蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

うすっぺら。

2012-01-12 | 無題

あれも書きたい。これも書きたい。そして、このことも・・・

そう思うのだが、この蝶ブログの存在を知る、知り合い、近しい人々の顔が浮かんできて
手が止まる。
秘密主義のくせに、「教えて」と言われると、ブログの存在を、自らもバラしたりしている、わたし。
「うーーん・・・どうしようかなぁ・・・」と言いつつ、ブログタイトルを教える。
(絶対に教えない場合もある)
(ブログを知っていても読まない、わたしから見ると「毒を避ける、正しい判断」の人もいる)

教えるのは、べつに読んでほしいからでもない。(すみません)
知ったからといって、読み続けている人は、少ないようだ。(想像です)
だからわたしも、あまり気にしないで、読まれていないかのごとく、本音をベラベラ書く。
リアルにわたしを知っている人には、ブログではない、本当のリアルなわたしをご存知なので、
少々ブログが脱線しても、
「ブログで遊んでるだけだから、真に受けないでね~」と言っているし、実際、そう。
だが、あとで、アップした記事を読み直して、ぞっとすることも、しばしば。

問題は、わたしをご存じない方。
ブログを通してだけで、わたしを見ておられる方。
そっちのほうが、ずっとずっとコワイ。
真に受けないでくださいね。ブログで遊んでいるだけですので。

でもでも・・ほんとうに、書きたいことがあるとき、そして誰にも知られたくないとき・・・
書いたまま、未公開にすればいいんだろうけれど、
毎日、ブログ更新をモットーとしているのに、
その非公開記事とは別に、またもうひとつ記事を書くなんて、めんどう。
で、ここで、わたしのいいかげんな性格が顔を出す。
なんでもいいや。自分が楽しめたら。
となって、けっこうヘンなものでも平気でアップする羽目に。


とある方のブログの小説版をちらと読んでみた。
「いま40歳の香、美樹、美知子たちの関心事は、SEXのことしかない」(名前は、いいかげんです)
あほくさくなって、読んだことを後悔した。
小説だから、デフォルメしているのだろう。
あほくさい、とか、そんなバカな、とか、そういう、たとえマイナスであっても、「感情が動く」ことは、
書き手としては、読み手を引き込む第一歩。
わたしの場合、本気で、あほくさくなって、それ以後は読まなかったけれど。
書き手の考え方にも左右される。
なにが言いたいのか、訴えたいのか。
薄っぺらいものか、奥底に深いものが隠されているのか。
薄っぺらくても、社会の矛盾や、人間の哀しさを読者が感じれば、それでいいのかも知れないが
書き手本人が、気付いていないことを、読み手が先んじて感じてあげるのも、いかがなるものか・・・

接待下手のホステス相手に、客が、おもしろい話をして笑わせてあげるようなもの。
どんな世界も、プロとアマの違いは大きい。

鬱積したもの、屈折したもの、理想と現実との格差、まっすぐに進めない歪まざるをえない背景、状況・・・
そんなものが書き手には、書く起爆剤になってるんだろうなあ・・・と、なかば同情気味に想像したり・・・。
書き手側が、そんなおせっかい、いらんわい、とお思いなら、自分の背景は一切、書かないこと。
フィクションに徹すること。


あくまでもこれは、読書感想文。
自分だって薄っぺらのくせに、人のことなんか言えない。
深く考えたからって、いいわけでもない。
深く知らないほうが、幸せだったりする。

どうせ出来ないことなんだったら、知らないほうがいい?
中世の身分制度みたいなもの? 知ったところで、どうしようもない。
知らないままのほうが、ずっとずっとマシ。

(例外もある? 農民の娘から、王様・殿様の側室へ。でも正室じゃない。
農民から、騎士・武士へ? これは、動乱の戦国時代?
歴史は、あんまり詳しくないからボロが出る・・・)

時代が背を押し、うねりとなって世の中が変わる場合もあるけれど。

アタマの中だけで、ぐるぐる回っているだけなら、カラダを動かしたほうがいい。
なにも考えないで、カラダを動かすと、きっといいことがある。(に違いない)

新陳代謝もよくなる。
「この考え方の人だけは受け付けられない、無理」という人以外なら、おおまかに付き合ってみるのもいい。
へんに、融通がきかずに頑固は、よくない。
今まで知らなかった楽しい世界や、未来が広がるかも知れない。

柔軟なカラダ、フットワーク、柔軟な発想。
これでいこう。

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