昨日、ダンスホールの更衣室で、着替えていたら、見知らぬ女性Aが入ってきた。
そこに、また、見知らぬ女性Bが来た。
B「この前のドレス、買われたの?」
A「買わなかったの」
B「あら、すごく良く似合ってらしたわよ」
A「あれより、もっといいのを買ったの」
B「そうなの? あれは、白がきれくて、あなたにとってもお似合いだったのに」
A「あれより、もっといいドレスにしたの。
あのドレスの2倍以上の値段のドレスを、他のところで買ったんですよ」
B「(へえ~)・・・」
A「50万円なんですが、とても気に入ってましてね。
お取り置きしてもらってたら、よそのオバちゃんが、がっと入ってきて、そのドレスを試着するんで、
結局、その場で、買っちゃいました」
B「(ふ~ん)・・・」
A「あのブランドは有名で、あのドレスを着て出ることが、競技選手の夢なの」
B「(あら、そうなの)・・・」
A「練習のモチベーションが高まるの」
B「(し~ん)・・・」
これ、最初は、Bさんが、世間話的に話題を振って、いい調子だったのだけど、
だんだん、Aさんのノリになってきていた。
わたしは、AさんBさん、お二方とも知らない方なので、どうでもいいが、
なぜか耳がダンボになってしまい、
最後に更衣室を出るときは、いったいどんな人なのかと、Aさんの顔をまじっと見て、出た。
Aさん、上品な方のはずなのに、自分の欲求を妨げる行為、
買おうと思ってお取り置きしていたドレスを試着する人に対して、いきなり「オバちゃん」という単語を発した。
この言葉で、わたしは、このAさんこそ、「あんたがオバちゃんや」と思ってしまった。
おんなの闘いは、すごい。
じつは、わたしは、その更衣室に入る前に、
ホールのフロントやロビー近くで、ずらり並べて売られていたキンキラドレスを熱心に見ていた。
いいな~、ステキだな~、→高いな~ →どこで着る? どこに置く? 何回、着る? →無理、買わない、→見るだけ
と、心理、感情、考えが推移していた。
どこか、こころの隅、底に、ドレスに対する未練がある。
買いたいけど、買わない。見るだけ。
そういう心理が育っていた時に、いきなり、ドレスを買う話。
女性どうし、ドレスは憧れの的。
Aさんが競技選手であることに対しては、わたしはさほど、なにも思わなくなった。
以前なら、憧れ、自分とは縁のないものとして見ていた。
一種の、すっぱいブドウ、負け犬的心情だった。
が、今は、自分のスタンス、価値観が確立されつつあり、べつに、競技選手だからって、どおってことない。
まあ、それはそれでいいのだが。
まったく見知らぬわたしがいるのに、ドレス50万円也を、(よそのオバちゃんを跳ね除けて)買う話、
それをする二人。
それは、まあいい。
世間話の一つだ。
わたしが不思議に思うのは、聞かれてもいないのに値段まで言う、そのアケスケ、フランクぶり。
大阪のおばちゃんは、あんなのかなあ、と。
よほどの親しい人でもない限り、そんな大きな買い物をした話は、わたしはしない。
(というか、誰にも言わない)
まして、初対面のアカの他人であるわたしという、目も耳も口もある、どんな人物かも知れない人間が混じっている中で、
(しかも更衣室といえど、密室で)
けろっと話すことに、驚きを覚えた。
この話をある人にしたら、
「自慢したいんじゃないの?」
とのお言葉。
なるほど・・・。
あれは、自慢だったのか・・・。
だとすると、わたしに対しては、効き目がなかった。
胸の中に収めておけばいいものを、わざわざ口に出して報告する行動心理には、2種類ある。
なにも考えていない、思ったことを口にしないと、すっきりしない人、と、
なにかしら意図がある人。
わたしなら、絶対に、他人に妬まれるかも知れないようなことは、自分から言わない。
逆の場合もあるんだ。
妬ませるために、言う?
深読みかも知れない。
たんに、わたしがドレスが欲しいけれど、買わない、残念無念のしこりが、深読みさせたのか。
これも、妬みの一種で、冷静・へ理屈バージョンか?
「オバちゃん」は、Aさんの胸に潜んでいるのではなく、わたしに潜んでいるに違いない。
そこに、また、見知らぬ女性Bが来た。
B「この前のドレス、買われたの?」
A「買わなかったの」
B「あら、すごく良く似合ってらしたわよ」
A「あれより、もっといいのを買ったの」
B「そうなの? あれは、白がきれくて、あなたにとってもお似合いだったのに」
A「あれより、もっといいドレスにしたの。
あのドレスの2倍以上の値段のドレスを、他のところで買ったんですよ」
B「(へえ~)・・・」
A「50万円なんですが、とても気に入ってましてね。
お取り置きしてもらってたら、よそのオバちゃんが、がっと入ってきて、そのドレスを試着するんで、
結局、その場で、買っちゃいました」
B「(ふ~ん)・・・」
A「あのブランドは有名で、あのドレスを着て出ることが、競技選手の夢なの」
B「(あら、そうなの)・・・」
A「練習のモチベーションが高まるの」
B「(し~ん)・・・」
これ、最初は、Bさんが、世間話的に話題を振って、いい調子だったのだけど、
だんだん、Aさんのノリになってきていた。
わたしは、AさんBさん、お二方とも知らない方なので、どうでもいいが、
なぜか耳がダンボになってしまい、
最後に更衣室を出るときは、いったいどんな人なのかと、Aさんの顔をまじっと見て、出た。
Aさん、上品な方のはずなのに、自分の欲求を妨げる行為、
買おうと思ってお取り置きしていたドレスを試着する人に対して、いきなり「オバちゃん」という単語を発した。
この言葉で、わたしは、このAさんこそ、「あんたがオバちゃんや」と思ってしまった。
おんなの闘いは、すごい。
じつは、わたしは、その更衣室に入る前に、
ホールのフロントやロビー近くで、ずらり並べて売られていたキンキラドレスを熱心に見ていた。
いいな~、ステキだな~、→高いな~ →どこで着る? どこに置く? 何回、着る? →無理、買わない、→見るだけ
と、心理、感情、考えが推移していた。
どこか、こころの隅、底に、ドレスに対する未練がある。
買いたいけど、買わない。見るだけ。
そういう心理が育っていた時に、いきなり、ドレスを買う話。
女性どうし、ドレスは憧れの的。
Aさんが競技選手であることに対しては、わたしはさほど、なにも思わなくなった。
以前なら、憧れ、自分とは縁のないものとして見ていた。
一種の、すっぱいブドウ、負け犬的心情だった。
が、今は、自分のスタンス、価値観が確立されつつあり、べつに、競技選手だからって、どおってことない。
まあ、それはそれでいいのだが。
まったく見知らぬわたしがいるのに、ドレス50万円也を、(よそのオバちゃんを跳ね除けて)買う話、
それをする二人。
それは、まあいい。
世間話の一つだ。
わたしが不思議に思うのは、聞かれてもいないのに値段まで言う、そのアケスケ、フランクぶり。
大阪のおばちゃんは、あんなのかなあ、と。
よほどの親しい人でもない限り、そんな大きな買い物をした話は、わたしはしない。
(というか、誰にも言わない)
まして、初対面のアカの他人であるわたしという、目も耳も口もある、どんな人物かも知れない人間が混じっている中で、
(しかも更衣室といえど、密室で)
けろっと話すことに、驚きを覚えた。
この話をある人にしたら、
「自慢したいんじゃないの?」
とのお言葉。
なるほど・・・。
あれは、自慢だったのか・・・。
だとすると、わたしに対しては、効き目がなかった。
胸の中に収めておけばいいものを、わざわざ口に出して報告する行動心理には、2種類ある。
なにも考えていない、思ったことを口にしないと、すっきりしない人、と、
なにかしら意図がある人。
わたしなら、絶対に、他人に妬まれるかも知れないようなことは、自分から言わない。
逆の場合もあるんだ。
妬ませるために、言う?
深読みかも知れない。
たんに、わたしがドレスが欲しいけれど、買わない、残念無念のしこりが、深読みさせたのか。
これも、妬みの一種で、冷静・へ理屈バージョンか?
「オバちゃん」は、Aさんの胸に潜んでいるのではなく、わたしに潜んでいるに違いない。