蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

思ってはいけないコトは、封印すべし

2012-02-27 | お出かけ

昨夜は、友人と、シャンソンの夕べに行って来た。

日曜日の夜は、普通は重たい夫のいる女性には、出にくい。
重たいものをこころに、ずるずるひきずりながら(家に置いてきたけれど)、でも、行って来た。

重たいけれど、ご自分も遠出のゴルフツアーで出かけていたので、べつに気をさほど使う必要はないのだが、
やはり、なんとなく、気がひける。


フレンチのコースは、見た目も美しく、とても美味しかった。

お店のムードも、お料理も、ばっちり。
シャンソンなんぞ、あんまり聴いたことはないのだが、友人が行ってみたいとのことで、
日曜ではあるものの、彼女の家の事情としては、なぜかその日は都合が良いようで、
押し切られたカタチではあったが、(ちょっと腰は重かったが)行ってみた。

美味しい時間に、ただただそれだけに集中して、うっとりするべきなのだが・・・
わたしは、なんでこうも、しょーもないことばかりに、目を奪われるのだろうか。
これは、一種の宿命のような、病気のようなものかも知れない。

すぐ、工場見学に来た小学生みたいな、
社会見学者みたいな、田舎モンのノリになってしまう。

きょろきょろきょろ。
こういうところに来る人って、どんな人?

お値段は決してお安くはないが、超お高くもない。(とわたしは、思う)

場所は、OSAKA STATION CITYとか、大手開発の大商業施設の中でもない、
大阪市内の経済の中心地の、知る人ぞ知る、隠れ家的フレンチ・レストラン。
ずっと前から予約制だったが、満員。

で、不思議に、みごとに、なんと・・・集まっていた人は・・・
アーティストばかり・・・!!
モデルさんや芸能関係者ばかり・・・!!
どこかで見たような顔の人ばかり・・・!!

ではなく・・・
(フェイント、すみません)

みごとに・・・若い人は誰一人と見当たらず、みごとに年配ばかりだった。

男性も女性も、わたしたちよりはるかに上。
シャンソンを歌う歌手も、そう。

腕むき出しのドレスは、痛々しかった。
見せる商売なんだから、ジムで鍛えるとか、それが出来ないなら、
せめて、肘まで袖があるとか、薄物のショールを羽織るとか、なんらかの手立てをとらないと、
見るに耐えない。

声は、美空ひばりみたいに低音で、よかったけれど。
(フランス語は、まったくわからなかったけれど)

なによりも、なによりも、わたしの目が釘付けになって離れなかったのが、
わたしの隣のテーブルに座っておられた65~75才ぐらいの男性。
わたしとは、ななめ前に向き合う位置。

すばらしい、シルバーグレーの髪は、
美しい、まるで、若い女性のように、ボリュームたっぷりのさらさらロングヘアなのだが・・・
ゲゲゲの鬼太郎のように、顔半分が、前髪?で、覆い隠されている。

よくよく見ると、それは、引力の法則に逆らった方向に、髪が流れている。
つまり、下から上に、だ。
ほとんどの髪が、下から上に流れている。

あんなに大量の髪が、みんな下から上に・・・
額あたり、頭頂部あたりが、大きな流れの髪が合流しているように見える。

見てはいけない、見ては失礼だ、絶対にそんなことは、すべきでない。
そう、もうひとりのわたしが、ぐいぐいまぶたを引っ張って、目をそらさせる。

だが、不思議で不思議でしかたない、探究心旺盛なわたしの目は、どうしても、そのオデコあたりに目を凝らす。

どうやら、すべての髪を全力で、オデコめがけて総動員、かき集められているようだ。
頭頂部の少し後ろあたりの髪は、ほとんど自然なカタチで、大量ボリュームゾーンを誇り、前髪として、顔面を覆っている。

はやい話が、その方は、額あたりに髪が少ないことを気にするあまり、
パリコレも真っ青な独創的ヘアスタイルを打ち出しておられるというわけだ。

年齢は、けっこう年配なので、髪が薄くても、なんの違和感もないのだが、
ご本人にとっては、許せない事態なのだろう。
気持ちは、非常によくわかる。
いつまでも、若い自分でいたい。

が、あんなに、美味しい食事よりも気になるヘアスタイルを生み出す結果になることは、
これは、果たして、彼の意図していたことだろうか。

それより、彼の前に座っておられる女性が、また気になった。
このヘアスタイルに、なんのアドバイスもしないのだろうか。
もう、独立自治権を認め、統治する権利を放棄したのだろうか。
あまりの気合に、ついつい、ホンネやアドバイスを言いそびれるのだろうか。

仮にカップルだったとしたら、・・・外見などという薄っぺらなジャンルは、もうとっくに超越して
真に中身でお付き合いされているのだろう。
これは、これでアタマが下がる。

そんなことが気になるわたしは、いかに、デキが悪いか、
人間として未完成か、自覚せざるをえない。
こんな浅はかなわたしなら、あんなふうなヘアスタイルのパートナーとは、ちょっと
行動を共にできない。

やはり、凡人(以下)で、まだまだ生煮えで、不出来で、未熟なんだろうなあ。わたし。

こんなことをだらだら書く気は、さらさらなかったのに、
なんてことでしょう。

素晴らしいお料理とシャンソンの夕べは、あのヘアスタイルばかりが印象に残ってしまった。

そこが老人施設ではなく、洗練された一等地のステキなフレンチレストランだっただけに、
ちょっと、心構えができていないで、どぎまぎしてしまった。

いずれ、必ず自分にも訪れる世界なのに、
あわあわと、ちぐはぐなことになっている、わたし。 

おそらく、わたしが、みなさんより少し年齢が下なあまり、
老人ワールドの掟や常識、ルール、センスを理解できないでいるのだろう。
自分がどっぷり、その世界に足を突っ込んだら、きっと、なんの違和感もなく受け入れることができるのだろう。

いつまでも若々しくありたい、と願うのは当たり前のことなのに。
このモヤモヤは、なんだろう?

きっと、若々しく見せることへの、美的センスの違いだろう。
髪がなくても、いいじゃない。
仮にもっと若くても、たとえ40代でも、
つるん、ぴかり、でも、いいじゃない。
へんに隠そうとする、悟りを開けていない感覚が、もう十分年を重ねている年齢と合っていないから、
よけいにそう思うのだろう。

本人にして見れば、必死でベストな美意識なんだろうけれど、
やはり、年齢には年齢にふさわしい、舞台の立ち方というものがあるように思う。

ほっといてくれ、と、蹴っ飛ばされそうなので、
やはり、あの方のお連れさんの女性のように、
わたしも、本人を目の前にして、意見を口に出して言えないに違いない。

 

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