蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

2014-01-27 | 日々のこと
わたしは、年相応よりももっとボケていて、(じつは、若い時から天然)
おそらく、ブログには、なんども同じコトを書いているだろう。
なので、ああ、またか、とお思いの方は、こころやさしくスルーしてください。

人間は、同じことを何度も何度も言いたくなるようだ。
なぜなのだろう。
一度や二度、吐き出せば、そこそこスッキリするのではないのか?
だが、何度も何度も何度も、呪文か、お経のように、同じ話をすることがある。
わたしもおそらく少しぐらいは、心当たりがあるが、年を重ねると、その傾向が益々大きくなるようだ。

高齢の人にはよくある行動で、不思議でもなんでもない。
だが、これを毎回毎回、聞かされると・・・けっこう、こたえる。
こちらに蓄積してしまう。
なので、ヒアリングの電源を一旦オフにするといい。あるいは消音に切り替える。

ああ、またはじまった、ちょっと音を小さくしよう。
そうして、なにかの折に、うなずく。

「ふうむ、そうなんですね」
「たいへんでしたね」
「すごいですね」

適度に相槌を打つ。
プライドの根源を否定するようなことも、しない。

・・・

口から出るのは、楽しかった頃の思い出とかではない。

ある人は、苦しかったことや、悔しかったこと、そういうことばかり。
いまは、幸せなんだから、もう、いいではないか。
そう思うが、そうでもないのか。
今の幸せをかみ締めたいから、逆に、昔の苦しかったことを思い出して、その逆差に喜びに浸りたいのか。
そういうふうにも、見えない。

あるいは、自慢を言うと、人に嫌われるので、自ずと、辛い経験を話すのだろうか。
苦しい体験のほうが、同情や同調を得やすいのか。

・・・

人生のピークだった頃の話をしたがる人も多い。
リタイアして長いのに、現役時代の活躍していた話。いきいきした表情になる。
それはそれで、いいとわたしは思う。
自分の話したいことを自然に話すのは、こころを開放させ、精神衛生上、オススメだ。
文字を操る人は、書いてナンボ、で、快感を得ていることもある。
皆、そうやって、自分のガス抜きをする。

が、できない人もある。
気を使ったり、こころを許せる人がいなかったり、閉塞感に苛まれる。

・・・

わたしは、人の話を聞くのは嫌いではない。
自分で話すのも嫌いではない。
ただし、自分本位の話し方なので、自分の頭の中ではつながっているが、
聞く人は、文脈がバラバラで理解に苦しむようだ。
ブログも然り。
反省。

話し手が、話している話を順序よく組み立てられず、支離滅裂で意味がおかしくても、
聞き手が、話し手の言葉の使い方を(聞き手の)頭の中で修正したり整理したり、不足分を補って汲み取って理解してくれる、
そういう聞き手ばかりと話していると、
話し手は、話し方を考えたり、修正したり、改善する能力がどんどん低下する一方だ。
というようなことを、娘に言われた。
この場合、話し手は、わたしのこと。聞き手は、娘のこと。
これは、いつも言われることである。

「おかあさんの話は、わかりにくい。
いつまでも改善する努力をしないのは、まわりに、わかりにくいのに、補い理解できる人がいるから」

いつも強力なサポーター、自分を補ってくれる人がいると、能力的にも努力的にも、スポイルされるわけである。


ある程度の高齢になると、仕方ないが、わたしの年齢では、とりあえず、叱られる。
苦言の対象となる。
「だってぇ~。もう年だしぃ~」と、よろけてみても、容赦ない。

なので、わたしは、高齢のひとたちには、けっこう甘い。
どうぞどうぞ、ぞんぶんに、よぼよぼになってください。
そんなに頑張らなくてもいいですよ、と思ってしまう。

が、年寄り特有の我侭、自己チューが鼻につくと、放置する。
そのあたり、まだ、わたしには、寛容なこころ、忍耐力、包容力に欠ける。
修業中。道、まだ途中。

・・・

話は元にもどって・・・

人が楽しそうに話すのは、聞いていて、嫌な気はしない。
なので、本人が話したいことを話してもらうのが一番いい。
それが、たとえ、苦しい時代の話ばかりであっても、それはそれでいい。
本人が、生きている今を実感できれば、いい。
感情を吐き出すことは、脳の活性化にもつながるのかも知れない。

まだ、そこまで高齢でない、中途半端な、年寄りが、ややこしい。
(わたしを含む)
都合のいい時だけ、「年だから」という。年齢枠・免除を申請する。


まあ、それはいいとして、
人が自由に話す内容は、その人の人生が出る。
自由なテーマにすると、なおさら。
限られた話題だと、わかりにくいが、話したい話を自由に話してもらうと、今までの軌跡のようなものが、よくわかる。
これはなにも、年齢によらないのかも知れないが、
高齢ではない人は、まだまだ自分の社会的義務に振り回される要素が多いので、話したい内容が変ってくる。

お仕事をされていない、お子さんのいない主婦の方は、また違う。
子供あり有職主婦とは、違う。
リタイアされている男女も、また違う。
老若男女、既婚か、非婚かで、また違う。

興味の対象が、違う。

・・・

人は、いろんな側面を持ち、年齢が上がるにつれ、デフォルメされる。
だから、面白い。
面白くない人もいて、面白くなさ過ぎて、それはそれで、面白い。
各自、意識の持ちようで、同じ状況でも、千差万別。

・・・

ああ、ちっとも、話のオチがない。
延々、続けても、まとまりそうもない。

で、なにが言いたい?は、次の機会に考えるとして、
今日は、ここで、書き散らし、散らかしたまんま、終りです。


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