3人家族、どうやらお父さんと女の子はけんかをしたらしく、女の子が大声で泣いています。そこへ、お母さんが「どうして泣いてるの?」とやって来ます。その後しばらくして、この家族、お母さんが調えてくれた夕飯のテーブルを囲んでいました。良かった良かった。どんな家庭にもある光景です。
夜中にふと目が覚めた私、数時間前のこの家族のことを思い出していました。ちょうど、私が育った家庭と同じ家族構成です。父が逝った12歳までは親子3人家族。ところが、母に叱られて部屋で泣いていても、父に叱られて部屋で泣いていても、両親どちらも私を宥めに来てはくれませんでした。声をあげて泣く子ではありませんでした。でも、部屋でポロリポロリと泣いていることぐらい、大人なら分かるはずです。「どうしたの?」という言葉かけも、肩に手を置いて黙って見守ってくれたこともありませんでした。そのことに気が付いたには、なんとついさっきのことです。「ご飯ですよ。」と声をかけられれば、目の周りを赤くして食卓に付いていたに違いありません。
父が逝って、家を出るまでの6年間は母と二人です。当然、クッションとなる人はいません。ただひたすら、一人でシクシクと泣きます。息を殺して泣くので、鼻は詰まります。次の日起きると、目は視界が狭くなるほどに腫れています。学校に行くのも恥ずかしいと思ったほどでした。
泣くのも、怒るのも、なかなか体力を消耗します。体中を熱いものが駆け抜けるほど怒ること、一旦引きかけた感情が揺れ戻って来て、いつまでも涙が止まらずに泣くこと、一体、今までどれだけ体験して来たでしょう。50を前にする頃から、瞼が腫れて起きて来ることも、体中が熱くなるほど怒ることも無くなりました。
この20年は、主人と二人暮らしです。泣く時は、台所か布団の中。やはり、誰も緩衝に入ってくれる人などいません。自分の心をヨシヨシしてやることが出来るのは、私だけ。挙げ句に、泣くことも殆ど無くなりました。
怒らない、泣かない、じゃあ一体、今の私の感情を一番揺り動かすものは何かしらと考えます。ありがたいなあと幸せだなあ、のふたつの気持ちが最近では一番多く感じます。もちろん、いやだわ、嫌いだわもありますが、大したことではありません。朝いつものように起きて来て、ありがたいなあ。自分が調えた食事をおいしく食べて、幸せだな。
最近泣くのは嬉しいとき。嬉しい話を聞くと、涙がポロリ。お世話になった方に頭を下げながら、涙がポロリ。
もう一つ、笑い過ぎて目頭に涙が。なんだかこう書くと極楽とんぼのようです。
人それぞれ置かれた立場や環境に順応すべく、心も体も適応します。私のような心持ち、端から見ると強いの一言ですが、自分なりに扱い易い自分になって来てくれたと思います。
あのご家庭の女の子のように、大声で泣くことが出来たら、この私も少しは違った人生を歩んでいたかもしれません。
夜中に目が覚めて、こんなことを考えていました。