マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

24系「あけぼの」 庭坂の大カーブ

2007-05-24 10:23:35 | ブルートレイン:機関車・客車
こんばんわ。

今日はブルトレつながりで、またまた懐かしい写真をお届けします。

山形新幹線の開業に向けた改軌工事により、スイッチバックの廃止、優等列車の迂回、そしてEF71全廃やED78の同区間運用撤退など、当時を騒がせた奥羽本線ですが、夏至の頃の上り「あけぼの6号」は撮影ができるという情報がありましたので、友人と撮影に行ってきました。もちろん、日の出が早いとは言え早朝の撮影になりますので、結構ハードな撮影だった記憶があります。

この「あけぼの6号」の運用は、EF71+ED78の重連仕業でもあるため、かなり人気は高かったようで、撮影の厳しい条件下ではありましたが、我々の訪れた日もかなり多数の撮影隊がおりました。


平成2年6月30日


平成2年7月1日 奥羽本線 赤岩~庭坂間にて
EF71+ED78牽引 あけぼの6号

上の写真は撮影1日目。ご覧のとおり霧雨っぽいような天候で、ISO400のフィルムでも1/125を切るのがやっとな状況でした。
編成は、機関車重連+カヤ24+24系24型。白帯がアタマから最後尾まで整った完璧な編成でした。
せっかくのシチュエーションだったのですが、生憎の天候で仕上がりも心配でしたので、翌日も訪れることになります。仕上がった写真をみると、まぁ、幻想的でそれなりに見れる写真ではあったのですが・・・。

下の写真は、前日の仕上がりに不安があったので、予定を変更して翌日に再度挑戦したものです。前日ほど悪くはないのですが、相変わらずどんよりした雲が出ています。もしかしたら、山のふもとなのでこの時期はいつもこんな感じなのかもしれません。
この日の編成は、基本的に前日と同じですが、カヤがカニ24に変わっています。もう少しきれいな写真を撮りたかったのですが。

現在では上越・羽越経由で北を目指している「あけぼの」ですが、その実態は「鳥海」や「出羽」、その前はさらに急行「天の川」などをルーツとする列車ですので、自分的には東北本線(EF651000)や奥羽本線(EF71+ED78、ED75)のイメージが強く、改正に伴って本家を失った感じは否めません。それでも、夜行列車の需要低迷が顕著化する中で、「あけぼの」のヘッドマークを掲げて走るEF81+24系の雄姿をいつまでも見続けられることを願って止みません。
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14系(ハザ) 踊り子号

2007-05-23 01:57:42 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

昨日の「つばさ51号」につきまして、take様からのコメントで14系使用の臨時「踊り子」号のお話をいただきました。
そこで、まだスキャニング等の準備をしていない題材だったのですが、良い機会でしたのでこれを至急で作業し、やっとデータが出来上がりましたのでアップいたします。

伊東線・伊豆急行線は戦後早い時期からの電化路線でしたので、団体列車を除けばあまり客車列車の乗り入れのイメージがない路線でしたし、185系化以来波動用の特急車輌はかなりの余力があったはずですので、わざわざ客車列車の臨時を走らせる必要ななかったと思われます。たしか「お座敷踊り子」なる客車多客臨が発端でこの14系「踊り子」が走り始めたと記憶しております。

SL派に移行する時期にあった私にとっては、本来撮影の対象になり得ない被写体だったような気もしますが、折からのEF58引退ブームも引き金になっていたのでしょうか、東海道のブルトレの撮影と併せて、この14系「踊り子号」の撮影に出掛けています。



昭和58年5月14日 保土ヶ谷~戸塚間にて EF5868牽引の14系「踊り子」

初めて14系「踊り子」を狙ったとき。もちろんEF5861を期待していたのですが、この日は68号機でした。確か、この頃はEF58の限定運用ではなかったと記憶しており、EF58であっただけでもラッキーだったように覚えております。
関係ありませんが、この写真を撮ったときは、これから山口線・瀬野八・飯田線と壮大な撮影行に出発する第1弾目としているところが、若かりし頃のタフさを思い起こさせます。

 

昭和62年2月13日 保土ヶ谷~戸塚間にて EF65牽引の14系「踊り子」
 
同じ場所で芸がないのですが、東海道ブルトレの撮影の際の第1弾目の撮影。この日は残念ながらEF651000番台でした。それでも、今となってはこのEF65でさえ客車を引く機会がありませんので、そういった意味では「古き良き時代」の部類に入ってしまうのでしょうか。残念ながら、前ピン+被写体ブレでまるで作品にはなっていません。遠くから見てください・・・。



昭和62年2月14日 撮影場所不詳 EF5861牽引の14系「踊り子」

以前にアップした「憧れシリーズ」の写真の再掲になりますが、ネガを整理していて撮影日が特定できました。なんと、前のEF65牽引の「踊り子」の翌日でした。
こちらの日は、確か事前にEF5861牽引の情報が公表してあったように記憶しています。やっと来た!という感じでした。


14系「踊り子」号は、どちらかといえば「臨時」より「イベント」的要素の強い列車に感じられました。しかし、東北・上越新幹線の開業以来、14系客車は一般の夜行急行等にばかり使用され、臨時特急として設定される列車はほとんど皆無であった時代でしたから、例えイベント的要素が強いといっても、終焉を迎えるEF58の最期の活躍の場として貴重な機会を与えてくれた列車と言えるのではないでしょうか。
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14系(ハザ) 「はつかり51号」

2007-05-22 01:05:00 | 客車 列車・車両(ブルトレ以外)
こんばんわ。

今日は、懐かしいと思う人には思いっきり懐かしいと思われる、14系客車使用の「はつかり51号」をお届けいたします。

まだ東北新幹線が開業する前は、急行列車でさえ「優等列車」と呼ばれるにふさわしい速達性を発揮していた東北本線では、上野からですと福島以遠となるような移動の場合には、特急列車の需要が相当ありました。特にお盆や年末年始の帰省客輸送においては、昼間は増発の特急列車、夜は夜行急行といった図式が当てはまっていたといえると思います。
その中でも、特急列車については増発に対応する編成数には限界がかなり近かったと見え、昼間の「はつかり51号」「つばさ51号」、そして夜行の「ゆうづる51号」「あけぼの51号」には14系座席車が使用されていました。

今日ご紹介いたしますのは、14系座席車を使用していた「はつかり51号」です。


昭和55年4月27日 蕨駅にて 14系 はつかり51号


昭和56年5月 蕨~南浦和間にて 14系 はつかり51号

東北本線の14系特急と言えば「つばさ51号」と言われるくらい、その歴史は古く、多客期には必ず運転される名物の列車でしたが、当時2往復しかなくて供給が不足していた「つばさ」に対し、5往復も設定されていた「はつかり」に臨時が設定されたときはかなり意外でしたし、14系のテールマークの珍しさにときめきを感じました。
120km運転のできる電車特急に比較して当然ながら鈍足となりますが、東北新幹線開業の間近まで運転されていたことは意外なところだと思います。

また、「つばさ51号」は常にEF651000番台が牽引機であったのに対し、「はつかり51号」は常にEF58が牽引していたことも特筆されるところです。

今でこそ14系(ハザ)は指でも数えられるくらいの残存数となってしまいましたが、臨時特急の象徴でもあった同系が一番「らしい」仕事をしていた頃かもしれません。
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183系0番台 「あずさ」

2007-05-21 21:45:28 | 特急型電車(直流)
こんばんわ。

今日は、183系0番台の「あずさ」の写真を拾ってみました。

当時は、中央本線にはあまり縁がなく、181系時代に写真を撮れなかったこともあったので、まだ「新鋭車輌」であった183系0番台や増発により誕生した183系1000番台にもあまり興味がありませんでした。たった2枚しかないのですがアップしたいと思います。


昭和53年2月19日 新宿駅にて 183系0番台「あずさ」

まだ53・10改正前ですので、絵入りマークではありません。この当時は房総方面の特急列車で183系0番台を見慣れていましたので、特に感動はありませんでしたが、多分、中央快速に乗るときにタマタマいたので撮っただけだと思います。今となっては、文字マークの「あずさ」の写真はこの1枚だけなので、自分的には貴重な1枚となってしまいました。


昭和58年1月12日 中央本線 川岸~辰野間にて 183系0番台「あずさ」

これは、飯田線の旧型国電を撮りに行ったときに、狙っていたわけではなかったのですが、セッティング中に偶然来たものを撮影しました。
この頃、上越線の「とき」が上越新幹線の開業により既に廃止となり、大量の183系1000番台が余剰により流れてきたため、幕張区の0番台が「あずさ」から撤退する頃でした。また、特急がみどり湖経由になるため、この区間は特急が走らなくなるという情報もあり、記念写真的に撮りました。

このあと、「あずさ」はグレードアップ化塗装変更などでオリジナル感を失ってしまい、私自身がSL派への転向等もあって、183系1000番台ですら1枚の写真も撮っていないという疎遠な列車となってしまいました。
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485系「やまびこ」(さよなら「やまびこ」)

2007-05-20 01:23:06 | 特急型電車(交直流・交流)
今日は、私にとって思い出深い撮影記録のひとつ、485系「やまびこ」の最期の力走をお届けいたします。

特急としての「やまびこ」は、上野~秋田・盛岡間に走った「つばさ」が原型となります。東北本線電化の伸長に伴い、上野~盛岡間の特急を電車化し、ここに483系の特急「やまびこ」が誕生いたしました。

当初はオール483系で、勿論先頭車はボンネットスタイルでしたが、北陸特急「雷鳥」で見られた赤スカートとはならず、クリーム1色のスカートでした。
間もなく、東北本線の電化は青森まで到達し、583系の登場とともにこの「やまびこ」や一部の「いなほ」「ひばり」といった特急たちと「青森運転所」車として共通運用を組むことになり、比較的早いうちに「やまびこ」ボンネット車は姿を消しています。

電車化以来、長きにわたり「盛岡特急」として走り続けてきた「やまびこ」ですが、東北新幹線の開業に伴い、その名称を譲るとともに、発展的解消をもって廃止となりました。

以下の写真は、最終日と最終日前日に最期の「やまびこ」の雄姿を収めるため、撮影に出掛けたときのものです。


昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて


昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて


昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて

撮影1日目である21日は、藤田駅附近でED71を撮影し、そこから貝田へ移動、次の越河まで歩きながら1日掛けてたっぷり撮影しました。2日目である「やまびこ」の最終日は、南福島~金谷川までやはり徒歩で移動しながら撮影したのですが、地形が非常に悪く足場がなかったため、時間をかけた割にはあまり撮影ができませんでした。ネガを見ても、「やまびこ」が1枚もありません。



昭和57年6月22日 東北本線 宇都宮駅にて 上り最終「やまびこ8号」

そして、福島から最終列車となる上り「やまびこ8号」に乗車し、帰路につきました。
途中、東北本線における停電事故のため、宇都宮駅に30分以上は停車していたと思います。普通だったら頭にくるのでしょうけど、「さよならマーク」を付けた特急列車に乗っていて写真を撮れることなど滅多にありませんから、「ここはチャンス!」とばかりに友人と交代で対向側のホームへ行き、写真を撮ることができました。

定刻より大幅に遅れて走りましたが、終点上野まで乗車したこと言うに及びませんよね。
「さよなら!やまびこ」
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