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作家のカズオイシグロさんをずっと同じ年の方だと思ってきました。読み終わった本の奥付で、六十歳と年齢が出ていました。あらら、随分私よりお歳が上だわと思います。その数日後、「ご主人がもうすぐ六十歳ですが、ご帰国ですか?」と知人からメールをもらいました。確かに主人、この8月で59歳、来年になれば六十歳です。そしてこの私、主人と同じ年、早生まれですからやや六十歳になるには時間がありますが、大した違いではありません。作家のカズオイシグロさんと同じ年ではありませんでしたが、随分お歳が上でもないと気付きます。
人様に年を隠すようなことはありません。ちゃんと58歳ですと申し上げます。58歳、2年すれば六十歳。明白なことですが、遠くの方に霞んで見えている数字でした。会社勤めをしていませんので、定年退職まであと何日などと繰ることもありません。現実味がない、実感が湧かない、自分が六十歳を迎えることがどうも見えてこないのです。
でも、鏡の前に立てば、しみも白髪もしわもある自分の顔がそこにはあります。毎日見ていますから、急に歳をとったわけではありませんが、10年前に比べれば、目尻も下がって来ています。体の衰えといったら、ここにきて急に眼鏡を必要とする場面が多くなりました。ずっとかけているのではなく、鼻眼鏡。鼻の頭にのっけて、面倒なときは頭にのせています。体の何処かに痛みがあったり、不自由はまだありません。大きな病気も今のところ心配なさそうです。身体的なことは自分が一番よく解ります。自分自身には隠しようがありません。歩く速さも、走る速さも随分遅くなっています。今の歩く速さは今の自分に一番合ったものだと、過去と比較しないことにしました。体に、無理をさせないコツを掴み始めています。
精神的にも、本を読む集中力が落ちたと気付きます。物事を続ける気力が落ちたと気付きます。こればかりは非常に焦りました。ところが不思議なもので、好きなことなら、いつまでも続けることが出来、好きなジャンルの本なら、集中して読んでいます。
こんなふうに、自分自身を洗いざらい見直してみます。するとマイナスの方向ばかりが目立ちます。年を重ねることは面白くないことばかりです。そんなことはないなあ、この所とても気持ちが落ち着いているのです。
六十歳、あと一年と8ヶ月後にやって来ます。なんだか、六十歳という恐ろしいものがやって来るような気構えになりますが、何のことはなくいつものように朝目覚めれば六十歳になるだけです。若い時に比べれば、体力の精神力は下降気味、その下降気味の中でも落ち着きを見つけることが出来るのが60代なのかしらと思います。いや、人に寄っては、この六十歳を機に、またひと度、新しい力を付けるべく励む人もいるのでしょう。
六十歳、暦を一巡りした還暦です。今と変わらぬ毎日を重ねながらその日を迎えます。そして、あまり変わらぬ毎日を重ねてその後を生活します。ただ分かっているのは、今までと同じ長さは生きられないこと。そして、先が見えているだけに、自分が少し見えて来ただけに、あれもこれもではなく、何かに向けて時間を紡ぐことが出来そうに思います。
誕生日でもないのに、目の前に続く自分の時間と自分の後ろに残した自分の時間を考えた数日でした。