蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ブログ読者実数

2021-07-03 | ブログ
目心体、痺れました。
すごくすごくすごくよく理解できる。
ただし、わたしの悪い癖は、パクることだ。
無意識のこともあるし、意識している確信犯であることもあるし、あとから気づくこともある。
コピーではなく、影響を受け、取り入れる血肉化なら許してもらえるだろうか?

10000冊の本を読むより、1冊の本との出会い。
しかし、その1冊の価値は、10000冊を読んでこそ深みがわかる。
なかには、100000冊読んでも(※0ひとつ増やしてます。ミス入力ではない、とわざわざ説明するミス多発自覚の哀しい色合い)さっぱりわからない人もいて、ああ、自分はわからない人なんだ、、、と、わかればそれで意味がある。得るものがある。
なぜだ?なぜだ?なぜだ?と闇雲に読み漁る時こそ、脳細胞がすごい勢いで分裂している。
(学生時代、理数系教科書問題を前に、なぜだ?なぜだ?なぜだ?と延々向き合い、自分は理解できない脳だということが理解できた実体験あり)

分裂しない、ツルツルのお花畑、ただただ快適な化繊の衣類を無意識に纏っているのは、、、まあそれはそれで、純粋で美しい。
不純と純粋って、見方によると、真逆。明と暗。
両方あるから、両方意味をなす。
片方だけなら、無なのではなかろうか。
自分への取り入れ方、自覚の仕方だと思うが、千差万別、人の数だけある。
大きくグループ分けは出来ると思うが。


さて、話はころっと変わる。
ブログ村、わたしのブログにOUTのほうがINより多いのは、、、

ブログを始めた頃からそうだった。
正統派ではなく、清く正しく優等生的ではないからだろう。
真正面ではなく、斜め切りだから仕方ない。
わたしのボヤキ、何いってんだかさっぱりわからない人も多いことだろう。

人間には二種類ある。
○自分を正しい賢いと思っている人。(本当に賢い場合と、そうでない場合がある)
○自分はバカだと思っている人。(本当にバカな場合と、そうでない場合がある)

賢いことを自覚している人が、バカな人から「あなた、それ、前と後ろ、反対ですよ」などと言われようものなら、松の廊下になる。
殿中でござる、殿中でござる。(昭和とか、古いとかのククリはもはや無い)
何だと?と、斬りつけられる。
万人が認めている賢い人に言われたら素直に納得して聞くが、アホな人に言われると、ブチ切れる傾向にある。

「お前が何を言う!!」
と凄い剣幕。
どうどうどう。はいどうどう。
はい、あなたは正しい、はい、はい。
と、なだめなければポキンと折れてしまう危うさ、脆さを持っている。
なので、アホにはアホの役割があり、偉い人に機嫌よく(アホでは出来ないような)仕事をしてもらわなければならない。

まあそういう偉いタイプの人はわたしのブログは大嫌いだろう。
正面玄関から、いいね!チャイムを押す人はいたって少ない。
だが、勝手口に回ってみると、あなた、アホでちょっと可哀想だけど、わかるわぁ〜と、大根やら白菜やらを置いていってくれる人がいる。
ごくごく稀にブログ人生でほんの稀に、宅急便で商品券を送ってくれる人もいて、商品券は使わず眺めるだけで、人生の宝物にしている。
(これは比喩表現。
「商品券」を本当にホンモノの商品券だと捉える方には、申し訳ありません。
わたしは、演出表現をよく使います、、、と、とりあえず説明を)
ふぅ、、、。
アホ(わたし)とカシコの間には橋渡しをしなければならないので、時折、説明が要る。

わたしは、たくさんの賛同は必要としない。
一人や二人、実数で十分である。
そして、、、自分がアホなくせに、わたしは賢い人が大好きで、賢い人々の中で自分がアホやっていると、なんだか落ち着くのだ。
アホ同士では、泥沼試合になる。

というわけで、表玄関からのINポイントは少ないのだと推測する。
マイナーな感じで憚られるから隠れるようにこっそり応援してくださる方もいて、こちらもこんな愚ブログ、照れ恥ずかしい。
表舞台で華々しく応援していただくと、わたしは「カタツムリに塩」みたいに溶ける、潜在的自意識過剰マイペースタイプなので。
(ナメクジにすると、わたしがちょっと可哀想なのでカタツムリ)

ほんとに可愛げがない。