チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

キン肉マンのお箸

2015年06月10日 | 料理

曇り、29度、82%

 キン肉マン、昭和50年代の半ばから流行った漫画です。やはり当時流行ったガチャガチャだかグルグルだかガチャポンだか、丸いプラスチックの容器に、キン肉マンのゴムの人形が入って売られていたほど人気でした。まだ3歳ほどの息子が、「死」などという漢字を覚えたのもこの漫画のおかげです。

 東京は街街の電車の駅を中心に商店街が延びています。アーケードなどはなく、道の両側にクリーニング屋、八百屋、肉屋、魚屋、和菓子屋などがあります。夕方ともなれば、肉屋の店先にはコロッケなどが並びいい匂いです。今のようにコンビニなんてありませんでした。私が育った九州の福岡にはそんな町の風景はありません。町の作りが違うのです。そして、そんな商店街には必ず瀬戸物屋がありました。毎日使うお椀やお皿を売っているお店です。

 息子が幼稚園に上がる前の年の夏の終わりの事です。土曜日にはそんな商店街のある私鉄沿線の町まで買い出しに出かけます。ここは大きな野菜屋や魚屋も店を構えています。我が家から歩いて30分もかかったでしょうか、坂を上がったり下りたりしながらの買い物でした。魚屋で何か注文していると息子が見えません。ちょっと先の瀬戸物屋の店先でジッと何かを見ています。ガラス戸もなく店先の露台にお箸やら小皿が並んでいます。息子が見ているのは、キン肉マンやサンバルカンのキャラクターの付いたプラスチックのお箸でした。

 幼稚園に上がるとお弁当が始まります。そろそろお箸の練習をさせようかと思っていました。初めて持たせるお箸は、木のものがいいと思い込んでいる私です。その頃でも「初めてのお箸」などと名付けられた持ち方を覚える教育お箸のようなものもありましたが、出来たら普通の木のお箸が初めてのお箸にはいいと思っていました。瀬戸物屋の店先で、息子が手に取っているプラスチックのしかも色がブルーや黄緑のお箸は、全く私の想定外。ところがどうしても、キン肉マンのお箸が欲しいと言います。プラスチックのお箸を使わせたくないなどと言っても分かるはずもないのに、そこで少々押し問答をした記憶があります。「今晩から、毎日このお箸でご飯を食べると約束する?」と私。仕方なく黄緑のキン肉マンの絵の付いたお箸を買いました。帰る道すがらも息子はお箸を握りしめています。

 早速その晩から食卓の息子の前には黄緑のお箸が添えられました。スプーンもフォークもありません。朝、昼、晩、3食キン肉マンのお箸です。そのうちにサンマの季節が到来しました。サンマは一家揃って大好物、頭からしっぽまで丸のまま焼きます。初めのうちは身をほぐして息子に渡していましたが、一匹そのまま息子の前に置きました。もちろん息子の手にはキン肉マンのお箸です。時折、手も使いますから濡れた手ぬぐいを横に置いてありました。サンマの季節も終わる頃、息子は自分一人でサンマを見事に食べれるようになりました。滅多に夕飯を一緒に出来ない主人に息子が外したサンマの骨を残して見せたこともあったほどです。

 箸遣いだけは恥ずかしくない子に育ちました。その息子も今では一人の子供のお父さんです。

 キャラクター付きがどうだとか、プラスチックがどうだとか思っていた私自身が滑稽に思われます。ふとした時にあの黄緑のプラスチックのお箸を思い出します。子供用の小さなお箸です。今の私は、あのお箸に心から感謝しています。

コメント (4)
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