チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

嬉しいことは声に出して

2016年01月15日 | 日々のこと

雨,14度、97%

 香港の中国に近い山を主人と毎週のように歩いていたのは,もう20年ほど前のことです。30歳後半40歳初めの頃でした。毎年11月にある香港の100kトレールに参加する主人は,5月頃から少しずつ身体を作り始めます。日差しも強くなり始めるこの時期から殆ど毎週のように山に入ります。四人一組でチームを作り参加するこの100kトレールですが、皆さんお仕事がある身ですので、四人揃っての練習は直前になります。この私、100kトレールには参加したことがありません。山に入るのは小さい頃から好きです。香港の山はそんなに高くはありません。高くはないものの高低のある山道をステージごとの歩きます。

 高層ビルばかりが表の顔になっている香港ですが、山の中の自然はどこにも引けを取りません。野生のイノシシや野ブタにだって出くわします。大きな蛇にだって出くわします。ヤマユリが咲く岩場を目指して歩くことも、野生の牛のフンを踏んづけたり、タヌキのような動物の屍が白骨化しているのを見つけたり、そして何より空気が美味しい。ルートによっては、海辺を通る事もあります。そんな時はひと泳ぎ。いやはや、今考えるとよく歩いて元気だったと思います。

 当時、息子は既に高校で日本に帰っていました。両方の親達もまだまだ元気でした。私も仕事が一番忙しかった頃です。夏休み、冬休みなどは朝9時頃から夜9時頃まで仕事をしていました。

 山に入ると道なりが険しくきついということよりも、心が解放されるような気がします。小さな自然の営みを見ると、こせこせと動き回っている自分もなんと小さいことかと感じたり。鬱蒼とした木々の間の坂道を抜けると、急に海を見下ろす絶壁に出るところがあります。上の方に小さく見えていた空が段々大きくなって、ワッと目の前に海と空が出現して来る山道です。登りきった私は、「きれいねえ。」と思わず言いました。そこをすかさず、「おまえがきれいね、なんて言っていられるような状態ではないだろう。」と主人。日本に帰った息子の素行がよくなかった時期です。私の母と主人の仲は最悪の頃でした。「「息子のことを考えてみろ、自分の母親のことを考えてみろ。」と毎日のように言われていました。思わず口にした「きれいねえ。」心の中に大きく膨らんだ黄色い風船が急に萎んでしまったような想いが残ります。そして、いつものように口を閉じます。心を閉じます。表情も閉じます。パタパタパタ。

 口にするとそこから糸口で何か言われます。だから口を閉じるのが一番です。嬉しいと思っても、顔にも出さず、口にもせず、一人心で思います。その頃の私はそうして時間を過ごしました。それでも、山には週一回お付き合いをします。きれいな鳥の鳴き声を聞いても、黙って、鳥の姿を探しました。

 数日前、冷え込んで来た澄んだ空気の中を早朝走りに出ました。走りながら、その空気、その空の色に「気持ちがいいねえ。」と口に出して言いました。すると、自分の声がもう一度耳から戻って来ます。気持ちがいいが2倍になって感じられます。

 嬉しいこと、楽しいこと、幸せだと思う気持ちは声に出してみると、その声を聞くことで増幅してまた自分に戻って来ます。声に出すことは、そんな効果があるなあと気付きます。

 どこの家庭にも、夫婦の間にもいろんな時期があります。声に出して嬉しいことを言える、そんな小さのことに喜びを見つけることが出来るのも、きっとあの時期があったからだと今では思えます。

コメント
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