また更新中に飛んじゃいました。
まだ先だと思っていた3連休でしたが、あっという間に到達しちゃいました。
体調不良に人身事故、台風と毎日の残業。疲れ切ってしまって、連休の行動予定もたちません。
記事の選択も疲れているとなかなかまとまらないのですが、残り写真を見ていて久し振りに飯田線ネタを思い付きました。
で、今日はモハ42系の制御車であるクハ47104をご紹介したいと思います。
クハ47は、大まかにモハ32系の制御車と、モハ42系の制御車の2種類があります。その辺の解説は、過去ログ『身延線 クハ47 0番代 50番代』に記載していますのでご覧ください。
また、細かい話ですが、クハ47100番代の中でも、便所横の有無により、2つの形態が存在しますが、100~114の偶数車で構成される車両の中でも、104だけは便所横の窓を全部埋めてしまった異端車になります。
説明できるような写真資料はないのですが、Nゲージ製作の際に作り分けをしており、マル鉄コレクション館『Nゲージ GMキット改造 クハ47100番代』で解説を載せてありますので、興味がありましたらどうぞ。
昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて
入換中のクハ47104を撮影したものです。この撮影をしてからいくらもしないうちに運用から離脱し、廃車になっています。しかし、検査を上がったばかりのように、車体が非常にキレイですね。
2扉間にズラリと並ぶ小窓は、客車でいうところのスハ32のような、旧きながらも洗練られたスタイルで好きでした。
昭和58年1月11日 中部天竜駅?
走行中の電車の中からで定かではないのですが、風景から中部天竜駅を出発したところだと思います。※この写真は大~きくなります!
クハ47104が留置されているのが現在の佐久間レールパーク前の側線で、さらにその奥に見える群線が中部天竜区(現佐久間レールパーク)と思われます。正面の電車の合間から見えるコンクリート製の建物は、坂を下ったところにある中学校だろうと思います。ついこの間行ってきたばかりなので、写真を見て非常に懐かしくなってしまいました。
クハ47104は、最後まで活躍した2扉制御車の中でも、一番最後まで残った車両でした。
本当は便所側を撮っていれば良かったのですが、残念ながら当時はそこまで詳細な知識もなく、また、走行写真を多く撮っていたので、あまり形式の細かいところまでの分析写真は撮っていなかったですね。
でも、好きな車両たちに、最後の最後でもたっぷり触れ合うことができて、当時は満足でした。
まだ先だと思っていた3連休でしたが、あっという間に到達しちゃいました。
体調不良に人身事故、台風と毎日の残業。疲れ切ってしまって、連休の行動予定もたちません。
記事の選択も疲れているとなかなかまとまらないのですが、残り写真を見ていて久し振りに飯田線ネタを思い付きました。
で、今日はモハ42系の制御車であるクハ47104をご紹介したいと思います。
クハ47は、大まかにモハ32系の制御車と、モハ42系の制御車の2種類があります。その辺の解説は、過去ログ『身延線 クハ47 0番代 50番代』に記載していますのでご覧ください。
また、細かい話ですが、クハ47100番代の中でも、便所横の有無により、2つの形態が存在しますが、100~114の偶数車で構成される車両の中でも、104だけは便所横の窓を全部埋めてしまった異端車になります。
説明できるような写真資料はないのですが、Nゲージ製作の際に作り分けをしており、マル鉄コレクション館『Nゲージ GMキット改造 クハ47100番代』で解説を載せてありますので、興味がありましたらどうぞ。
昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて
入換中のクハ47104を撮影したものです。この撮影をしてからいくらもしないうちに運用から離脱し、廃車になっています。しかし、検査を上がったばかりのように、車体が非常にキレイですね。
2扉間にズラリと並ぶ小窓は、客車でいうところのスハ32のような、旧きながらも洗練られたスタイルで好きでした。
昭和58年1月11日 中部天竜駅?
走行中の電車の中からで定かではないのですが、風景から中部天竜駅を出発したところだと思います。※この写真は大~きくなります!
クハ47104が留置されているのが現在の佐久間レールパーク前の側線で、さらにその奥に見える群線が中部天竜区(現佐久間レールパーク)と思われます。正面の電車の合間から見えるコンクリート製の建物は、坂を下ったところにある中学校だろうと思います。ついこの間行ってきたばかりなので、写真を見て非常に懐かしくなってしまいました。
クハ47104は、最後まで活躍した2扉制御車の中でも、一番最後まで残った車両でした。
本当は便所側を撮っていれば良かったのですが、残念ながら当時はそこまで詳細な知識もなく、また、走行写真を多く撮っていたので、あまり形式の細かいところまでの分析写真は撮っていなかったですね。
でも、好きな車両たちに、最後の最後でもたっぷり触れ合うことができて、当時は満足でした。