蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

努力しない自分を自己肯定してはいけない、と押し付けられても、、、眠いだけ

2019-06-13 | 趣味
自己肯定ばかりしてきている。
自己否定しようと思えば、一瞬で出来る。
自己否定しても楽しくないから、いつも自己肯定している。

そうやって、せっかく、まったり楽しんでいるのに、横から、斜めから、ヤイヤイとうるさく言ってくる人たちがいる。
ノイズ。

彼らは、ある分野において優秀である。
ただ、たんにそれだけなのに、その分野で、まあなんと、上から目線の雨をざあざあ降らせる。
わたしは、もともと、そもそも自分は優秀だと思っていないので、「優秀ではない」と言われたら言われるだけ、ズブズブと地面に、めり込んで行く。
その通りです。優秀ではありません。

貴方たちが優秀なのはよくわかったから、なにも、優秀でないわたしを叩きのめさなくてもいいではありませんか。

気に入らないのだろう。
優秀ではない、なのに努力しようともせず、しかも恥じ入ることもなく、堂々と自己肯定されたら。
とても認められないのだろう。

あなた、それ、恥ずかしがらないといけませんよ。ああ、恥ずかしい。
おおっぴらに、恥を公開してどうするんですか?
無知って1番恥ずべきことです。
え?
無知じゃない?
わかって言ってる?
ありえない。この恥知らず!

そう言われているような気になる。
恥知らずじゃないなら、じっと息を殺してなさい、みっともない!
そんなかんじだろうか?

努力しない自分を肯定など、とんでもない、ようだ。
ダメな自分を肯定など、ありえないようだ。
ありえないなら、ありえないで、こころの中で思って軽蔑してくれたらよい。
なのに、わざわざノコノコ呼びもしないのに、
「努力もせずに低い評価でも構わないとか言って、楽して甘い評価を得ようったって、無理ですよ」と、耳もとで囁くかのごとくは、どうかと。
努力せず、結果は良くない。それは自己肯定すべきでない、と。

わたしは、「評価が低い」という悪い結果も受け入れている。
だが、受け入れ方が曖昧で気に入らないようだ。
「あなたの能力、実力は、これこれぐらいですよ(ぜんぜんダメレベル)」と知らしめようとする。
わかってるって。わかってます。
でも、わかってないように思われ、「自己否定してもいい程度の低いレベルだから、自己肯定は、おかしいのでは?」というニュアンスが、彼らの無意識なところから発信されている。

むこうから寄ってきて、否定しようとする。
キツイ言葉ではなく、冷静な言葉で。
努力しない低いレベルのものは、評価も低い。
努力して高水準になったものは、価値が高い。
そういう当たり前の価値基準を乱すようなことはしてはいけないようだ。
努力しているが低いレベルは、許せるような気配だ。むしろ、応援。
努力が、評価のポイントのようだ。
努力しないかわり、評価が低くてもいい、ってのは、なんでダメなんだろう。
努力していれば、低い評価でも自己肯定してよくて、
努力していなければ、低い評価は、自己肯定してはいけない?

ほんの少しでも自己肯定しようものなら、やんややんやと、そんな大したレベルじゃない、己を知れ、とノイズ、ノイズ、ノイズ。

あ、あ。眠くなってきた。