蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

万年18歳らしいですが。

2010-11-22 | 思い出
ある方のブログを読んで、母のことをあれこれ思い出した。

この世にいる場合と、いない場合。
元気な場合と、病気の場合。
仲がいい場合と、疎遠な場合。
その状況によって、いま、現在のリアルタイムの思いは違ってくるだろう。

過去の姿は、いまが、どんな状況であっても、同じかも知れない。
若いころの母は、どんなにいま、年がいっていても、思い出の中では若いままだ。


母は、わたしが固定観念として描く、母、嫁のタイプとは違っていた。

わたしが小さいころの、頭に焼きついている思い出の数々。
強く、いちばんに思い出すのは、過激な喧嘩シーンばかりだ。


夫婦喧嘩で父の指にガブリと噛みつき、まだまだ炎は燃え上がる一方で、
祖母が周りをうろうろして止めようとしていた。
「もうやめとき」と、おろおろ。
おばあちゃん、かわいそう。
(父は、その後しばらくの間、包帯を巻いていた指が痛々しかった)


仕事が超多忙のため、滅多に顔を合わせられない父と母。
いつも、父を見つけるなり不平不満&文句を機関銃のように浴びせていた。
わたしが、「そんなにいきなり文句ばっかり言わんでも・・・」と言うと、
「なかなか会えないんだから、会える時に、言っとかんと、次はいつ言えるかわからんから」
と、母の論理。
ひょっとして、正論かも。


ドタンバタンと2部屋を転げ回り、マンガみたいに派手に繰り広げられる
取っ組み合いの喧嘩を目撃して、わたしは怯えていた。
姉たちは、けっこう、冷静だったように思う。

熱血夫婦なのかなあ・・・

その割に、けろっと「おとうちゃん、好きやー」
なんて、母は父に言う。
子供たちの目の前で、いちゃいちゃ、でれでれ。

別のシーンでは、
父はしょっちゅう、「おかあちゃん、大キライや。離婚したい」と、こぼす。
それを横で母が「わははは」と大笑いし、
「そんなこと、考えたこともないわ~」
と笑い飛ばす。
これは、いつもの定番シーン。

でも、ある時、父が、冷えたトーストを出され、たまたま虫の居所が悪かったのか
トーストを室内で、野球選手のように遠くに投げた。
わたしはそのとき、ひゅーんとまっすぐに飛ぶトーストを見て、マンガみたい、と思ったかどうか、
それはともかくとして、
ただ客観的にシーンとして、ミニ動画が映像として頭に残っている。

行き倒れのように、意識不明のまま寝る。
これが、ある超・多忙時期の、母の寝方だった。
「人間は1週間ぐらい寝なくても大丈夫」と豪語する母。
実は、本人は1週間ぶっ続けで起きていると思っていても、無意識のまま爆睡して、
睡眠がとれていたのだろう。
ガス欠になり、動かなくなって止まったときが、睡眠の時だったようだ。


時代のせいといえば、それまでだが。
とにかく父と母は、よく働いた。
いまは、そういう激務は誰もやりたがらないので、社会問題にもなっている。


学友の家に行くと、三食昼寝つきの専業主婦のおかあさんが、実にだらしなく怠け者に見えた。
そのおかあさん達は、家事を終え、休憩タイムだったのかも知れないが、
いつも、だらけた雰囲気がしていた。
子供の目は鋭いから、例え、子供と言えど侮らないほうがいい。
何十年たっても、(きっと一生)、子供の学友に、その姿を鮮明に覚えられていたりする。
いつもは、だらけていても、子供の友達が来た時は、取りつくろうぐらいが、無難だ。


父(享年78歳)を亡くしたあと、母は、ぽつりと言った。
「こんなにおとうちゃんに支えられていたなんて、いままで気付かんかった」

なに言ってん?
わたしは、冷静な気持ちで思ってしまった。
いまごろ、なに言ってん?
自分ひとりの力だと思ってたん?

万年18歳を自称する母。
そこで、母の年は止まっているそうな。
父と結婚した年齢だ。
80を超えているのに、
「おかあちゃん、このごろ、顔にシワが出てきてなあ・・・。なんでやろ、年なんかなあ」
と言う。

なんなんだ? このひとは?

力は100万馬力。いまでも、いまの私よりずっと力はあるし、働き者。
いくつになっても、母には負ける。

最近、掃除やら作業、力仕事をすると、
ちょっと、人並みに老化の波が押し寄せている様子だが、
さすがに本人は18歳のまま、とは言わないようだ。



今日も実家で会合があり、母と会うのだが、
フルーツ・アラカルトやら、なんやらかんやら用意して、待ってくれている。

「あんたのその服、また変わった服やなぁ。
そんなんが、流行ってるん? いったい、どこが、いいん?」
なんて、また、どんな文句を言われるんだろう。


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