蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

涙、激安、大バーゲン

2012-01-16 | 子育て

明け方、夢を見た。

電話が立て続けに3度ほどかかってきて、出ても切れたり、出る直前に切れたりした。
まるで誰かが、在宅かどうかを確かめているかのような電話。
空き巣狙い? 泥棒の下見?
ふと、外を見ると、
小学校2~3年生の頃の息子が、家の庭から、ガラス越しに部屋をそおっと、のぞいている。
クリーム色のトレーナーと紺色の半ズボン。


あれ?
キミが、様子を伺っていたの?
なぜ、家に入らないの?
なにが、あったの?


知らないうちに、夢から覚めていた。

その夢を思い出すと、どうしてか、まったくわからないけれど、
涙があふれ出て止まらない。


遠く離れて暮らす息子に、「元気?」と短いメールを入れる。

彼は年末年始は仕事のため、帰省しなかった。
義母に、お正月、インターネット上でアップされていた息子の写真入記事を
うちから持っていったノートパソコンで見せてあげた。
(わたしも、その時の記事は、はじめて見た)
アップされた、にっこり微笑む息子の笑顔を見た途端、
義母の目から、突然、ぽろぽろ大粒の涙がこぼれた。
食い入るように記事を読む義母。

そんなことも思い出しながら、
わたしは、ひとしきり泣いて、あーー、すっきりした、と、へんに爽やかになる。

なのに、また時間がたって思い出す。
すると、また涙がぽろぽろ止まらない。
拭いても拭いても、涙が出る。

いまもまた、これを書きながら、涙が止まることなく出ている。

べつに息子と仲たがいしたわけでも、永遠の別れをしたわけでもない。
手塩にかけて、べったりと、なめるように育てたわけでもない。
ほったらかして、育てた息子・・・なのに。


幼児時代、
デパートで買い物に夢中になった時、
寝ていることをいいことに、地べた(フロアー)に放置してたりした。ごめん、息子よ。

すやすや寝ている小さい息子を、自家用車から家に運ぶとき、手が滑って地面に落とした。ごめん、息子よ。

ぐずる息子を怒りながら手首を引っ張ったら、
なにかがすぽっと外れて、瞬く間に小さな手首が腫れあがった。ごめん、息子よ。
(即、外科に走った)
(昨今では、こんなこと書くと、虐待かと問題視されるかも知れないけれど、
虐待など、わたしの辞書にはなく、無縁。誤解なきよう、念のため)

中学受験の時、遠い他県にまで連れ出し、いったんわたしは仕事場に引き返し、試験会場に迎えに行ったら、
誰もいなくて(大幅遅刻)、見知らぬ土地の夕暮れに、ぽつんと不安顔の息子だけ。ごめん、息子よ。

本人は、覚えてないだろうけれど。

母親は、なんでこうも息子に弱い?


高校卒業以来、顔を合わせたのは、数えるほど。
学生時代は、お金がなくなったら帰省して(そう度々でもないが)、お菓子や食料品をどっさり持って帰った。
社会人になってからは、あちこちの赴任地に赴いたり、滅多に帰ってくることもなく、
遠くから見守り、応援するだけ。

上娘は、東京に転勤になってから帰省する頻度は減っても、
ちょいちょいメールをくれたり、誕生日プレゼントを贈ってくれたり、
忌憚ない(手厳しい)意見や、アドバイスをズバズバ言ってくれたり、身近に感じることが多い。

息子は、メールは一方通行。
返事なし。
それでも片思い状態で、メールを出す、ばかな母親。

でも、離れていてよかったような気もする。


これだけ涙が出るくせに、実際、家に帰ってくるとなると、ああ、献立は何にしよう・・・と
けっこう、アタマが痛かったりする。


おんなのアタマは、ふたつある。
夢のような過去を美化する傾向と、現実をむんずと掴む(つかむ)リアル傾向と。

相反する世界を同時進行。
どんなときも、いつも食卓のことを考えなくてはいけない
おんなは、複雑で、高等なアタマを持っている。

あの涙、まだ乾ききっていないうちから、もう、おやつをむしゃむしゃ食べている、わたし。
おんなの涙は、信用できない。
おんなの内部告発。

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※「おんな」にも、個人差があります。ご了承ください。
(美容クリームや、エキスサイズ機器、ダイエットサプリメント等に添えられる補足説明と同様です)