蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分の蒔いた種

2011-02-19 | 人々の風景

昨日、日頃、お仕事をいただいている会社の担当者O氏の接待があった。
O氏は、53歳、営業畑ひと筋。
以前にその会社が入っていたビルの地下1階の、とある、お馴染みのお店。

O氏、ここのところ、奥さんと、娘さんが、奥さんの実家に行ったまま、帰ってこないそうだ。
娘さんは、20歳代前半だが、こころの病気で、不安定。
家のお風呂をすごく嫌がるので、何度か改装したらしいが、まだ、病気は回復していないとか。
このO氏、仕事にかこつけて、飲んだり遊んだり、ご帰還が午前様は、日常のひとコマ。
なのに、家族が実家に帰ってからは、家にはO氏ひとりなのに、早く帰るようになったそうだ。

(O氏がおっしゃるには)、家族とは、とても良好な関係だそうだ。

「おとうさん、いま、お風呂入ってるところなの?」
「おとうさん、いま、なにしてる?」など、随時、メールが入ってくると、嬉しそうな顔のO氏。

O氏には、家族が帰ってこない理由は、まったくわからない、と首をかしげつつ、
なんの問題もない、仲良しのご関係に、満足しておられる。

わたしは、この方のお話を聞いて、とても不思議な感覚に襲われた。

というのは、O氏は、なんの問題もないと思っている家族関係、
じつは、問題が山のように積まれていて、そのことをO氏が全く気付いていないということに、
ものすごく驚きを感じる。

O氏の家の隣には、O氏のお母さんが住んでおられる。
奥さんは、結構、気を使われ、苦労されたのではないかと想像する。

O氏は、家族に相談しないで、高級車を買ったり、毎年、沖縄キャンプ旅行を敢行したり、
家族はそのことに何も異議を唱えず、家族は喜んでいると感じておられるようだが、
かなりの、ワンマンおやじだと、わたしは思う。

仕事と遊びの境界がないような生活を何十年も続けて
家族はそれを働くお父さんにはついて回るものと、
経済を担う大黒柱を応援というカタチで、半ば、あきらめつつ、容認してきたことだろう。

女性ともよく遊ぶO氏。お付き合いも、さかん。
聞けば聞くほど、
(べつに、根掘り葉掘り聞き出したわけではないけれど、O氏が勝手にぺらぺらしゃべる)、
その内容には、仕事とも密接にからんでいたりして、
目をそむけたくなる、男性の嫌な面を感じる。
憤りを通り越して、不快を通り越し、言いようのない真っ黒な感覚にとらわれる。

接待中も、ケータイにメールがじゃんじゃん入っていたようだが、
新地の、ごひいきママからの、「お店に来てちょーだい」と勧誘メール。

よくあんな風で、家庭、家族がもっているなあ・・・と前々から思っていたが、
奥さんには数年前から、夫婦関係(夜の部)を拒絶され、
(しかし奥さんは、にこにこ笑顔で、原因は加齢によるNOなので
夫婦に亀裂とかの問題はないと、あくまでプラス思考のO氏)
娘さんのこころの病気の発症、奥さんと娘さんたちの実家へ帰ったままリターンなし、
そういった出来事に、家族の病理や、思いが、行動や現象となって表れているのに、
それを、円満、束の間・別居と捉えている、O氏の感覚が、事態をますます深刻にしているように思う。

常連であるO氏を昔から知ってる、その店のママも、いっしょに話を聞いていたが、
ママとわたしは、女性側の目線が一致し、同じ意見。
でも、立場上、言いたい事が言えないことも、同じ。
なので、「仕事って、つらいですよね~」と、お互いの気持ちを察し合った。


定年後、女房が怖くて、まともに顔を見られない、というお父さん方は少なくないはず。
二人だけになると、なにを話していいか、わからない、と。
自分の悪事、どのあたりまで知って、どのあたりまで許してくれ、どのあたりまで、手遅れなのか、
その、抱えている爆弾が、どんな状態なのか、びくびく、ひやひや。
女房達は、経済のため、耐えがたきを耐え、しのびがたきをしのんできた。

自分の蒔いた種なのに、自分が種を蒔いたことさえ気づかない、
それが、種であることすら気付かない、その神経、発想は、いったい、どこからくるのだろう。


ある定年まじかな熟年男性(関西在住)が、言っていた。
三行半の死刑判決は、ある日、突然ではなく、
不満や言いたい事があれば、少しずつ、小出しにして、改善の余地、猶予を与えてほしい、と。
この方、定年後は、いずれ実家のある九州に帰るつもりだそうだ。
さて、奥さんは、付いてきてくれるかな?


「にこにこ笑顔」というのに惑わされてはいけない。
痛みを感じない病気があって、病気が進行していても自覚症状がないように、
表面上、荒波が立っていないと、事態が深刻になっていても、気がつかない。

ヒステリックに、叫んだり、わめいたり、お皿が飛んできたり、
そういう感情をむき出しにする修羅場のほうが、
静かな笑顔の末期症状に比べると、まだ、回復の見込みがある。

外から見ると見えることでも、当の本人には、まったくわからないものだ。
台風のまっただ中なのに、その真ん中は、静かで風ひとつ吹かないように。

 

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