蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

目を閉じると故郷の田舎が?

2019-06-25 | 思い出
突然、アクセス数が上がり、びっくりしている。
心臓に悪い。
S子軍団の仕業か? 悪い冗談。

さて、(今日は前置きが短い。なぜなら、時間的余裕がないなら)
時間がないのに、こういう時に限って、子供の頃のことを書きたくなる。
頭と現実が、斜めバイアス状態。うまく繋がっていない。

まあそれは良いとして。
関係ないが、昨日、ファミリーヒストリー、賀来千香子だった。お嬢様だったんだ。
でも不思議なことがある。
お嬢様なのに、しかも私より少し若いのに、そして教育熱心な家系なのに、なぜか、親ごさんは、彼女に女性の自立、キャリアの道、レールを引いていなかった。
これは、絶対に不思議。
わたしの年齢で最後の、古い価値観の絶滅種女性だと思っていたのに、わたしより若い彼女が更に絶滅種の年齢を下げている。
それにしても、お母さん、怖そう〜。
あんな怖そうなお母さんなら、わたしのノーテンキ脳みそツルツル母の方が、マシか?
いや、どっこいどっこいか。
90歳を超える、かくしゃくとした、まだまだ現役風のお父さんには、好感を持った。
ちょっとわたしの父に似ていないこともない。

まあ、それはそれとして。
全く賀来千香子とはなんのつながりもないが、わたしが思い出す、幼い子供時代は、、、
四季折々、静かな農村風景、時代錯誤感ありありの田舎の家庭、、、
祖父、祖母、近くの親戚、近所の子供たち、、、
畑や庭の花々で色水を作って染めたり、おままごとをしたり、生っている果実をもぎ取って、そのまま食べたり、ニワトリや魚に餌をやったり、産みたてほかほか卵に触れたり、野山や小川で遊んだり、、、
祖母たちは、カマドでご飯を炊いたり、薪、木々の小枝を焚べて、へっついさんで煮炊きもの、大豆から味噌を作ったり、もち米を炊いてお餅やおかきを作ったり。
お風呂の追い炊きは、祖母の仕事。小枝で温度を調整する。
梅干しを庭いっぱいゴザに並べて天日干ししたり。
井戸にスイカを冷やしたり。
夏は、水を打ち、室内では、夏用の建具に入れ替え、のれんを出して涼を呼ぶ。蚊帳の中で、なかなか寝ずに遊んだり。
冬は掘りごたつ、火鉢。灰の中にミカンを埋めて、焼きミカン?を作ったり。
色々、思い出す。
あれこれ手作りで賄ってくれた。
祖母は、私たち兄妹がバス通学していたため、見晴らしのよい高台の橋の上に行き、バスが遠くから来るのが見えたら、走り帰り、道路に面している場所に位置する台所の壁を叩いて、バスの到着を知らせてくれた。
ドンドンと壁に振動と音がすると、朝ごはんを一気に流し込んで、わたしたち兄妹はバス停に駆けて行った。
祖母は自家製野菜でわたしたちを育ててくれた。
当時は毎日同じメニュー、野菜ばかりで不満だったが、今思えば、感謝しかない。
健康な体に育ててくれた。
でも、グルメじゃないかも。

まあよい。
田舎でのびのび育ったことは、わたしはとても良かったと思っている。
便利な世の中になっても、原点は忘れない。
その割には年を取って、あかんたれになっている。
過酷な自然は無理、アウトドア レジャーもノーサンキュー。
軟弱になっている。
ただ、自然に接した生活をしていたことは、わたしの原型を作っていることだろう。
精神面においては、その後の、あまり上等とは言えない街の生活が大きく影響していると思う。
逆ベクトル、同時の、どちらも合わさって、今の、けったいなわたしが形成されている。
こんな江戸時代となんら変わらないド田舎はイヤ、と若い頃、わたしは思っていた。
今は違う。が、若い頃は切実に思っていた。
父の仕事の関係もあり、小学生高学年の頃に街に引っ越した。
ただし、田舎の家には祖母を残して。
中学生になるまでは、毎週末にお稽古ごとの練習のため、、田舎に帰っていた。
平日は街、土日は田舎。

両極端のわたし。
その環境が、わたしをわたしにした。
まあ、そういう人がいても、いいんじゃないか?などと、安易な〆をしようとする。
ああ眠い。
続きはまた今度。