「女性には母性がある」というが、そうだろうか?
自分を例にとると、女性ではあるが、あまり母性はないと感じる。
とくに子供が欲しいとカラダ感覚で思ったわけでもなく、
自覚もないまま、次々と子供が生まれた。
ただただ、不思議だった。
こんなにカンタンに生命って、知らないうちに宿るのね・・・、と。
そのとき、宇宙の銀河系みたいな図をアタマに想像した。
小学校高学年あたりで、理科の資料集に出てきそうな絵。
わたしは、説明がつけられない、よくわからない事柄は、なんでも、
いつも小学校の図鑑みたいな絵に戻ってしまう。
というわけで、母性でもなんでもない図なのだが。
夫が、家事・育児に、まったく協力してくれなかったので、
すべて自分でやったけれど、それで母性が育ったわけではない。
母性も育たず、でも子供たちは育ったが、
トラブルはまだ表面化してないだけで、不良品、欠陥品に育っているのかも知れない、と、
今頃になって、ひやひやしている。
犯罪がバレていない、犯罪者よう・・・
健康診断にまったく行かない、潜在的病人のよう・・・
鉄筋を細く、少なくして、突貫工事で建てた、ビルの工事責任者のよう・・・
それは、わたしだけか?
女性には母性がある。母になれは、文字通り、そのまま。
でも、母になっても、母になれない母たちも、数はわからないが、存在する。
(幼児虐待や子育て放棄、ネグレクトなど、環境が悪化した場合、社会問題にもなっているが、
わたしの場合、弱い者イジメはしない主義なので、そういったことは無縁)
わたしが個人的に思うのには、
実際は、カラダで母になったのにもかかわらず、子育てをして、アタマで母になった。
それを、「おんなは、カラダが母になることを欲している」と言い切られると、
そんなひとばかりじゃない、って、むきになる。
もし、カラダで母になるとしたら、いわゆる生理的な肉体的欲求ではなく、
肉体を、子育ての激務で駆使して、カラダ(=労働)で母になる大変さを味わうということだ。
アンタが、もっと子育て手伝ってくれてたら、一人でしょいこむこともなかったかも、
と、夫にいまさら、怒りがまたもや再燃。
(そのかわり、義母が助けてくれたけれど。あまりある感謝)
でも、もう、子供が無事、巣立った今、
負のエネルギーを放っても、まったくくだらない、時間の無駄。
夫に、思いや感情を向けることすら、もうどうでもいい。
「女性と母性」
ただこの言葉だけ見て、触発される、わたし。
ちがう、ちがう。
子育てに協力してくれない男が、女に、母性を押し付けてるんだ。
母性なんか、もともと備わっているものなんかじゃないんだ。
まるで、時期がくれば開花するかのごとく、そんな自然発生的なものではない。
我が家の場合、幸運にも、父性を出さなくてはいけない非常事態も起こらず、
親としての自覚は、子育て最終ラウンドまで味わうこともなく。
子供にべったりの甘い夫の親がこの世に存在しなくなった後こそ、はじめて、親らしくなるんだろうけれど、
あらら、子供は、もうすっかり成長して、親孝行してくれたりする。
(ありがたがっているばかりじゃなくて、
その親孝行してくれる分を老親に、生きている間に、お返ししなければ・・・)
今のイクメンたち、がんばってください。
母性を育ててください。
ついでに父性も。
あ、お母さん方も、です。
協力します。