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先日、私より少し年下の方の書いた随筆を読んでいました。(少女の頃読んだ「秘密の花園」に)の一文に目が留って、いえ、心が止まってしまいジッとその言葉だけを見つめていました。その言葉、「少女の頃」です。
少女って、幾つぐらいの女の子を指す言葉でしょうか。広辞苑によれば、こむすめ、童女とでています。生まれた時から性別はあるものの、男の子と女の子の差が言葉として初めて区別されるのが、少年、少女です。少女と聞くと実際幾つぐらいの女の子を想像するでしょう。7、8歳の女子を思い浮かべます。じゃあ、幾つぐらいまでをいうのかしら。12、13歳ぐらいまでかな。今の子供たち服装も言葉遣いも早く大人に近付いているように思います。息子一人しか育てなかったので、どうも女の子の成長過程が身に馴染んでいません。
この「少女の頃」の言葉に心が釘付けになったのは、実は、私自身の中に「少女の頃」が存在しないのです。自分が少女だった頃が完全に欠如しています。うまく現せませんが、自分を少女だと思った記憶がありません。長じては、自分の事を振り返る時表す言葉に「少女の頃」という言葉が見当たりません。いつも私が使うのは「子供の頃」です。人から見れば、私にも「少女の頃」はあったかもしれません。ところが私自身の中にはその言葉は、皆目存在しないのです。急に虚しくなりました。
「乙女」という響きほどでもないにしても、「少女」にはそれなりに莟が開く前のやさしさが感じられます。華やかでないけど、その予感を漂わせる言葉です。
女性は、年齢によって身体的な変化もあります。その変化が女らしさとも通じるものがあるわけですが、小さい時から女を感じる子供もいれば、おばあさんになっても色褪せない老女がいます。自分を振り返ってみると、子供から大人への変化しか見られません。しかも随分と長いこと、子供のままであったようにも思います。
サザエさんのワカメちゃんのように、刈り上げたおかっぱの容姿そのままに子供の時代を長く過ごしました。中性的と言えば聞こえがいいのですが、言い換えれば宙ぶらりん。女なのだという意識の低さです。
「少女の頃にね、」とはっきり言える女性が羨ましく思います。私にとっては、取り返しのつかない「少女の頃」です。