ある人。
一見、ふつう。身なりはキチンとしている。
でも、お金がない。
そういう人でも、しっかり、めいっぱい、趣味を楽しんでおられる。
(これ、失礼な発言?!)
なにもなければ無事一日が過ぎるが、なにか少しでもあると、一日一日の生活にも困るほど、
お金がカツカツにない人がいる。
毎日、毎日、綱渡りをしているような生活である。
何事もないことが前提で、何かあったら、そこで、おしまい。暗転。
病気でもしようものなら、たちまちに医療費の捻出ができない。
そういう人は、案外、多いのかも知れない。
いかにもそう見える人なら、街でも見かけたりする。
(あるいは、ほんとうに大変な人は、街には出ないで自宅におられることだろう)
見かけは優雅で、まったく苦しそうでもない人が、意外に、お金がない。このギャップ。
・・・
パリでは、街角の角、角に、物乞いがいた。
若くてキレイなおねえさんだったり、若い健康的な男性だったり、あっけらかんとしていて、悲壮感はなかった。
地下鉄通路には、額を人々が歩き通り過ぎる地面にこすりつけ、土下座をもっとハードにした格好で、身動きせず、
長時間、物乞いする、立派な体格の中年男性もいた。
あのポーズを持続するのは、けっこう、体力がいると感じた。
お正月にいくつか見たテレビ番組のパリの特集では、どれもこれも、グルメや芸術だった。
パリの乞食、これはあまり報道されているのを見たことがないが、なぜなのだろう。
ロシアでは、乞食の地下組織があるそうだ。
乞食スタッフとして動員されるのは、子供、赤ん坊を抱いた母親、四肢にハンディキャップのある人・・・。
実際、サンクトペテルブルグの有名な観光地では、
小学生たちが団体旅行で訪れているところに、車椅子に座った、小学生が入り口で物乞いをしていた。
お互い、同じ年頃。
わたしは、複雑な心境で、どう感じていいのか、戸惑った。
政府や市民団体などは、そういう現状は、見て見ぬふりなのだろうか。
・・・
話をもとにもどそう。
その、一見、キチンとした人。
カツカツではあるが、キチンと計算して毎日の予算を組んでおられる。
年金暮らしと予想されるが、使う金額、使える金額が決まっている。
そういう人が、お金に不自由しない人々と同じ趣味を持ち、接することは、サーカスの綱渡りのような妙技のように見える。
お金は不自由であるが、時間と身体は、自由。
お金が自由な人との違いは、お金の面だけだ。(あたりまえ)
あれこもれも、と行動を広げない。
時間はあっても、お金がない。
とすると、行動を厳選することになる。
一番に制限を受けるのは、人付き合い。
声をかけられ、あちこちに参加していては、お金がもたない。
だが、趣味以外では、お金をかけない人付き合いもできる。
スーパーや商業施設で、テーブルと椅子がおかれた空間で、仲間で集まってオシャベリに興じている人々もよく見かける。
近所の仲良しさんが、ふたりでいつまでもベチャベチャしゃべっている姿も目にすることがある。
無料。
公園。無料。
お金をかけなくても、交友はできる。
同じように考える人同士が集まって、同じように楽しむ。
これは、非常にけっこうなことだ。
趣味などの場合、お金がある人も、ない人も、混じっていて、うまい具合にバランスをとって行動しておられるようだ。
お互いの生活パターン、領域に踏み込まないよう、崩さないよう、接点をもつ。
いろんな層の人がいるので、お互いに棲み分けをしながら、共通点である趣味をシェアする。
その場合、絶対に、みじめになったり、傲慢、高飛車になったり、そういうのはご法度。
ただ、共通して言えることは・・・
お金に余裕のない人は、その趣味の分野では実力が上位ランクの人であることが多い。
なので、お金に余裕のある人に対してでも、卑屈になることはまったくない。
もし、お金や社会的背景を持ち出して、優位を保持しようとするなら、趣味仲間には嫌われる。
「あの人、卑怯」と。
実力で勝てないから、お金でごり押ししようとして、浅ましい、と。
カッコ悪くて、みじめ。
そうすると、お金がある側のほうが浅ましくなり、お金に窮している側が、崇高になったりする。
立場、逆転。
気分、すっきり。
地獄の沙汰も金しだい・・・ではない。
お金で優位を確保できる趣味もあるが、わたしは、胡散(うさん)臭さを感じる。
そういう人は、
「趣味(または芸事)というものは、お金と時間をかけなければ大成しない」と言い切っておられる。
確かにそうだが、わたしは、そういう、いかにも上から目線、お金ぷんぷんのニオイは嫌いである。
いけ好かん。
しかも、実力は、たいしたことがない。
優位をお金で買える自分を、自慢したくてしかたないように見える。
そういう人に限って、人と比較したがる。
そして、趣味の世界なのに、
趣味とは関係ない、(聞かれもしないのに)自分の社会背景などをさらりと漏らして(実際、全然、さらり、ではない)
いやみったらしく自慢する。
豊かな商人系の方に多い。
で、自分の嗜好、志向が見えてくる。
あんなの嫌い。
・・・
娘は、清貧を目指すそうだ。
生活信条は、究極のエコをコンセプトに。
これがまた、厳しすぎて、ついていけない。
義母などは、完全に対極の暮らしだろうが、高齢枠の優遇措置でクリアー。
わたしが、もっとも風当たりが強い。
成金嫌いのわたしの影響だとしたら、自らが蒔いた種か?
なにごとも、ほどほどに・・・、と、泣いてすがりたい思いだ。