ブログを書いて憂さ晴らし。(わたしのことです)
これって、究極のコミュニケーション能力・不可ってことでは?
ちゃんと対面して、人と話すこと、あるいは、自分の意見を言ったり、説得したりすることができない、
そういうことだと思う。
言いたいことがあれば、直接、本人に言えばいいのに、言えない。
これは、根性がない、勇気がない、いい顔がしたい、・・・そういうことである。
感情的にならず、事務的にビジネスライクに、さらっと言えばいいのでは?
例えば・・・
「くちゃくちゃ、べちゃべちゃ音を立てずに、モノを食べてね」
これをイヤミなく言えるか?
にこやかに、言えるか?
・・・難しい・・・。
・・・
わたしは、クレームが言いにくい。
それと、間違いを指摘すするのが苦手。
例えば、かんたんな英単語や、固有名詞の名前を間違っている人に、
非常に指摘しにくい。
指摘されることは、よくある。
赤面。
なにが赤面かというと、ちょっと、こ難しいことを言おうと、かっこつけて、その言ったことが間違っている、
これが最高に恥ずかしい。ええかっこしいが、命取り。
まだ「あの・・・背中のファスナー、開いてますよ」のほうが、マシ。
・・・
戦中・世代の人の「英語」は、教育の時代背景もあるし、失礼になると困るので、習得、使用については
デリケートに感じる。
頭のいい、IQの高い、物知りで、理解力もある人だったりすると、特に、指摘しづらい。
プライドをずかずか土足で傷つけることになりかねない。
人をむやみやたらに辱めてはいけないと、思ってしまう。
しかも、むつかしい単語ならまだしも、ごくごく普通に使う、日常の言葉だったりすると、よけいに。
で、いつも、それらの単語が、その人の会話に出る度に、
どこかに、その間違った単語が、わたしの頭の隅っこに引っかかっているのだが、
教えてあげるべきか、否か・・・
訂正できずに、もぞもぞしている。
おそらく、わたしにも、そんな単語の一つや二つ、・・・三つや四つ、百や二百、千や一万はあるに違いない。
知らないことの恥ずかしさ。
でも、自分が無知であることは、知らないほうが、幸せだ。
知ったら、一言たりとも話せない。
・・・
話はころっと変って、年末に、都心のデパートで見かけた女性。
前からではなく、後姿のみ。
エスカレーターに乗っておられる後姿を拝見した。
年の頃なら、推定、40代後半~50代後半?
冬の服装なので、体型はまるでわからず、わかるのは、身長と、何頭身か、ぐらい。
なのに、それで年齢を推定する。
歩いていないで止まっているので、動作からは推定できない。
ヘアスタイルと、身に着けているもの、たったそれだけで、推定。
推定する必要はないのだが、なぜか、興味を引かれて、想像癖が、もわんと沸き起こる。
とても若い格好をしていた。
真新しいコートにロングブーツ、ピカピカのヴィトンのバッグ。
どれもこれも新品に近い、高価な、よそ行き、というかんじ。
梅田阪急デパートなので、京阪神のどこかにお住みの方だろう。
なぜ、わたしが、その人が目に止まったか。
頑張っていたからである。
後姿だけのその若い格好の人から、頑張り感を感じた。
憧れとも違う、冷笑でもない、なにか、不思議な感覚。
年末に、おしゃれして、頑張って都心に出てきたんだ、あの人。
おそらく、デパートに出かけるのが目的で出てきたのではなく、
なにか出かけることがあって、そのついでにデパートに寄ったのだろう。
上から下まで、新品って、なにか、おもしろい。
買ったばかりのピカピカのもので身を包んでおられる。
お金のたっぷりある人か、あるいは、虚栄心のある人。
金持ちか、見栄っ張りのどちらかである。
そう書くと、わたしが、ひがんでいるように感じる方もおられるだろう。
べつに、ひがんでいない。
年齢より若い格好をして都心に出てくる、わたしと似たような世代の女性に興味があっただけだろう。
ステキ!!と感じたかどうか。(顔も見てないし、年齢を確認したわけでもないのに)
当然、ブサイク、とは感じなかった。
あの人の周りでは、ステキで憧れの対象になっているかも知れない。
あの人は、新品に身を包み、おそらく、うきうきしておられるだろう。
あるいは、いつものことなので、どおってことはないのかも知れない。
前置きが、長い・・・(じつは、書きながら考えている・・・うーーん・・・)
テレビの変身コーナーのように、すべて新しいモノに身を包んで、それがあの人の個性なのか?
ってことだ。
新品には、キャラが立たない。
着こなすという、そういう味わいの部分がない。
それぞれコートや、ブーツ、バッグをチョイスするのは、あの人のセンスであるが、
どれもこれも新品では、風合い、風格がない。
突然、金回りがよくなった人か、あるいは借り物みたいだ。
顔も見ていないのに、あの人は、アカの他人のわたしに、そこまで思われる筋合いはないだろう。
しかも、高そうなものばかりだったのに。
なぜ、気になっていたのか、よおく考えてみたが、うっすら見えるものがあり、だんだんわかりかけてきた。
自分の好みやセンスを認識、自覚した瞬間である。
モノを通して現れる、その人の個性。
モノが高価であっても、中身まで高価だという効果は現れない。
逆説である。アイロニー。
高価なものを身に着ける場合は、本人もそれに見合う中身がないと、
かえって、違和感があるということだ。
俳優の場合は別だろうけれど。
あの人は、後姿だったから、観察、分析をするのに、よかったのかも知れない。
顔を見てしまうと、先入観や好みが出てしまう。
店先のショーウインドゥ、ファッションのディスプレイも、顔のあるマネキンに着せず、顔のついていないものに着せたり、
着せずに引っ掛けたり、直置きしたほうが、その服だけに限定され、とらわれず、想像力が増す。
インパクトがある。
自由な発想が生まれる。
その服を着て、なにかをしている自分。服から、行動を誘引する。
それと同じようなものか。
若い格好なのに、若くないとわたしが想像したのは、若い人なら、もっと着こなし感があるだろう、と推定した。
躍動感なり、行動感なり、その人のライフスタイルや、個性が少しは見えてくるのでは?
(個性がないのが、個性、という場合もあるけれど。若い人やビギナーは、とりあえずマネから始まる)
いかにも、とってつけたみたいだったので、若さに対する執着のようなものを感じた。
そして、やはり、動かない後姿にも、年齢は出る。
若い人のように、すらっとしていない。
気持ちはわかるが、年齢にあった格好をするほうが、リスクが少ない。
ハイリスク・ハイリターン派か、ローリスク・ローリターン派か、だ。
(ちなみに、わたしは、リスクだらけで、
「そのバッグを掛けて家から出てくる、そして歩く、その勇気に拍手」などと失笑を買うことも少なくない)
・・・
単なる後ろ姿だけで、こんなにブログネタになるとは。
梅干を見るだけで、食べもしないで、
酸っぱそうだ、と、ごっくんツバを飲み込んで、ごはんを何杯も食べるかのごとく。
おもちゃ要らず。
「究極の無駄」を追求するには、もってこいである。
本日も、このテーマに図らずとも接近した様子。
ふむふむと、にっこり納得して、終了いたします。
これって、究極のコミュニケーション能力・不可ってことでは?
ちゃんと対面して、人と話すこと、あるいは、自分の意見を言ったり、説得したりすることができない、
そういうことだと思う。
言いたいことがあれば、直接、本人に言えばいいのに、言えない。
これは、根性がない、勇気がない、いい顔がしたい、・・・そういうことである。
感情的にならず、事務的にビジネスライクに、さらっと言えばいいのでは?
例えば・・・
「くちゃくちゃ、べちゃべちゃ音を立てずに、モノを食べてね」
これをイヤミなく言えるか?
にこやかに、言えるか?
・・・難しい・・・。
・・・
わたしは、クレームが言いにくい。
それと、間違いを指摘すするのが苦手。
例えば、かんたんな英単語や、固有名詞の名前を間違っている人に、
非常に指摘しにくい。
指摘されることは、よくある。
赤面。
なにが赤面かというと、ちょっと、こ難しいことを言おうと、かっこつけて、その言ったことが間違っている、
これが最高に恥ずかしい。ええかっこしいが、命取り。
まだ「あの・・・背中のファスナー、開いてますよ」のほうが、マシ。
・・・
戦中・世代の人の「英語」は、教育の時代背景もあるし、失礼になると困るので、習得、使用については
デリケートに感じる。
頭のいい、IQの高い、物知りで、理解力もある人だったりすると、特に、指摘しづらい。
プライドをずかずか土足で傷つけることになりかねない。
人をむやみやたらに辱めてはいけないと、思ってしまう。
しかも、むつかしい単語ならまだしも、ごくごく普通に使う、日常の言葉だったりすると、よけいに。
で、いつも、それらの単語が、その人の会話に出る度に、
どこかに、その間違った単語が、わたしの頭の隅っこに引っかかっているのだが、
教えてあげるべきか、否か・・・
訂正できずに、もぞもぞしている。
おそらく、わたしにも、そんな単語の一つや二つ、・・・三つや四つ、百や二百、千や一万はあるに違いない。
知らないことの恥ずかしさ。
でも、自分が無知であることは、知らないほうが、幸せだ。
知ったら、一言たりとも話せない。
・・・
話はころっと変って、年末に、都心のデパートで見かけた女性。
前からではなく、後姿のみ。
エスカレーターに乗っておられる後姿を拝見した。
年の頃なら、推定、40代後半~50代後半?
冬の服装なので、体型はまるでわからず、わかるのは、身長と、何頭身か、ぐらい。
なのに、それで年齢を推定する。
歩いていないで止まっているので、動作からは推定できない。
ヘアスタイルと、身に着けているもの、たったそれだけで、推定。
推定する必要はないのだが、なぜか、興味を引かれて、想像癖が、もわんと沸き起こる。
とても若い格好をしていた。
真新しいコートにロングブーツ、ピカピカのヴィトンのバッグ。
どれもこれも新品に近い、高価な、よそ行き、というかんじ。
梅田阪急デパートなので、京阪神のどこかにお住みの方だろう。
なぜ、わたしが、その人が目に止まったか。
頑張っていたからである。
後姿だけのその若い格好の人から、頑張り感を感じた。
憧れとも違う、冷笑でもない、なにか、不思議な感覚。
年末に、おしゃれして、頑張って都心に出てきたんだ、あの人。
おそらく、デパートに出かけるのが目的で出てきたのではなく、
なにか出かけることがあって、そのついでにデパートに寄ったのだろう。
上から下まで、新品って、なにか、おもしろい。
買ったばかりのピカピカのもので身を包んでおられる。
お金のたっぷりある人か、あるいは、虚栄心のある人。
金持ちか、見栄っ張りのどちらかである。
そう書くと、わたしが、ひがんでいるように感じる方もおられるだろう。
べつに、ひがんでいない。
年齢より若い格好をして都心に出てくる、わたしと似たような世代の女性に興味があっただけだろう。
ステキ!!と感じたかどうか。(顔も見てないし、年齢を確認したわけでもないのに)
当然、ブサイク、とは感じなかった。
あの人の周りでは、ステキで憧れの対象になっているかも知れない。
あの人は、新品に身を包み、おそらく、うきうきしておられるだろう。
あるいは、いつものことなので、どおってことはないのかも知れない。
前置きが、長い・・・(じつは、書きながら考えている・・・うーーん・・・)
テレビの変身コーナーのように、すべて新しいモノに身を包んで、それがあの人の個性なのか?
ってことだ。
新品には、キャラが立たない。
着こなすという、そういう味わいの部分がない。
それぞれコートや、ブーツ、バッグをチョイスするのは、あの人のセンスであるが、
どれもこれも新品では、風合い、風格がない。
突然、金回りがよくなった人か、あるいは借り物みたいだ。
顔も見ていないのに、あの人は、アカの他人のわたしに、そこまで思われる筋合いはないだろう。
しかも、高そうなものばかりだったのに。
なぜ、気になっていたのか、よおく考えてみたが、うっすら見えるものがあり、だんだんわかりかけてきた。
自分の好みやセンスを認識、自覚した瞬間である。
モノを通して現れる、その人の個性。
モノが高価であっても、中身まで高価だという効果は現れない。
逆説である。アイロニー。
高価なものを身に着ける場合は、本人もそれに見合う中身がないと、
かえって、違和感があるということだ。
俳優の場合は別だろうけれど。
あの人は、後姿だったから、観察、分析をするのに、よかったのかも知れない。
顔を見てしまうと、先入観や好みが出てしまう。
店先のショーウインドゥ、ファッションのディスプレイも、顔のあるマネキンに着せず、顔のついていないものに着せたり、
着せずに引っ掛けたり、直置きしたほうが、その服だけに限定され、とらわれず、想像力が増す。
インパクトがある。
自由な発想が生まれる。
その服を着て、なにかをしている自分。服から、行動を誘引する。
それと同じようなものか。
若い格好なのに、若くないとわたしが想像したのは、若い人なら、もっと着こなし感があるだろう、と推定した。
躍動感なり、行動感なり、その人のライフスタイルや、個性が少しは見えてくるのでは?
(個性がないのが、個性、という場合もあるけれど。若い人やビギナーは、とりあえずマネから始まる)
いかにも、とってつけたみたいだったので、若さに対する執着のようなものを感じた。
そして、やはり、動かない後姿にも、年齢は出る。
若い人のように、すらっとしていない。
気持ちはわかるが、年齢にあった格好をするほうが、リスクが少ない。
ハイリスク・ハイリターン派か、ローリスク・ローリターン派か、だ。
(ちなみに、わたしは、リスクだらけで、
「そのバッグを掛けて家から出てくる、そして歩く、その勇気に拍手」などと失笑を買うことも少なくない)
・・・
単なる後ろ姿だけで、こんなにブログネタになるとは。
梅干を見るだけで、食べもしないで、
酸っぱそうだ、と、ごっくんツバを飲み込んで、ごはんを何杯も食べるかのごとく。
おもちゃ要らず。
「究極の無駄」を追求するには、もってこいである。
本日も、このテーマに図らずとも接近した様子。
ふむふむと、にっこり納得して、終了いたします。