強者
2014-01-24 | 人生
ある女性。
長い間、姑さんと同居し、姑さんは高齢で他界された。
姑さんに子供の教育に口を出され、思うような子育てができなかった。
「そんな姑さん、無視したらいいのに」
そう言うのはカンタンだ。
「なんで、そんなに家族全員が、言うことを聞くの?」と疑問に思ったりする。
が、毎日、一緒に生活していて、マインドコントロールに近い、恐怖政治のような暮らしを共にしていると、
そうもできない、という見方もある。
たとえばDVを受けている人に、
「逃げ出したらいいじゃない」とコメントを言ったとしても、
逃げ出せるものなら、とっくに逃げ出している。
逃げ出せないところに問題があるのだ。
自分はどうもなかったから、うまくいっているからと、自分と同じ目線でモノを言う人は、強者の目線だそうだ。
「こうすればいいじゃない」
しゃーしゃーと言ってのける、強者。
じつに、無神経で恥ずかしくもある。
したくても、できない、その現状なり原因なり背景なり、そこが問題なのに。
・・・
さて、前述の、お姑さんに嘆く女性。
彼女は、その被害を避けることはできなかったのか?
夫はなにをしている?
そもそも結婚するときに、
「あのお母さんは、たいへんだから、やめたほうかいい」と、人からアドバイスを受けていたそうだ。
それでも、努力でどうにでもする、と豪語し、突き進んだ。
しかし、やはりたいへんだった。
子供が小さい頃、離婚しようかと考えたが、夫がいっしょに家を出てくれた。
(ふつうに言うと、核家族になって親と別居)
が、舅が亡くなり、また同居に戻った。
姑と諍いのせいもあり、子供たちも親の顔色を見るようになったのだろう。
教育はうまくいかなかった。
姑が亡くなった後も、うまくいかなかったのは、あの姑のせいだ、と言われ続けている。
この人生コースを選んだのは、当の本人である。
結婚の時に、「難あり」、というアドバイスを無視して、困難なほうをわざわざ選んだ。
自分で犯した過ちは、軌道修正するなり、自分で始末するしかない。
苦し紛れに、もがいた頃もあった。
今はご主人と、とても幸せな毎日だと思う。
山あり、谷あり、で、結果的にはハッピーエンドである、とわたしは思う。
確かに、あの姑さんでは気の毒であるが、姑を含めて、道を選んだのは、彼女である。
そのことは、考えたこともなく、
そういう考え方があるということも知らず、考えようともしないで、
ぜったいに、ひとのせいにする。
自分は悪役にはなりたくない、悪と闘わない、
弱弱しく、哀しい、多くの同情を集める、悲劇のヒロインである。
が、モノゴトの芯、軸は自分にある。
人はどうであれ、自分がどうであるか。
かんじん要のところが抜け落ちている。
彼女は、受身の人生だ。
だが、それのほうが幸せを感じる近道かも知れない。
へんに、モノゴトが見えると、かえって絶望的になる。
敵は自分の中にある、諸悪の根源は自分である、と思うとやってられない。
自分を責めて、それこそ、こころの病気になってしまう。
なので、人のせいにする、というのは、ある意味、自分を守る。
しかも、無意識に。
なので、こころも痛まない。
健気で美しく、苦難に耐える自分が、人の目には映る。
・・・
わたしは、いろんな人生話を聞かされるのだが、(あんまり聞いてないけれど)
たいして意見を言わない。
その人の人生を否定する気はまったくないし、
(人に多大な迷惑をかける人でなければ、どんな人であれ、そこそこ平等に肯定する)
第一、あまり巻き込まれないほうが、自分の幸せを守るからかも知れない。
卑怯だが、自分しか自分を守ってくれない。
なにごとも、深入りしないほうが、無難である。
完全に守りの人生になっている。
いや、むしろ、逃げの人生。
ということで、本日も、話をまとめず、逃げます。
長い間、姑さんと同居し、姑さんは高齢で他界された。
姑さんに子供の教育に口を出され、思うような子育てができなかった。
「そんな姑さん、無視したらいいのに」
そう言うのはカンタンだ。
「なんで、そんなに家族全員が、言うことを聞くの?」と疑問に思ったりする。
が、毎日、一緒に生活していて、マインドコントロールに近い、恐怖政治のような暮らしを共にしていると、
そうもできない、という見方もある。
たとえばDVを受けている人に、
「逃げ出したらいいじゃない」とコメントを言ったとしても、
逃げ出せるものなら、とっくに逃げ出している。
逃げ出せないところに問題があるのだ。
自分はどうもなかったから、うまくいっているからと、自分と同じ目線でモノを言う人は、強者の目線だそうだ。
「こうすればいいじゃない」
しゃーしゃーと言ってのける、強者。
じつに、無神経で恥ずかしくもある。
したくても、できない、その現状なり原因なり背景なり、そこが問題なのに。
・・・
さて、前述の、お姑さんに嘆く女性。
彼女は、その被害を避けることはできなかったのか?
夫はなにをしている?
そもそも結婚するときに、
「あのお母さんは、たいへんだから、やめたほうかいい」と、人からアドバイスを受けていたそうだ。
それでも、努力でどうにでもする、と豪語し、突き進んだ。
しかし、やはりたいへんだった。
子供が小さい頃、離婚しようかと考えたが、夫がいっしょに家を出てくれた。
(ふつうに言うと、核家族になって親と別居)
が、舅が亡くなり、また同居に戻った。
姑と諍いのせいもあり、子供たちも親の顔色を見るようになったのだろう。
教育はうまくいかなかった。
姑が亡くなった後も、うまくいかなかったのは、あの姑のせいだ、と言われ続けている。
この人生コースを選んだのは、当の本人である。
結婚の時に、「難あり」、というアドバイスを無視して、困難なほうをわざわざ選んだ。
自分で犯した過ちは、軌道修正するなり、自分で始末するしかない。
苦し紛れに、もがいた頃もあった。
今はご主人と、とても幸せな毎日だと思う。
山あり、谷あり、で、結果的にはハッピーエンドである、とわたしは思う。
確かに、あの姑さんでは気の毒であるが、姑を含めて、道を選んだのは、彼女である。
そのことは、考えたこともなく、
そういう考え方があるということも知らず、考えようともしないで、
ぜったいに、ひとのせいにする。
自分は悪役にはなりたくない、悪と闘わない、
弱弱しく、哀しい、多くの同情を集める、悲劇のヒロインである。
が、モノゴトの芯、軸は自分にある。
人はどうであれ、自分がどうであるか。
かんじん要のところが抜け落ちている。
彼女は、受身の人生だ。
だが、それのほうが幸せを感じる近道かも知れない。
へんに、モノゴトが見えると、かえって絶望的になる。
敵は自分の中にある、諸悪の根源は自分である、と思うとやってられない。
自分を責めて、それこそ、こころの病気になってしまう。
なので、人のせいにする、というのは、ある意味、自分を守る。
しかも、無意識に。
なので、こころも痛まない。
健気で美しく、苦難に耐える自分が、人の目には映る。
・・・
わたしは、いろんな人生話を聞かされるのだが、(あんまり聞いてないけれど)
たいして意見を言わない。
その人の人生を否定する気はまったくないし、
(人に多大な迷惑をかける人でなければ、どんな人であれ、そこそこ平等に肯定する)
第一、あまり巻き込まれないほうが、自分の幸せを守るからかも知れない。
卑怯だが、自分しか自分を守ってくれない。
なにごとも、深入りしないほうが、無難である。
完全に守りの人生になっている。
いや、むしろ、逃げの人生。
ということで、本日も、話をまとめず、逃げます。