蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ババの嘆き

2019-06-26 | 日々のこと
せっかく突然、急上昇したアクセス数をまたまた自ら下げる内容を書く。
皆さん、ネット上のバトルがお好きなようだが、残念ながらわたしは、好まない。
期待した方々、ごめんなさい。

で、話は関係ない方向へ戻る。
江戸時代そのままのド田舎育ちのわたしと、世田谷育ちのお嬢様、賀来千香子さんとは、全てが違い、同じなのは、性別だけ。
まあ容姿も才能も、天と地ほど違うので、なんの参考にもならないが。
比較する意味が全くない「例」である。
わたしもさらりと、なんのとっかかりもなく共通点も思い入れもなく話を進める。(たまたま一昨日、番組を観ただけの偶然話題)

で、またまた話は変わる。
わたしの子供時代を書くと、だいたい背景が推測される。
これが、姑の子供時代の話になると、またまた背景がわかる。
彼女は地方のお嬢様で、何人もの使用人が住み込みでいた。そういう時代。
だが、社会的に見て、かつての勢力を維持している人々は、あまりいない。
たいがいは没落し、新勢力が台頭している。
1世紀も時代が違うと、もはやドラマである。
さてさて、その、全く違う時代であるにもかかわらず、三つ子の魂百まで、で生きると、、、
あとは、言うまい。めんどくさい。
(歴史小説とまではいかないが、昔の小説を読んでください。かといって、わざわざ読む人はないだろうが)

わたしも、子供たちにそう思われていることだろう。
めんどくさい、と。
孫など、昨夜、出した、わたしが心をこめて、時間と労力を使って、孫の好きな材料ばかりたっぷり使って、頑張ってたくさん作ったポテトサラダ(思い入れ、気合いたっぷりのため、説明がやたら長い)、朝食にも出すと、見るや否や、第一声、
「昨日と同じの、いや〜」

むむむ、、、
「まあそんなこと言わないで。ほら、サンドイッチも作ってるから〜」
と、ご機嫌を取る。
この時代の流れ、まさに、飽食の時代。
ババのこころ、孫知らず。

時代は確実に進んで行っている。