今日は、からっぽ病に侵されている。
アタマが、空っぽ。
なにも、アウトプット発信するものがない。
こころって、生きている。
なにも原因がないのに、上昇したり、下降したり。
不思議。
思い当たるフシはない。
上娘から、嬉しいメールが来たりして、
昨日は、じんわり喜んだのに。
毎日、少しずつ生きて行けば
人生って、特別なことはしなくても、じっくり、ゆっくり進むものなんだなあ・・・
そう、感じたばかりなのに。
今日は、一変して、なんだか元気がない、わたし。
今日から2月。
はやいものです。
自分の老後を考えたりして、ちょっと落ち込んだ。(もうすでに老後?)
いまのまま、このままの延長で、いきたいけれど、
無理なんだろうなあ・・・と、ため息。
夫の実家の玄関や、門をアタマのなかで再現させて、
ぴしゃりと内側からカギをかけ、
郵便屋さんがチャイムを鳴らす度に、(あのメンドーくさい旧式ネジタイプの)カギを
ガチャガチャ、くるくる、いちいち開けて顔を出す自分を想像した。
あの奥サン、かなりの変わり者ですねえ。
ご近所の声が聞こえてきそう。
毎日、毎日、夫の食事の用意をし、ふたりだけで、過ごす、あの家。
考えただけでも、・・・・・
「住めば都」と、よくいうじゃない。
ほんとう?
子供は、だんだん大きくなり、親から離れ、
ひとは、だんだん年をとり、やがて死ぬ。
いまのわたしは、子供が離れ、老いた親がいる、その中間をうろつき彷徨っている。
わたしのことを「子離れしていない」と、あるひとに指摘された。
「そんなことないよ」と例をあげ、反論すると、「いいえ、してない」と、きっぱり言われた。
経済的にでもなく、時間的にでもなく、労力的にでもなく、「精神的に」だそうだ。
恋人とか、そういう男女の愛なら、あきらめもつくだろうけれど(あくまでも想像)、
子供への精神的依存心は、大人として自立できてない証拠とのこと。
これが、双方、お互いに依存し合っていれば、いいのかどうかは、わからないけれど
(いや、それのほうが、もっと深刻か)
一方通行の片思い。
ひとに指摘されるほど、依存しているかなぁ・・・
自分では意識がない、ただ、とても子供たちのことが大好きなだけなんだけれど。
それが、よくないのか。
はやく、子離れしなければ。
夫婦は、両輪という。
結局は、夫婦だって。
やっぱり、子供に依存しているかもしれない、わたし。
なぜなら、夫婦だけになったら・・・そう考えただけでも・・・・・
なにもしなくても、なにかしても、時間はどんどん過ぎて行く。
時間がうしろから、押してくる。
渡っている最中に、うしろの一方が切れた桟橋を、全力で走っているようだ。
向こう側に到達するまで、桟橋は、もつ?
自分の体力は、もつ?
渡りきれるか?
谷底に転落してしまう?
切れて垂直に垂れ下がった桟橋に、しがみついて、ぶら~んと、宙を舞っている?
谷底への眺めは、どう?
風が吹く度に、ぶら下がったまま、崖にぶち当たって、痛い?
こんなことをうだうだ書いていたら、またもや
「あなたのブログは、暗い」と言われそうだ。
あるお方のように、
いい部分だけ、キレイなことだけをのせるブログにしたほうがいいのかも知れない。
あーー、ジメジメ、暗くて、すっきりしたー。
読んでいただいた方には、汚染・感染されないことをお祈りします。