蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

終活

2014-01-25 | 日々のこと
ブログを開設したまんま、亡くなる人が増えてきているそうだ。
ある日、突然、更新がぴたりと止まる。

・・・ある一定の時間経過の後、
「母が、○月○日、他界いたしました。
母が生前、このブログで、お世話になりました。
私は、娘です。母に代わって、ここにご挨拶しています」
というような内容が、ある日、アップされる。

娘に言われた。
「おかあさん、あとは、やっといたげるから、大丈夫やで~。安心してね~」
これって、頼もしいのか?
まだ、平均寿命よりも何十年もわたしは若いんだから、予定では早々近いうちに死にません。

・・・

しかし、わたしは、つい最近から、終活にシフトしている。
意識しはじめたのは、今年の初詣のときだろうか。
護摩木に、年頭の願いを毎年書いて、神社におさめている。
それまで、わたしは、開運だとか、上昇運だとか、○○隆盛だとか、○○成就だとか、そういうことばかりを書いていた。
しかし、今年は、・・・もう、上昇しなくてもいい、と思った。
運も開けなくていい、と。
今で十分。
なので、「無病息災」と書いた。
欲がない、ついでに言えば、覇気もない。

・・・

「家にモノが多すぎる」と、娘に苦言を呈される度に、しゅんとなる。
彼女は、キツイ。容赦なく、ためらいなく一刀両断のもとに斬られる。
なにもない、すっきりした空間こそが、最大の贅沢な快適空間だと、彼女は感じている。
つまり、わたしとは、対極の位置にある。
「いいの! ここは、わたしの家! モノだらけで、なにが悪い!」と開き直ってみせるものの、

「終活しようと思っている。モノを処分して、残された人たちの迷惑にならないように、少しずつ」
とも健気にわたしは言ってみた。
「いつからするの? そんな気もないくせに」と、娘はお見通し。
いや、わたしは、決めたのだ。
とりあえず、終活しようと決めただけで、まだスタートしていないのは事実だが。


すると、あら不思議。
1月バーゲン追い込み真っ盛りの、繁華街、デパートの各売り場に足を運んでも、まったく買いたいと思うものがない。
まったく、まったく、まったく、ない。
少々あったとしても、手にとって、値段を見て、いつ、どこで着る?と考えると、
出した手も、ひっこんでしまう。

また、あのモノだらけのモノの上に、さらにモノを増やすつもりか?
もういい。
着飾ったところで、なにが楽しい?
これは、あきらかに老化によるホルモン低下。オンナ指数が下がっているに違いない。
それはそれとして・・・。

で、買ったのは、地下、それも地下1階の夢のあるスイーツではなく、地下2階の生鮮食料品売り場、
今夜のおかず、鍋の材料。
わざわざ都心のデパ地下で、どこのスーパーにでも売っている、えのきやら、くずきり、豆腐などを買うわたしも、どうかと。
しかも、スーパーより高いし、遠方の自宅まで持ち帰るのが重い。
が、今のわたしには、コートやおしゃれ用品よりも、今夜をいかにクリアーするか、が大事。
(家の近所で買うには、時間調整的に、苦しいし)
それは、ある意味、「風が吹けば桶屋が儲かる」に通じる理論展開。
終活すると、買うのは、お鍋の材料。

・・・

終活に向けて、雑念を取り省き、自分にとって大事なものは何か、優先順位をつける。
あれもこれも、ではなく。
けっこう、冬の澄んだ空のように、すっきりするから不思議だ。

とはいうものの、ちっともすっきりしていない、あいかわらず、モノだらけの家を見て、
「終活宣言」をしたわたしだが、期間を、今から35年と設定した。
長すぎて、終活にもなにもなっていないか。
死んでるか。あとは、お任せ~。

まあ、いい。
気持ち、・・・気持ちだ。あくまでも。
そういう気持ちでいれば、買わなくてもいい高いコートは買わなくてすむし。
(が、ストレスが逆に無意識にたまって、別の機会に逆噴射して、要らないモノをたっぷり衝動的に買い込むかも?)

とりあえず、少しずつ、少しずつ、終活路線に向かっていこうと、気持ちだけは、終りに向けて張り切っている。
終りの始まり?
消滅への頑張り?
逆ベクトルが同時に作動している。


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