蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分に自信を持つには、どうすればいい?

2011-02-22 | 人生
自分は、年をとったなあ・・・と、つくづく思った。

大阪市内の繁華街ど真ん中に、今日で2回目のダンス教室がある。

今日は、2レッスン、続けて受講した。
帰りは、延々、賑やかな商店街を通って、電車の駅に向かうのだけれど
買いたいものも、興味あるものも、ない。
財布のヒモがきついのではなく、自分の好みが、商店街に合っていない。
というか、商店街の対象年齢が、自分に合っていない。
どう年がいっても、10代~30歳ぐらいまでがメイン歩行人なんじゃないだろうか。
そうすると、あまりにも自分は世代的にズレすぎていて、落ち着かない。
違和感を感じるし、浮いているし、おもしろくもなんともない。

雑多な人で、ごった返す繁華街で、わくわくするお年頃なんていうのは、若いときだけ。
(ただし、外国は別)
ファッションや異性に、キョロキョロしたり、素敵な同世代の人の姿に、刺激を受けたり。
時には、ナンパなんてハプニングもあるだろう。
犯罪の温床や、世俗にまみれたものが、消毒されないまま、うようよ。

わたしの年で、都心部のそんな賑やかなところで、そんな楽しみ方をしている人はいるのだろうか?
おばちゃんは、おばちゃんで、群れになって、ホテルのランチ席を占領し、
おっちゃんは、おっちゃんで、赤提灯で、身を寄せ合って安酒を片手に愚痴る。
あえて、わたしは、おばちゃん、って言いたかった。
彼女たちは、「おばさま」と思っているかも知れないけれど、
わたしの目から見ると、おばちゃんだ。
一流ホテルで着飾って、お高いお食事を召し上がっても、やっぱり、おばちゃん。
おほほ、って、上品ぶって笑っても、おばちゃん。

お金をたくさん払える人が、おばさまで、あまり払えない人が、おばちゃん、ということはない。
お高くとまっていても、だめですよ。
カテゴリー分類、わたしの定義は、そんなのじゃない。

中には、とても下品なタイプの方々がおられるけれど、それは、おばちゃんではなく、おばはん。
男性の場合は、おっさん。


かつて、わたしは、デパートは好きだったが、いま、都心で楽しめるものは、もうデパートではない。
これは、年のせい?
見て歩くだけで目がこえる、楽しめる、ということだが、そういうことは、今はない。
ショーウインドウに映る自分の姿が、意外なほどに、おばさんなことに衝撃を受ける。


人は、年齢を重ねる。
若さを永遠に持続したいと願う、理にかなわない不可能なことを望むが故に、不幸を味わう。
年がいって、いいことなど、ひとつもない、と嘆くお年寄り。
そうなの?

楽しく年を重ねるということは、ありえないのだろうか。
若い=素晴らしい  年寄り=みじめ  ですか?
そんなことは、ないはず。

熟女の定義にしても、男性が作った言葉のようだ。熟男なんて言葉はないから。
先入観を取っ払って、一から自分の基準を構築したいけれど、
あの、おばさん、なんか、へん、って思われるに過ぎない、単にヘンな「お年寄り予備軍」になりかねない。
それは、自分が望むところのものではない。
かといって、若い時の自慢話ほど、みっともないものはない。
だからといって、毎日、健康維持のために、老いらくのスポーツクラブ通いが仕事、というほど、達観できていない。
要は、中年と老年のあいだの、中年寄りの、中途半端な年齢というわけだ。

自分の年齢が上がるにつれ、自分の年齢に自信と誇りを持てる、確固たるものが欲しい。
若さにしがみついているのではなく、かといって、老醜をさらけ出して、ヘーキ、というもの、理想から遠い。

自分の年齢が、次のステージに自分を押し上げていく。
でも、それに自分が対応できていない。
モタモタあがき、年を取る準備ができていない。
季節の移り変わりが来ているのに、季節に合った服がない。

困ったことだ。
けれど、すべての人間が通る道。
それなりに、みんな、自分と向かい、自分に、オトシマエをつけ納得しようと、毎日を暮らしている。


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