わたしは、ほんとうに、ひね曲がっている。
100%純正タイプが苦手だ。
清純派、純粋派、いつも正しい人、
世の中の光の部分だけに生きている人。
そういう優等生人種は、
「わたしは、一度もウソをついたことがありません」
と堂々とは(さすがに)言わないにしても、
「わたしは、ウソをついたこともあります」
とたとえ告白したとしても、わあ、正直、と、すがすがしさが漂う、善人。
純正人は、人望もあるし、人も集まってくる。
安心して託せる人。
どんな人にもやさしく接し(いい顔をし)、
嫌な人には、あからさまにではないものの、それなりの正しい意思表示をし、
(「あなた、キライ。こっちに来ないで」の意味ではあるけれど、露骨ではない大人の表現)
お付き合いにもソツがない。
わたしは、そういう人を見れば見るほど、なんか、とてもウソっぽさを感じてしまう。
こういう、誰が見ても立派な人に対して、そんなことを感じるなんて、
そうとうに、自分がひねくれているバロメーターにもなる。
あまりにも自覚症状があるので、自己嫌悪に陥ることもある。
クラスの人気者に対して、影でひがんでいる、落伍者グループの一員みたいなもの?
落ちこぼれ、そのまま。
かといって、自分はそれほどひどく、社会から外れているようにも思えない。
こころに闇を抱えているだけだろうか。
この闇は、べつに人を攻撃しない。
攻撃するとすれば、自分へ矛先が向く。
わたしの場合、
「わたしは、ウソと現実の違いがわかりません」
となる。
世の中で成功した人にも闇がある。
人望の厚い人も、人に言えない苦労をした時代がある。
そんな闇を認めない、この世に闇など存在しない、という純正人が、苦手だ。
闇を認めないどころか、拒絶反応を示す。
純正人は、いい顔をしすぎて、疲れ果ててしまうこともあるようだ。
自業自得だ。
いい顔をしている人を見ると、「あの人、疲れるだろうなあ・・・」と思う。
いい人同士のこころ温まるやり取りを見ていると
(一人のいい人ブロガーさんに、大勢のいい人がコメントで交流するブログ)、
なんだか表面の綺麗さ、正しさだけを強く感じてしまったり・・・
これって、わたしの病は相当、進んでいるってことか・・・
要は、キャラクターの違いってことか。
暖かい幸せオーラを放つ人には、そういう暖かさを求めて人が集まり、
ヘンコで、ひがみ根性丸出しの人には、通りすがりに、人が、ふふんと、鼻で笑うってかんじ?
わたしは、幸せオーラを放たない傾向にある。
この表現のしかた↑自体が、まあ、実に、ひね曲がっていることったら。
幸せなのに、ざわと隠してシアワセっぽくしないのか、
幸せじゃないから、オーラなんか放てないのか、
幸せのくせに、自然体にしてもオーラが出ないのか、
そんな、どうでもいいことを考えること自体が、おめでたく、幸せなのかもしれない。
そして、そんなくだらないことを考えること自体が、幸せオーラを放たない理由なのかも知れない。
ああ、どうでもいいことを延々と書いてしまった・・・
もっと具体的な、わかりやすいことを書くべき。
具体的に書く気がしなくて、こんな無駄な時間を費やしている。