蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

仕事と子育ての両立

2021-07-18 | 子育て
娘たちの仕事関係のことを聞いているとアタマが痛くなった。
わたしには到底出来そうもない。
だからとらいって、子育てサポートは引き受けるから、仕事に全力投球してちょうだい、とは、言い切れないわたし。
LINEでのやり取りも、無難なものに落ち着く。
受け皿を用意しないで、どんどん飛躍させるのはいいが、跳び上がった後のフォローを誰がするのか。
昔の大黒柱システムならどうにかなっても、幼い子供をたくさん抱えての全力以上の仕事への取り組みには、応援したくても手が緩む。
娘婿も共働き、イクメンを全力でやってもフォローしきれないだろうから、結果的には親元にしわ寄せが行くとすると、、、。
どちらか一方が仕事を辞めて専業主婦(夫)にならざるをえないか、あるいは、子育てを諦めるか。
もう子供は既に存在するわけだから、産む前に計画すべきなのだろうけれど。
厳密に念入りに緻密に計画しても、その読み通りに行かないこともある。
ある程度、場当たり的な流れや勝負も必要になってきそうだ。

子育てか、仕事か。
身を裂かれる思いで仕事をしている人、子育てをしている人も大勢いるだろう。
そんな思いはしたくない、手枷足枷が嫌だ、と、子供を作らないとしたら、、、。
少子化は自己実現の成れの果てか。
何かを達成するために、何かを犠牲にする。
子育ての代わりに、介護というのもある。
が、介護はお金でどうにかなる。(例外もあるとしても)
しかし、子育てはお金の力を借りたとしても、お金だけだと、あきらかにマンパワーが不足。
次世代を担うまでのプロセスはかなり重要だ。

と、アタマではわかっていても、理想と現実はシーソーゲーム。
個人差もあるし、さじ加減も難しい。

と、死にものぐるいで必死になって子育てに専念したことが成功するとは限らない。
親が仕事と子育ての間で苦悩するぐらいのバランスが案外良いのかも。
とは言え、自由時間、プライベートタイムも確保したいし。
仕事オンリーの人は、寝ずに仕事するのか。
わたしの両親は高度成長期を支えるモーレツ(死語)世代だったので、ほぼ休みなく仕事だったが、その背中を見て育ったわたしが、こんなサボりなんだから、なんとも言えない。

仕事も家庭も子育ても、混じりに混じって人生、味が出るのではなかろうか。
応援はするが、わたしは自分の身体を削ってまで無理はしない主義。
無理をして自分の器を大きくする成長期は遠に過ぎた。
それで身体を壊したりすると、サポートする側からサポートされる側に転じ、娘たちに逆に迷惑をかける。
というか、(一緒に旅行したりすると)、余計なことはしないで自分のことは自分でしてね、と娘に釘を刺されている。
自分の能力を考え、出来る範囲内で協力する。
そこそこ、望みの第二志望ぐらいが叶えば御の字だ。


ちなみに、一番上孫。
家で電子ゲームをさせてもらえない。
小学校の同級生たちは、ゲームで遊んでいるが、話題に付いていけないようだ。
母親(長女)はTVに対しても厳しい。
うち(ばあちゃんち)に来たら、微動だに身動きもせず全身全霊でTV子ども番組を見ている。
あの集中力を勉強に活かせたら、それはそれは優秀な子供になるのだろうが、わたしの孫なので期待するほうがマヌケである。
が、退屈しのぎにダラダラ見ないところは、わたしは悪くないと思っている。

話は元に戻る。
娘の仕事も応援したいが、まあそこそこで手を打つのは、なにも負けたことではない。
多大な犠牲を払って手に入れたいことかどうかは、娘の胸に聞くしかない。