閲覧数、これは、どうも信用しがたい。
コンピューターがやっていることなので、しかも、無料なので、あれこれ正確さを追求するには、
厚かましいかと思い、自分の胸で、もやもやするだけ。
いくらブログ村のランキングで上位になった記事、あるいは、まったくノーマーク記事でも、閲覧数とは無関係。
そして、一番の疑惑は、閲覧数とgooブログ順位である。
閲覧数が多いのに、順位が低いことも、閲覧数が少ないのに、順位が高いこともある。
同時に多くのブログが団子状態で固まってランキングされている場合もあり、同位ランキングの誤差を差し引いても、
ほとんど同じ閲覧数なのに、順位がぐっと上だったり、ぐっと下だったりする。
順位が大きく差があることもある。
どうなってるの?
そういう、単なる数字で、毎朝、健康管理のごとくチェックしているわたしは、ほんとうにアホと思う。
今日の血圧は・・・体重は・・・血糖値は・・・閲覧数は・・・
ちょっと小躍りしたり、ちょっと残念だったり。
これって、血圧計や体重計、体温計が壊れているか、
電池不足で正しい数値が示されなくて、ときどき、ヘンになるか、そういうかんじなのだろう。
・・・
自分の思ったことを文字にして、もやもやを解消する。
女性たちが、ぺちゃくちゃオシャベリしているのと、同じ。
しゃべってナンボ。書いてナンボ。
ブログは、わたしを救ってくれている。
自慢したいときもある。
特に、そのことを大々的に取り上げてはいないが、
おそらく、いつも、イヤミったらしく、控えめ姿勢や謙虚を装って、行間に自慢がぎゅぎゅっと詰まっていることだろう。
臭う人には臭うことだろう。
それがまた、いやらしいところだが、まあ、自分を救うためのツールなので、副作用もある。
読む側には、弊害。
これは、ブログや、SNSやテレビ番組の広告のようなものと捉えよう。
そういうのもないと、キレイゴトばかり綴っていても、凡人であるわたしの、なんの救いにもならない。
・・・
世の中には、いろんな人がいる。
すべて平等でなければならない、ということは理想であるが、皆、それぞれ、違う。
優劣つけてはいけない、競争させてはいけない、と、運動会での子供のカケッコも、気を使う。
全員、同じ。
それは、無理。
では、それぞれに素晴らしい・・・ことにしておく。
これで、角は立たない。ポエム。
たんに、角が立たないだけで、問題は解決していない。
というより、問題を解決する必要はないと思う。
個々に素晴らしいが、それぞれのフィールドにおいては、やはり優劣、順序がある。
それをわかって、見てみないふりをして、無視するのか、アタマから否定するのか。
優劣は認めたら、楽になる。
優劣があって当たり前なのだと。
へんに、ないものとして処理しようとするから、ややこしい。
自分が優劣のどっちに側にいるか、これが大きい。
ふむふむ、10番内では、5番目か。
10000番内では、7342番目か。10000000番内では、9865448番か。
なんでもいい。どのあたりか、把握するのは、悪くない。気が悪いなら、見なければいい。
そのフィールド自体、大きくレベルに分かれている。
アマ、プロ/世界第何位、クラスで第何位/近所で有名、世界的に有名/
学校で1番といっても、その学校自体が、一番手の学校ではなかったりすると、1番って?となるが、
どこの学校も世界各国からすべて集めて、その中でも1番、となると、本格的に1番なのだろう。
その学校は園芸学校なのか、料理学校なのか、科学分野先端技術学校なのか、
学校のフィールドが違うと、また、まったく違ってくる。
・・・
最初のスタート地点で、どの分野からスタートするかで、人生はずいぶん違う。
その後、就職し、退職し、余生を送る。
おおまかには同じだが、コース内容は大きく別れる。
仕事内容や出会う人々も違う。
そうすると、10代の頃からが、すでにコース分岐点になっていそうだ。
・・・
リタイア後の生活は、それまでとはまったく違う。
そう言っても、築いてきた家庭は、自分がそれまで築いてきたものだし、仕事はなくても、延長上にある。
シングルの人は、シングルで、それまでの生き方を踏襲する。
だが、仕事という経済活動がなくなると、生活は大きく変る。
経済のみならず、活動内容、場所がシフトする。
やはり、それまでの人生が生活基盤を作ってきているので、リタイア後にも影響する。
退職金の額、持ち家の有無、年金額・・・就職先や仕事の内容、評価によって違う。
・・・
まあ、恵まれた人は優雅に、そうでもない人は、それなりに、工夫。
70才まで働く人もいる。さらに、もっと働く人もいる。
病気になる人もいる。頑張る人もいる。
・・・
なんだか、まとまりが、どんどんなくなってきた。
よけいに広がっている。
なにが言いたいのだか。
もやもやが、何なんだかもわからない。
どんなコースを歩んでいたとしても、途中でリセットすることもできる。
物理的なことは無理としても、精神的なことは可能だと思う。
価値観は、ころっと変えることはできない。
が、ものの見方を変えることはできる。
今までの価値観を否定するのではなく、余裕をもった見方をするということ。
それは、「年をとって、まるくなった」、というらしい。
コンピューターがやっていることなので、しかも、無料なので、あれこれ正確さを追求するには、
厚かましいかと思い、自分の胸で、もやもやするだけ。
いくらブログ村のランキングで上位になった記事、あるいは、まったくノーマーク記事でも、閲覧数とは無関係。
そして、一番の疑惑は、閲覧数とgooブログ順位である。
閲覧数が多いのに、順位が低いことも、閲覧数が少ないのに、順位が高いこともある。
同時に多くのブログが団子状態で固まってランキングされている場合もあり、同位ランキングの誤差を差し引いても、
ほとんど同じ閲覧数なのに、順位がぐっと上だったり、ぐっと下だったりする。
順位が大きく差があることもある。
どうなってるの?
そういう、単なる数字で、毎朝、健康管理のごとくチェックしているわたしは、ほんとうにアホと思う。
今日の血圧は・・・体重は・・・血糖値は・・・閲覧数は・・・
ちょっと小躍りしたり、ちょっと残念だったり。
これって、血圧計や体重計、体温計が壊れているか、
電池不足で正しい数値が示されなくて、ときどき、ヘンになるか、そういうかんじなのだろう。
・・・
自分の思ったことを文字にして、もやもやを解消する。
女性たちが、ぺちゃくちゃオシャベリしているのと、同じ。
しゃべってナンボ。書いてナンボ。
ブログは、わたしを救ってくれている。
自慢したいときもある。
特に、そのことを大々的に取り上げてはいないが、
おそらく、いつも、イヤミったらしく、控えめ姿勢や謙虚を装って、行間に自慢がぎゅぎゅっと詰まっていることだろう。
臭う人には臭うことだろう。
それがまた、いやらしいところだが、まあ、自分を救うためのツールなので、副作用もある。
読む側には、弊害。
これは、ブログや、SNSやテレビ番組の広告のようなものと捉えよう。
そういうのもないと、キレイゴトばかり綴っていても、凡人であるわたしの、なんの救いにもならない。
・・・
世の中には、いろんな人がいる。
すべて平等でなければならない、ということは理想であるが、皆、それぞれ、違う。
優劣つけてはいけない、競争させてはいけない、と、運動会での子供のカケッコも、気を使う。
全員、同じ。
それは、無理。
では、それぞれに素晴らしい・・・ことにしておく。
これで、角は立たない。ポエム。
たんに、角が立たないだけで、問題は解決していない。
というより、問題を解決する必要はないと思う。
個々に素晴らしいが、それぞれのフィールドにおいては、やはり優劣、順序がある。
それをわかって、見てみないふりをして、無視するのか、アタマから否定するのか。
優劣は認めたら、楽になる。
優劣があって当たり前なのだと。
へんに、ないものとして処理しようとするから、ややこしい。
自分が優劣のどっちに側にいるか、これが大きい。
ふむふむ、10番内では、5番目か。
10000番内では、7342番目か。10000000番内では、9865448番か。
なんでもいい。どのあたりか、把握するのは、悪くない。気が悪いなら、見なければいい。
そのフィールド自体、大きくレベルに分かれている。
アマ、プロ/世界第何位、クラスで第何位/近所で有名、世界的に有名/
学校で1番といっても、その学校自体が、一番手の学校ではなかったりすると、1番って?となるが、
どこの学校も世界各国からすべて集めて、その中でも1番、となると、本格的に1番なのだろう。
その学校は園芸学校なのか、料理学校なのか、科学分野先端技術学校なのか、
学校のフィールドが違うと、また、まったく違ってくる。
・・・
最初のスタート地点で、どの分野からスタートするかで、人生はずいぶん違う。
その後、就職し、退職し、余生を送る。
おおまかには同じだが、コース内容は大きく別れる。
仕事内容や出会う人々も違う。
そうすると、10代の頃からが、すでにコース分岐点になっていそうだ。
・・・
リタイア後の生活は、それまでとはまったく違う。
そう言っても、築いてきた家庭は、自分がそれまで築いてきたものだし、仕事はなくても、延長上にある。
シングルの人は、シングルで、それまでの生き方を踏襲する。
だが、仕事という経済活動がなくなると、生活は大きく変る。
経済のみならず、活動内容、場所がシフトする。
やはり、それまでの人生が生活基盤を作ってきているので、リタイア後にも影響する。
退職金の額、持ち家の有無、年金額・・・就職先や仕事の内容、評価によって違う。
・・・
まあ、恵まれた人は優雅に、そうでもない人は、それなりに、工夫。
70才まで働く人もいる。さらに、もっと働く人もいる。
病気になる人もいる。頑張る人もいる。
・・・
なんだか、まとまりが、どんどんなくなってきた。
よけいに広がっている。
なにが言いたいのだか。
もやもやが、何なんだかもわからない。
どんなコースを歩んでいたとしても、途中でリセットすることもできる。
物理的なことは無理としても、精神的なことは可能だと思う。
価値観は、ころっと変えることはできない。
が、ものの見方を変えることはできる。
今までの価値観を否定するのではなく、余裕をもった見方をするということ。
それは、「年をとって、まるくなった」、というらしい。