蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

新品

2014-01-07 | 日々のこと
ブログを書いて憂さ晴らし。(わたしのことです)
これって、究極のコミュニケーション能力・不可ってことでは?
ちゃんと対面して、人と話すこと、あるいは、自分の意見を言ったり、説得したりすることができない、
そういうことだと思う。

言いたいことがあれば、直接、本人に言えばいいのに、言えない。
これは、根性がない、勇気がない、いい顔がしたい、・・・そういうことである。

感情的にならず、事務的にビジネスライクに、さらっと言えばいいのでは?
例えば・・・
「くちゃくちゃ、べちゃべちゃ音を立てずに、モノを食べてね」
これをイヤミなく言えるか?
にこやかに、言えるか?

・・・難しい・・・。

・・・

わたしは、クレームが言いにくい。
それと、間違いを指摘すするのが苦手。
例えば、かんたんな英単語や、固有名詞の名前を間違っている人に、
非常に指摘しにくい。
指摘されることは、よくある。
赤面。

なにが赤面かというと、ちょっと、こ難しいことを言おうと、かっこつけて、その言ったことが間違っている、
これが最高に恥ずかしい。ええかっこしいが、命取り。
まだ「あの・・・背中のファスナー、開いてますよ」のほうが、マシ。

・・・

戦中・世代の人の「英語」は、教育の時代背景もあるし、失礼になると困るので、習得、使用については
デリケートに感じる。
頭のいい、IQの高い、物知りで、理解力もある人だったりすると、特に、指摘しづらい。
プライドをずかずか土足で傷つけることになりかねない。
人をむやみやたらに辱めてはいけないと、思ってしまう。
しかも、むつかしい単語ならまだしも、ごくごく普通に使う、日常の言葉だったりすると、よけいに。
で、いつも、それらの単語が、その人の会話に出る度に、
どこかに、その間違った単語が、わたしの頭の隅っこに引っかかっているのだが、
教えてあげるべきか、否か・・・
訂正できずに、もぞもぞしている。

おそらく、わたしにも、そんな単語の一つや二つ、・・・三つや四つ、百や二百、千や一万はあるに違いない。
知らないことの恥ずかしさ。
でも、自分が無知であることは、知らないほうが、幸せだ。
知ったら、一言たりとも話せない。

・・・

話はころっと変って、年末に、都心のデパートで見かけた女性。

前からではなく、後姿のみ。
エスカレーターに乗っておられる後姿を拝見した。
年の頃なら、推定、40代後半~50代後半?
冬の服装なので、体型はまるでわからず、わかるのは、身長と、何頭身か、ぐらい。
なのに、それで年齢を推定する。
歩いていないで止まっているので、動作からは推定できない。
ヘアスタイルと、身に着けているもの、たったそれだけで、推定。
推定する必要はないのだが、なぜか、興味を引かれて、想像癖が、もわんと沸き起こる。

とても若い格好をしていた。
真新しいコートにロングブーツ、ピカピカのヴィトンのバッグ。
どれもこれも新品に近い、高価な、よそ行き、というかんじ。
梅田阪急デパートなので、京阪神のどこかにお住みの方だろう。

なぜ、わたしが、その人が目に止まったか。
頑張っていたからである。
後姿だけのその若い格好の人から、頑張り感を感じた。

憧れとも違う、冷笑でもない、なにか、不思議な感覚。
年末に、おしゃれして、頑張って都心に出てきたんだ、あの人。
おそらく、デパートに出かけるのが目的で出てきたのではなく、
なにか出かけることがあって、そのついでにデパートに寄ったのだろう。

上から下まで、新品って、なにか、おもしろい。
買ったばかりのピカピカのもので身を包んでおられる。
お金のたっぷりある人か、あるいは、虚栄心のある人。
金持ちか、見栄っ張りのどちらかである。
そう書くと、わたしが、ひがんでいるように感じる方もおられるだろう。
べつに、ひがんでいない。

年齢より若い格好をして都心に出てくる、わたしと似たような世代の女性に興味があっただけだろう。

ステキ!!と感じたかどうか。(顔も見てないし、年齢を確認したわけでもないのに)
当然、ブサイク、とは感じなかった。
あの人の周りでは、ステキで憧れの対象になっているかも知れない。
あの人は、新品に身を包み、おそらく、うきうきしておられるだろう。
あるいは、いつものことなので、どおってことはないのかも知れない。

前置きが、長い・・・(じつは、書きながら考えている・・・うーーん・・・)

テレビの変身コーナーのように、すべて新しいモノに身を包んで、それがあの人の個性なのか?
ってことだ。
新品には、キャラが立たない。
着こなすという、そういう味わいの部分がない。
それぞれコートや、ブーツ、バッグをチョイスするのは、あの人のセンスであるが、
どれもこれも新品では、風合い、風格がない。
突然、金回りがよくなった人か、あるいは借り物みたいだ。

顔も見ていないのに、あの人は、アカの他人のわたしに、そこまで思われる筋合いはないだろう。
しかも、高そうなものばかりだったのに。

なぜ、気になっていたのか、よおく考えてみたが、うっすら見えるものがあり、だんだんわかりかけてきた。
自分の好みやセンスを認識、自覚した瞬間である。

モノを通して現れる、その人の個性。
モノが高価であっても、中身まで高価だという効果は現れない。
逆説である。アイロニー。

高価なものを身に着ける場合は、本人もそれに見合う中身がないと、
かえって、違和感があるということだ。
俳優の場合は別だろうけれど。

あの人は、後姿だったから、観察、分析をするのに、よかったのかも知れない。
顔を見てしまうと、先入観や好みが出てしまう。
店先のショーウインドゥ、ファッションのディスプレイも、顔のあるマネキンに着せず、顔のついていないものに着せたり、
着せずに引っ掛けたり、直置きしたほうが、その服だけに限定され、とらわれず、想像力が増す。
インパクトがある。
自由な発想が生まれる。
その服を着て、なにかをしている自分。服から、行動を誘引する。
それと同じようなものか。

若い格好なのに、若くないとわたしが想像したのは、若い人なら、もっと着こなし感があるだろう、と推定した。
躍動感なり、行動感なり、その人のライフスタイルや、個性が少しは見えてくるのでは?
(個性がないのが、個性、という場合もあるけれど。若い人やビギナーは、とりあえずマネから始まる)
いかにも、とってつけたみたいだったので、若さに対する執着のようなものを感じた。
そして、やはり、動かない後姿にも、年齢は出る。
若い人のように、すらっとしていない。

気持ちはわかるが、年齢にあった格好をするほうが、リスクが少ない。
ハイリスク・ハイリターン派か、ローリスク・ローリターン派か、だ。

(ちなみに、わたしは、リスクだらけで、
「そのバッグを掛けて家から出てくる、そして歩く、その勇気に拍手」などと失笑を買うことも少なくない)

・・・

単なる後ろ姿だけで、こんなにブログネタになるとは。
梅干を見るだけで、食べもしないで、
酸っぱそうだ、と、ごっくんツバを飲み込んで、ごはんを何杯も食べるかのごとく。

おもちゃ要らず。

「究極の無駄」を追求するには、もってこいである。
本日も、このテーマに図らずとも接近した様子。
ふむふむと、にっこり納得して、終了いたします。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ