昨夜、書き溜めた記事をさきほどアップして、ふと思った。
未熟なまま、大人になりきれないのに、老人になろうとしている自分。
パワーの出力先、発揮先がなく、生枯れ状態。
そう結論付けたが、よくよく考えてみると、とりあえず、次世代の人間を創造した。
ほら、子供。。。。子供をとりあえずは、生んで、育てて、社会に出した。
それが、わたしの活動期の精一杯の行動であり、成果だったんだ。
とある人のブログでは、「女はSEXしたくなくなったら結婚して、お金をもらい、子供を生む」
とのご意見だったが、
全然、ぜっっんぜっん、違う考えで、結婚して子供を生んだ、わたし。
子供を育てながら、「負うた子に教えられ」という言葉そのままに、
成熟しないダメ親が、子育てによって少しは自らも成長した。
自分が成長しきるよりも早く、子供が成長してしまい、成熟の機会を逸した。
これは、ある意味、ありがたいことである。
子供にはさほど、手がかからなかったということだ。
おそらく、成熟の仕上げは、親を見送るときまで、お取り置きしてあるのだろう。
子供には、肉体的(労力)に、金銭的に、時間的には、手をかけた。
家庭のしつけは、夫の両親や祖父母、曾祖父母・・・(続く)、
そしてわたしの両親、祖父母、・・・の行いが、目に見えない背中となり、
とても助けをいただたき感謝している。
われわれ、未熟な夫婦だけでは、とてもフォローしきれない、大事な精神の柱のような、
指針によって導かれたと実感する。
義母は、一時的に、育児サポートを教養ある立派な人格の人にお願いしてくれたが、
実の母親であるわたしなんかより、ずっとずっと優れている人に支えてもらう、って、
これって、プラスであるには違いないけれど、今思えば、複雑なものがある。
なので、こりゃ助かるわ、とばかりに、精神的には、あまり手をかけなかった。
子供たちは知らないうちに大きくなっていた。
かわいがる余裕がなかった。
お金をもらって生活の安定のために子供を生むのではない。
(強いて言えば、子育てのために、お金をもらうのではなく、払う側だ。)
子育ての経験をした女性なら、ほとんどの人が体験するようなことであって、
特別なことではないが、子育てには膨大なエネルギーがいる。
そのエネルギーを燃焼してしまった後の、消えゆく炎?
この炎、消さずに、老後につながないと・・・
老後にはまだ先客が元気で頑張っているので、席が空くのを足踏みをして待っている状態?
なら、その時間を思いっきり有効に使うべき。
未熟なまま老人にもなりきれず・・・なんて、辛気臭いこと言ってないで、
せっかくの、この黄金時期、持っているパワーを存分に炸裂させるべきじゃない?
一夜明けたら、なんかポジティヴで楽天的になっている。
やはり、ブログは朝に書くと元気な内容になるようだ。
夜は延々と続くし、外は真っ暗だし、こころまで暗~くなる。
ということで、さきほどアップした記事は、夜中に入力したもの。
これは、朝に入力したもの。
朝日が昇るとともに、パワーアップ?
(根拠は、朝日だけってとこが、単純明快・・・)
人間は、矛盾した生き物ですので・・・。
わたしから矛盾を除くと、なにも残りません。