言っておきます。(もう何度も言ってますが)
わたしは、ひねくれ者です。
なので、まっすぐなひとが、まぶしくて、まぶしくて、目が開けられない。
純正の優等生という人種には、子供の頃から苦手意識があった。
真っ当な、真面目な、理想的な、模範的なことを、本気で自然に考え、
口に出し、行動する人。
これだけを聞けば、素晴らしい人だと、誰の目にも映る。
もちろん、わたしの目にも。
なので、尊敬し、お仕えする信者(取り巻き)も多い。
優等生・教祖様と信者との会話がまた、素晴らしい。
教祖様が素晴らしいことを仰って、信者が口々に、
「おお~~っ、素晴らしいっ。すばらしき行動、有難きおことば」と褒め称える。
そのやりとりをブログ上で見ていて、わたしは、やにわに、用意していたサングラスをかける。
それをわかっていて、そのブログを拝見奉っておりますので。(この謙譲語は、かなり怪しい・・・)
もちろん、ROM。
いちど、ばか丸出しで、コメントを入れたことがある。
劣等性のくせに、場違いな優等生ブログに迷い込んだわたしが、バカだった。
で、場違いコメントを入れた。
内容は、教祖様に対して「王様の耳は、ロバの耳っ!!」
そう書きなぐって、一目散に退散した。
(※注釈→実際には、そんなロバとかの話は書かなかったです・・・誤解なきよう、念のため
「わたしは、そんなふうに思いません」、みたいな、でも、やんわりした内容。)
すると、慈悲深い教祖様のお取りになった行動は・・・
シカト・・・(無視)・・・だった。
コメントは非公開にすることもできるわけだから、わざわざアップして無視、というのも・・・
おそらく、できそこないの信者以下の人間に対して、指導的処置、対処、という意味もあるのだろう。
わたしは、そう受け取った。
「教祖様は、そんなチョコザイな卑怯なマネは、しないんだよ~」、という、
清廉潔白さが無意識に、(光り輝きとともに)表出されてしまったのだろうか。
その件以来、わたしは恨みを抱いて。。。。なんて、そんなに「うっぷん過激攻撃型」ではないし、
わたしの、こころは、ひね曲がっていはいるけれど、「恨み」とかのカテゴリーには、無縁。
人を陥れるとか、そういう行為には絶対に走らない。
さよなら、って、自分が去っていくだけだ。
「本当は怖いグリム童話」みたいに、
美しい話であればあるほど、その裏みたいなものを勝手に感じてしまう。
それは、わたしが、裏のある、醜い人間だから。
そして、裏のない、美しいこころを持つ人々は、純粋に、感動し、思いを伝える。
いいな~、羨ましいな~、わたしも、ほんとうは、そうなりたい。
でも、かなしいかな、裏を知った挫折人生で、こころがぼろぼろ。
ま、それは、わたしが勝手に歩んだ道なので、それとして、べつにいいのだけれど、
美しいこと、ほのぼのしていること、楽しいこと、頑張ったこと、
そういうキレイ事のテーマばかりで、逆の醜いテーマには絶対に触れない。
それは、その人に、醜い部分がない、清らかな人なのだろう。
ブログに来る人も、安心して清らかな空気を吸いに来るのだろう。
ふいに、不快な内容になる、などという嫌な思いをさせられることもなく、
こころの洗濯に、集まってくるのだろう。
それはそれで、わたしは、素晴らしいことだと思う。
クラスの人気者に対して
「そりゃあ、あの子は、カワイイし、勉強も運動もデキるし、お金持ちだしね」
なんて、教室の隅っこで、拗ねているかんじか。
(教祖様は、いつの間にか、クラスのAKB48になってしまった・・・)
うーーん、自分にないものを嫉んでいる??
おそらくそうでないと、思いたいが。
深層心理は、そうだったりして???
自分では「違う」、と、あくまでも思いたいが。
ま、なにしろ・・・だ・・・
なにが、言いたいのかよくわからなくなってきたが、
自分のこころがひね曲がっているせいで、
コメントの中には、裏の意味もありえる、と読み取ってしまう。
たとえば、善人(いい人)の例
パターン1
「すばらしいことですね。じつは、わたしのところも、同じように・・・」
とさりげなく、人を誉めている風で、実は自分の自慢話を聞いてほしい。
パターン2
「ボクにはよくわからないけれど(境遇が違う)、すばらしいです」
ほんとうに、よくわからなくて、(内心、反対のことを思っていたりするが)
こういう人は、ブロガーさんが、どうコメントしてくるか、楽しみにしていたりする。
でも、実際に共鳴、賛同、感動された方々もおられるようで、
それはそれで、イチャモンをつける気は全くない。
わたしのような、ひねくれ曲がり者の正体を、自分のブログで暴露しても、なんの得にもならない。
なんの評価にも、自己満足にもならない。
冷たい風がひゅーっと吹いて、このブログを去って行かれるだけの話だ。
同じテーマを扱うにしても、
それだけ、自分ってヤツは、そうとう、ひね曲がっているんだなあ・・・と、
自分で、へんに、妙に、感心したりする。
たぶん・・・
昔、観た映画「エデンの東」(リアルタイムでは観ていませんが)
あの、ジェームス・ディーン扮する、ひねた弟。ああいうかんじかなあと・・・
兄に、父の愛をさらわれ、ひとり、ねちねち、いじける役どころ。
頑張って、両親に認められようと、あれこれするのだが、裏目に出てしまう。
「お前は、また、こんなことをして」と、いつも父に叱られる。
「父さん、違うんだ。ボクは、いいことをしようとして、父さんに誉められようとして・・・(もごもご)」
こころの声は、伝わらない。
なにをしても、親に信じてもらえず、すさんでいく。
あれかなあ・・・
そんな幼い頃のトラウマが、まだ克服できてないのかも知れない。
克服できないまま、一生、影を落として引きずっていくのね・・・
なんて・・・いい年して、わははと、笑ってしまうが。
というわけで、ねちねちと、ぐだぐだと、かぎりなくくだらないことを書いてしまった。
なんで、こうなんだろう・・・
筆の進みはいたって遅く・・・ノリは悪く・・・。
なら、やめときゃいのに。
同じような内容の記事をつい最近、アップしている。
その時の反応は、無反応、北風びゅーびゅーだった・・・
懲りないようだ・・・