曇り,19度、97%
母が逝って2年半が経ちました。いい事も悪いことも,お恥ずかしい事も人様には言い辛いことも,少しずつ書けるようになったと思います。これも時間のおかげです。
母の足が不自由になって,最終的には一日3交代、毎日ヘルパーさんにお世話になりました。その頃から,お金の出し入れ、ヘルパーさんたちへの挨拶のためなどで2月に一度福岡に帰るようになりました。その後、母を施設に預かってもらうことになりました。
香港から福岡の直行便は,午後三時頃福岡に着きます。その足で,母の元に向かいます。荷物には母の大好きな私が作ったあんこものが入っています。空港からの道すがら和菓子屋さんがないので作り始めた私の和菓子です。和菓子が大好きでした。施設にいると思うように和菓子が食べれません。手作りの和菓子というと親孝行のようですが、実は義務的な気持ちでした。
施設に着くと,すぐに母に和菓子を食べてもらいます。一段落着くと,必ず,私の服装の話をします。「今日のそのストールは,色が凄くいいわね。」「そのカーディガンの襟は洒落てるわね。」「人様の目があるから,そんなズボンを履いて来ないでね。」
褒めてくれることばかりではありません。「人様」つまり施設の職員の方や同じフロアーの入居者の人のことです。私などは人目を気にしませんが,人からどう見られるか,遠く飛行機に乗って帰って来た娘というより、見舞いに来た身内がみすぼらしい恰好をしているのが嫌だった人です。
といっても,私はただでさえ旅の荷物を少なくと思います。女ですから旅先で下着やソックスを一晩で乾かすこつぐらいは心得ています。母の施設を訪れること,実家の荷物の整理が私の大きな目的だった当時の帰国です。毎日服を取り替えて行くこともしませんでした。
ある冬事でした。荷物を重くしたくないと思い、メインの服は一通り、それに三枚のスカーフを持って帰りました。スカーフは最近使う人も少なくなっていますが。軽い上に,大判のシルクスカーフを拡げてコートの下に羽織れば、とても暖かです。三枚のスカーフは,黒いセーターの襟に小さく巻きます。母の元に行く時,毎日違うスカーフをして行きました。3日目、母が「毎日違うスカーフっていうのも,なかなかいいわね。」と言います。
母が目を付ける私の服装は、私自身がここと思っているところです。いい物をきちんといい物と分かる人でした。そんな服装と言われたクロプトパンツは,香港のローカルの品、別の時に同じクロプトパンツですがいい物を着て帰った時には絶賛です。そして,いい物のときは,必ず,「どこの?」と聞くのも母でした。
もうこんなこと,いい事も悪い事も言ってくれる人がいなくなったなあ,とやっと最近気付きます。着る物も,その好みも全く違う母でした。時折、母が褒めてくれた物を出して来ては手に取ります。