とうとう、テレビのエコポイントが切れた。
期限切れ、最終日の3月31日に、家電店に駆け込もうと、夫と話していたのに、
思い腰はついに上がらず。
買いに行けなかった。
あとは、地デジが始まって、我が家のテレビが映らなくなってから、
テレビのない生活を体験して、やっとこさ、行動に移すのか?
税金だけは、ガバっと国や自治体に持って行かれるのに、
エコポイントという、国民への特典を享受しないまま、有効期限が切れる、
この悔しさ、惜しさ、あほらしさ。
なら、もっと早くに買いにいけばいいものを。
二人とも、こんなに腰が重いとは、知らなかった。
お互いの面倒くさがりぶりの重篤さに、自覚がなかった。
「エコポイントは、震災の寄付にまわそう」
もう、あちこち寄付しているのにもかかわらず、そんな案も、苦しまぎれに浮上する。
夫などは、テレビがないと、昼も夜も明けない、テレビっ子なのに、
テレビが映らなくなっても、大丈夫なんだろうか。
アタマの上のお皿に水がなくなって、ひからびたカッパになりゃせんか?
「震災の影響で、地デジ化は遅れるんとちゃうか」と、この場に及んでも、まだ延命策を講じる夫。
カッパは、あくまでも、しぶとい。
せっかくテレビ中毒の夫を心配してあげているのに。
かくいうわたしも、ニュースが見れないと、とても困るのだが。
我が家にお越しになった方が仰った。(滅多に訪問される方はいませんが)
「わあ、スローさんの家のなかで、うちのほうが勝ったものがあるわっ。テレビ!!」
奥行たっぷりの、どっしりした重厚な???年代物テレビが、どかーーんと、
リビングとダイニングに、堂々と威張りながら、ホコリにまみれながら、鎮座している。
「テレビの上に、本やら、時計やら、人形やら、モノを置けていいよ」
と悔しまぎれに言ってみても、虚しいだけ・・・
もともとテレビは、父が、大キライで、(わたしが生まれた時から、車やピアノはあったが)
家にTVを買ってもらえず、きょうだい揃って、近所のイトコの家に行ってTVを見させてもらっていた。
イトコも女の子、わたしと姉も女の子。男の子は、兄ひとりだけ。
で、兄は、見たい番組の好みが合わず、
自分の好きな番組が見ることができないで、テレビの前で涙を流して泣いていた。
(小学生低学年ぐらい?)
ああ、かわいそうな兄。
(それより、ちょっと泣き虫じゃない?)
わたしたち、きょうだいは、イトコにアタマを下げ、コソコソと、イトコの家にお邪魔する。
イトコのご機嫌を取りながら。プライドや意地なんて、ない。
イトコは、鼻、高々。女王様。
一人っ子だし、ね。我々は、3人揃って小さくなって。惨め3きょうだい。
父が知ったら、さぞや嘆くだろう。
と、昔のテレビにまつわる、恨み節。思い出、ぽろぽろ。
大衆文化の嫌いな父には、俗人のわたしたちは、ずいぶん泣かされた。
そうこうして、時は流れ・・・テレビもブラウン管から、液晶へ。
液晶型テレビさえもない、我が家。
スッキリ、薄型のテレビを早く買おう、と思いつつ、もう、いったい何年になる?
頂きモノの、ごっついテレビたち。
(あまり買った記憶がないので、なにかの賞品か、景品ではないかと想像する)
暑苦しく、重々しく、いまいましく、空間にせりだしている、我が家の顔。
肝心の映りは・・・鮮明なハイビジョンなどとは比べようもなく、どうにか映っているだけ。
新人が入らないことをいいことに、ますます厚かましくなっている、お局さまテレビの日常風景。
それなら、いっそテレビのない生活を送ればいいではないか。
それができない、俗人夫婦。
あくまでも、中途半端を貫き通す。
せっかくサヨナラできる、いい機会を、またもや失った。