蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

またまたボツが続く

2019-06-01 | ブログ
今日、夕方に書いたブログ記事、一本、ボツにした。
気に入っているんだけど、自分の不気味なキャラが立ってしまい、気色悪いかんじなので、お蔵入りにした。
なにも、自ら嫌な面を聞かれもしないのに、カミングアウトしても全然、気が晴れない。
なので、蔵に入れて、鍵かけときました。

そして、またまた、蔵に入れないといけないことを書こうとしている。
自慢話。
ムズムズして、人に言いたくて言いたくて。
しかし、人に言ったとたん、元々嫌なヤツであるわたしは、ますます嫌なヤツになる。
ぐっと抑えておこう。
抑制、自己コントロール。

しかし、、、ああ、自慢、自慢。
内容は伏せるとして、今日、とある人に嬉しいことを言われた。
とても喜んでいる。
ただ、それだけなんだけど。
自意識過剰のわたしは、そんな些細なことも表に出さないでいようとする。
ヒネクレ目立ちたがり。裏・自己顕示欲。
まあいい。自分のこのキャラは、長い付き合いだ。

わたしは、話に「起承転結」を欲しがる。
あ、そう、、、で?
事実を述べたあとの、考察、結論が欲しい。
小学生の作文でも、最後は、「とても嬉しかったです」とか、「また、次も、そうなって欲しいです」とか、「これって、不思議です」とか、なんらかのコメントを書き添える。

で、それがどうした?
自分の潜在意識を自分で読んでしまうため、手足が動かず、なにも出来ない。
自慢したい自分。
やめときなさい、と、いさめる自分。
そうこうしているうちに、自慢したい気持ちは、和らいできたような、、、
やっぱり、自慢はしないほうが、良い。
自分で決めたルールを守れてよかった。
ただし、今日だけかも知れない。

ああ、面白く無いブログ記事。
またまた、ボツにしたくなった。

産めよ殖やせよ

2019-06-01 | わたし
「女性には子供を3人、産んでほしい」
そう発言した議員さん、またまた失言騒ぎになっている。

ひと昔も、ふた昔も前なら、産めよ増やせよ、富国強兵なんて言ってた。
隔世の感、とはこのことか。

蓮舫議員がちらりと言っていたが、
今の時代は女性は大変なんだそうで、イエや嫁姑、女性を取り巻く環境は辛く苦しいんだとか。
わたしは、もう、すっかり忘れた。
嫁姑、イエ、家父長制、長男が跡取り、、、わたしのアタマから、すぽっと消えた。
が、立場上はそうは行かず、旧態然としたシーラカンス夫の、言うままになっている。
こころは、完全に死んでいる。
でも迷惑をかけるわけにもいかないから、見かけは生きている。

自分の墓も葬儀も要らないぐらいのノリだが、残された家族が望むカタチでよい。
自分の場合は、小さい小さい家族葬がいいかな、と。

こころが死ぬと、同時に脳も死ぬようで、最近のわたしのボケっぷりは、加速度がかかっている。
やはり、憤りや矛盾に苦しむ、そういう逆噴射的な感情がないと、脳は刺激がないのだろうか。
毎日、楽しく、なんの心配もなく過ごしている、と思っていたが、じつは、自分の脳みそが一番の心配事である。
でも、それって、病院好きな病気オタクみたいで、自らの心配事を自ら作っているようなかんじかも?
楽しいなら、楽しく過ごせる状態に感謝して満喫したら良いのでは?
脳みそに関しては、まあ、若い時からの天然に磨きがかかり、ちょっと磨きすぎたとでも思っておこうか。
自然の流れには逆らえない。

ちなみに、お年寄りは、信心深いのは、次の自分のステージを快適になるように準備しているんだと思う。
成長し尽くし、老化し尽くした後は、消滅するしかない。
ホーチミンさんみたいに、本人の遺言に背かれていつまでも(人工的技術で)生き生きとした身体を民衆に拝んでもらうのも、ホーおじさんとしては、複雑な心境かも知れない。

脳みそがどうであれ、重篤な病人は、生きる気力が減退すると、体も持たないらしい。
身体とこころは、繋がっていると、思う事柄がたくさんある。
脳みその中味は、気力だったりする。
正確な記憶力とか、明確な解析力、理解力とかではなく。
とかなんとか、自分のツルツル脳を擁護、肯定する方向に持っていきたい、、、。
そういうことだけは、必死で脳を使う。
もがく、往生際が悪いわたしだ。