わたしは美人ではない。
コンプレックスも、しっかりあるにもかかわらず、ブサイクかというと、たぶん、10人並みかと厚かましくも思っている。
客観的には、なんの特徴もない、一般的なレベルだろう。
積極的にアピールするような顔ではない。
なので、コロナ禍でマスク着用を余儀なくしている今は、顔を出さなくていいので、たいへん喜ばしい。
年齢に相応した、老化した顔である。
それがどうした?
今では自分の顔には責任を持つようになっている。
こんな顔になったのは自分の責任だ。
が、若い頃からそう変わっていないと思っている。
歳は確実に取ったが、それは自然の成り行きだ。
自然の摂理。
時は止めることも出来ないし、逆回しも出来ない。
出来ないことを嘆くのは、不毛だと捉えている。
出来ないことを冷静に受け止めるだけでよい。
顔が美しくても中身が悪い人もいる。
能力があまりない人もいる。
こころが悪い人もいる。
幸福ではない人もいる。
顔が良い分、期待値が高い。
それはそれで荷が重いだろう。
わたしは顔の美醜も見るが、他のところも見る。
人間は顔だけではない。
ルックスや外見だけではない。
もし仮に自分の美を誇る人がいるなら、相当の努力をしていると想像する。
常に努力をし続けなければならない。
その努力は評価する。
だが、誇れる自分だからといって、それによって人を見下すのなら、努力しないほうがマシだ。
わたしなら、もう、全ての分野から解放されたい。
しかしながら、自分が美人な訳でもないのに、取らぬ狸の皮算用的なことを言うのは滑稽だ。
キレイな人はキレイ。
ただそれだけであり、わたしとは特に関係ない。
わたしが映画監督やプロデューサーなら話は別だが。
美人か否か、そういう価値観から解き放たれてしまった感があるのは何故か。
自分は美人じゃないからかなあと。
笑。
楽しいことだけ考えたほうが、断然楽しい。