蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

あと少しで、もう見られない?!

2011-04-02 | 暮らし

とうとう、テレビのエコポイントが切れた。

期限切れ、最終日の3月31日に、家電店に駆け込もうと、夫と話していたのに、
思い腰はついに上がらず。
買いに行けなかった。

あとは、地デジが始まって、我が家のテレビが映らなくなってから、
テレビのない生活を体験して、やっとこさ、行動に移すのか?


税金だけは、ガバっと国や自治体に持って行かれるのに、
エコポイントという、国民への特典を享受しないまま、有効期限が切れる、
この悔しさ、惜しさ、あほらしさ。

なら、もっと早くに買いにいけばいいものを。
二人とも、こんなに腰が重いとは、知らなかった。
お互いの面倒くさがりぶりの重篤さに、自覚がなかった。

「エコポイントは、震災の寄付にまわそう」
もう、あちこち寄付しているのにもかかわらず、そんな案も、苦しまぎれに浮上する。


夫などは、テレビがないと、昼も夜も明けない、テレビっ子なのに、
テレビが映らなくなっても、大丈夫なんだろうか。
アタマの上のお皿に水がなくなって、ひからびたカッパになりゃせんか?

「震災の影響で、地デジ化は遅れるんとちゃうか」と、この場に及んでも、まだ延命策を講じる夫。
カッパは、あくまでも、しぶとい。

せっかくテレビ中毒の夫を心配してあげているのに。
かくいうわたしも、ニュースが見れないと、とても困るのだが。

我が家にお越しになった方が仰った。(滅多に訪問される方はいませんが)

「わあ、スローさんの家のなかで、うちのほうが勝ったものがあるわっ。テレビ!!」

奥行たっぷりの、どっしりした重厚な???年代物テレビが、どかーーんと、
リビングとダイニングに、堂々と威張りながら、ホコリにまみれながら、鎮座している。

「テレビの上に、本やら、時計やら、人形やら、モノを置けていいよ」
と悔しまぎれに言ってみても、虚しいだけ・・・


もともとテレビは、父が、大キライで、(わたしが生まれた時から、車やピアノはあったが)
家にTVを買ってもらえず、きょうだい揃って、近所のイトコの家に行ってTVを見させてもらっていた。

イトコも女の子、わたしと姉も女の子。男の子は、兄ひとりだけ。
で、兄は、見たい番組の好みが合わず、
自分の好きな番組が見ることができないで、テレビの前で涙を流して泣いていた。
(小学生低学年ぐらい?)
ああ、かわいそうな兄。
(それより、ちょっと泣き虫じゃない?)
わたしたち、きょうだいは、イトコにアタマを下げ、コソコソと、イトコの家にお邪魔する。
イトコのご機嫌を取りながら。プライドや意地なんて、ない。
イトコは、鼻、高々。女王様。
一人っ子だし、ね。我々は、3人揃って小さくなって。惨め3きょうだい。
父が知ったら、さぞや嘆くだろう。


と、昔のテレビにまつわる、恨み節。思い出、ぽろぽろ。
大衆文化の嫌いな父には、俗人のわたしたちは、ずいぶん泣かされた。


そうこうして、時は流れ・・・テレビもブラウン管から、液晶へ。
液晶型テレビさえもない、我が家。
スッキリ、薄型のテレビを早く買おう、と思いつつ、もう、いったい何年になる?
頂きモノの、ごっついテレビたち。
(あまり買った記憶がないので、なにかの賞品か、景品ではないかと想像する)
暑苦しく、重々しく、いまいましく、空間にせりだしている、我が家の顔。
肝心の映りは・・・鮮明なハイビジョンなどとは比べようもなく、どうにか映っているだけ。
新人が入らないことをいいことに、ますます厚かましくなっている、お局さまテレビの日常風景。

それなら、いっそテレビのない生活を送ればいいではないか。
それができない、俗人夫婦。
あくまでも、中途半端を貫き通す。

せっかくサヨナラできる、いい機会を、またもや失った。


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