久々ぶりに、社交ダンスのダンス・ホールに行った。
はじめて行く場所。
一昨年は、活発に挑んでいたが、足の小指、骨折以来、こころも、ぽっきん、折れた。
しかし、耐えて忍んだ苦節のダンス教室では、やっと初級から中級にも進級したことだし、
そろそろ傷も癒えたかも、と、果敢に挑戦した。
ところが・・・・・結果は、無残。
ぽっきんぽっきん、折れ折れ。こころも、鼻も、みんな折れた。
壁に激突したかんじ。
門をノックしたとたん、ノックダウン。
初めて行く場所、どんなウエアがいいのかわからなかったので、
テキト―なものを選んで着たら、やたら派手派手で浮いたかんじ。
そういうときは、地味な目立たないものを選ぶべきだったと、後悔したが、遅かった。
年齢が皆さんよりある程度若いと、それだけで、まわりは、いじわるになる(ような気がする)。
特に女性は、ある域に達するまでは、いくつになっても、美や若さにこだわる生き物。
(「わたしは若く美しいから妬まれる」って、言っているのでは決してありません。念のため)
「今日が、パーティ・デビューのお嬢様です」
そう、みなさんに、大きな声で紹介する、ホール・オーナー。
ちょっとだけわたしのほうが、みなさんより若いからって、すごくイヤミに聞こえる、わたし。
ただでさえ、見かけ倒しなのに、見かけとは正反対のますます、ヘタぶりが、際立つ。
自由に踊るなかで
次々にパートナーをチェンジして踊る時間帯がある。
みなさん、お上手。
わたしは、どの方とも初めて踊るので、各自それぞれ独特のクセとか、足の運び方、間の取り方、
流儀とか、まったくわからない。
まあ、それは、次第に慣れるにつれ、徐々に、しっくりいくことになるのだろうけれど。
慣れる、という段階に進むまえに、折れた。
慣れるどころか。撃沈。
ちょっと踊っただけで、すぐ、チェンジされた。
短時間チェンジが、次の人も、次の人も、次の人も・・・・・
そこで、わたしは、先手を打って、
「初心者で、ほとんどステップとか、わかりませんので・・・」と先に言うことにした。
「はい、わかりました」
と優しそうな笑顔で迎えてくださる柔和な紳士。
が、いざ踊ると、またまた、ほんのちょっと踊るだけで、過酷にチェンジ。
あ、この足、失敗、この間の取り方も失敗、この動きも相手を無視した動き
自分のダンスに、どんどんマイナス減点、自覚症状も、たっぷり。
次々と、失敗を重ねる。
どの方も、踊りにくい、ヘタさを十分、感じ取られたことだろう。
ホール・オーナーは、
「みんな最初は、こうですよ。それを乗り越えなきゃ」と励ましてくれる。
一昨年は、恥を恥とも思わず、イヤな目に遭っても、
折れずに頑張っていたのに、2年経つと、折れやすい老人になっている、わたし。
すいすい上手に踊っている人たちが、みんな、いじわるな老人たちに見えた。
みんな、初心者に暖かい手を差し伸べるということはないの?
そんなボランティア精神も、余裕もないの?
時間は、たっぷりあるんじゃないの?
一日中、一年中、残りすべて自由時間の余生なんでしょ。
自分たちだけが、よければいいの?
仲間ではない、見知らぬひとは、はじき出すの?
次世代・後輩を育てようという気はないの?
と、逆ギレ。
この逆ギレは、許されない、認められない、共感されないだろうけれど。
ハイ、自覚あります。どう考えても、わたしが、悪いです。
とりあえず、短時間で見切りをつけ、いじわるな老人たちのホールを、とぼとぼ後にした。
あれぐらい意地悪にならないと、あれぐらい、年寄りにならないと、
社交ダンスはうまくならないのかな・・・・・と、いじわる老人・予備軍かもしれない、わたし。
いいえ、わたしは、あんな、いじわる老人には、決してならないぞ、と、こころに固く誓った。
みなさん、ごいっしょに、盆踊り!
公民館での、お遊戯ダンスなら、あんなムードではないんだろうけれど。
適材適所、ステップ・バイ・ステップ、
大勢の仲間と、和気あいあい和やかに踊る
そういう路線が、いいみたい。
うまくなりたいなら、イジワルに耐えないといけないし、
楽園踊りでよければ、楽しくやればいいのだし。
ただし、うまくなるころは、あの世に行ってるけれど。
トップ画像は、和風レストランの入口で、パチリ。
あいかわらず、ピンぼけ。わたしみたい。