蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

消化不良の続編

2019-06-19 | 暮らし
別の趣味分野SNS。
仲間が、たむろするSNSなので、それが長所でもあり、難点でもある。
最近、なにかしらスムーズにサラサラ流れず、どこか閉塞感を自分で勝手に感じて、蝶ブログにチョロチョロ舞い戻る。
誰の目も気にせず自宅ブログで、お一人様はとてもくつろげる。
だが、1日1回投稿すると、何度も投稿したくない。
のではあるが、朝、投稿したばかりなのに、また性懲りも無く書いている。
話し相手も友達もいないくせに、本当におしゃべりなわたし。
頷かれてもシラケられても、同意されてもされなくても、相槌を打たれても打たれなくても、反論されてもされなくても、気分を悪くされてもされなくても、わたしは知らない、その負担のなさ、気安さ。
ノイズ、ゼロ。
一種の「人間交渉折衝コミュニケーション障害」かも知れない。

一般的とされる人と違った面がある人は、ユニークな力を持っていることもあるので、たまには規格外に触れ、自分を正常化するのに役立てるのも良いと思う。
(かなり言葉に気を付けて書いた)

と、ここまでは前置き。
相変わらず前置きが長い。
が、序章でも助走でもなんでもなく、たんなる無駄口である。
一切カットしても、文脈には何の差し障りも影響もない。

さて。
実在する、ある家族。
夫は、蚊帳の外。
週末には、娘さんや奥さんは出かける。
時には一泊旅行も。
家には、夫の母親と、夫だけ残される。
寂しくないでしょ? おばあちゃん、いるから。お世話、お願いね〜。
お世話をするのは、「息子が老いた母親に」、なのか、「老いた母親が息子に」、なのか。

よく出来ている。
夫とその母が、セット。
妻と娘たちが、セット。

平日は、みんな仕事。
老いた母親だけが在宅。
妻(嫁)は、姑の食事の用意をするのか、しないのか、知らないが。
2チームに分かれて、絶妙なバランスを維持している。

お父さん、退職したら、きっと母親係に任命されるだろう。
病院に連れて行ったり。
退職後の毎日サンデーのヒマを持て余すこともないと思われる。
妻も姑と同居していると不満もあるだろうが、ものは考えよう。
皆んな、まるく収まる、、、(はず)。
円満仲良しファミリーの出来上がり。


ツマラナイ内容になってしまった。
消化不良。
まあそんな日もある。
(これ、わたしの考えなしの常套句)


夫婦喧嘩する余裕なし

2019-06-19 | 暮らし
わたしの夫の場合、、、

舅、姑である親が、やたら強い。
彼らは、過保護、過干渉で子供を育てた。
未だ、子供は親の亡霊から抜け切れないでいる。
教育ママの言うなり。
世の中には、わんさからいる、おりこうさんの息子。

今まで、整備された道しか歩いたことがなく、反抗や反逆もしたこともない。
反逆する前に、親が不満を取り除く。
(このやり方、幼児である孫を育てる時の親のテクニックと、そっくり)
親にうまく丸め込まれて、しかし、べつに大した不満も自覚もなく、これまで来ている。
じつに幸せである。
反対された時、自分の道や方法を相手に伝え、調整したり説得したりする方法を知らない。
満足、納得できるような代案が、自分で考える前に、どんどん親から出される。
仕事面や私生活でも、面倒なことは親任せ。
他人との折衝、交渉は一切しない。

一番身近な他人である妻に対しても、折衝なし。
自分は全く意見なしで丸呑みオッケーか、無理やり妻を強引に強制的に言うことを聞かせる。
二択のみ。1か0。コンピュータのごとく。

手作業、調整部分が欠如している。
今までトレーニングしてきていないから、折衝能力がない。
さらに、最も、一番残念な致命的なことは、、、なんと、わたしもそうであること。
折衝能力欠如。

つまり、2人とも、ダメ人間。
よくこれで子供たちを育てられたと今更ながら思うが、無事、ダメ親を乗り越えて自立してくれた。
ダメ親同士の非理想的夫婦を見て育った子供たちにとっては、反面教師である。
親は手本でなくてもよい。
見本。
あんなのには、なりたくない、と思って我が道を行ってくれたらそれでよい。

、、、が、思わぬ落とし穴が、、、
孫が、ジジババの真似をする、、、
これは、わかりきった誤算である。
孫の前では、悪い見本を堂々と見せるわけにはいかない。
せっかく子供はまともに育ってくれたのに、隔世遺伝で孫に悪影響を及ぼすとなると、責任を感じる。
が、孫の親は、父親と母親、2人いるわけで、どうにか血を上手く分けていただきたいものである。
でも、孫にしてみると、母親側の親の家が近くにあるため、日常的に母方の影響を受けやすい。
まだ、チビさんだからと侮っていてはいけない。
三つ子の魂百まで。
襟を正す気持ちである。(あくまでも気持ち)

ジジババは、夫婦間で折衝トレーニングを重ねる予定が、世代間折衝へとスライドした。
夫婦喧嘩をするヒマも余裕もなく、孫たちへの教育の一環の一部として、頑張らなければ。
ジイちゃんの真似をしている孫を見ると、否が応でも、意識する。
孫が大きくなった頃は、ジジババは本格的にヨレヨレになっていて、夫婦喧嘩する元気も余裕もないことだろう。
一時、夫婦喧嘩はお預けだ。延期。

ある意味、孫に感謝。
子に育てられ、孫に育てられ。
舅、姑には随分子育てを手伝ってもらい、ありがたかったが、そう言えば当時の姑の言葉を思い出した。
「おじいちゃんが機嫌悪くても、孫の話をすると、おじいちゃんは、すぐニッコニコの顔になる」

孫に助けられ。
順繰りだ。