蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分基準

2014-01-19 | 日々のこと
自分のブログを読んで、にやにや。
これは、究極の気持ち悪い人である。
なんと、今の自分とまったく同じ考え、感じ方をまとめた文章であろうか・・・。
あたりまえ、だいたいは、当日の朝に本人が書いている。


例えば、着たい服が売ってないから、作る。(自分で作る場合も、作ってもらう場合もある)
食べたいものが手に入らないから、作る。
こだわる人は、食材の野菜まで自分で作る。

見たい映画がないからといって、自分で作る人はない。(稀にいるが、稀な大金持ち)

なんであれ、こだわりの人は、できる範囲なら、自分専用カスタムメイドで。

・・・

母の生き方を見て、自分は別の生き方がいいと感じれば、自分の道を歩く。
いいなと、思えば、マネする。
部分的に取り入れたり、反面教師にしたり、見本、たたき台、参考にする。

参考にするものが多すぎると、道がぼやける。
選択肢は、ある程度、限られた数のほうが、迷いが少なくてよい。
それと、ありえない実現不可能な選択肢を候補の中に入れる入れる人は、あほ。
単なる空想家。(わたしには、少々、その傾向もある)
時間を無駄にするには、もってこいではあるが。

自分の道を決めるには、いろんな資料を集め、下調べ、調査をする。
しなくても、ぶっつけ本番で、たまたま偶然、うまくいく人もいる。
しかし、偶然はありえない。一見、偶然に見えるだけだ。
アンテナを張っていなければ、チャンスがあっても、幸運の女神は去っていってしまう。

宝石の原石を見つけたとしても、宝石そのものを知らなければ、手に取ることも、持ち帰ることもしない。
モノゴトは、ある程度、知らないより、知っておいたほうが、幸福への道しるべの手助けになると思う。

ただし、情報の氾濫の中で、どれをチョイスするかは、その人のセンスや、ぶれない眼力が必要。
どんな難しい本であれ、くだらない週刊誌であれ、テレビであれ、それを見ても、ただただ通り過ぎるだけなのか、
垂れ流すだけなのか、それとも、何かの細い糸でつながるのか。
知らず知らず紡いでいくと、なにかが織れるのかも。

・・・

情報や嗜好も、弊害のあるものばかりを好んで吸収する人は、それはそれで、すごいことになっていくだろう。
それが何年も何十年も続き、似たような人と付き合い・・・
見かけは同じでも、中身はまったく違うことになりかねない。

なにごとも「偶然」、ということはないと思う。
自分の求めているものを意識しているか、していないか。
自覚していないとしても、無意識のうちに自分に刷り込まれていることもある。

わたしは、「偶然」は、「必然」の積み重ねだと思っている。



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