わたしの家。今、住んでいる自宅。
今、その間取り、設計にすごく満足、感激している。
今から32年前に、築20年ぐらい?経つ軽量鉄骨の中古住宅を購入し、リフォームして12年住んでいたが、20年前に建て替えた。
たまたま舅が亡くなった年だった。
家を建て替えるかどうか迷ったが、阪神淡路大震災で玄関に少し歪みを生じたものの、頑丈でどっしりした作りだった。
ただ、建て増しは出来ないと言われ、建て替えに踏み切った。
姉とリフォームやら何やらのことを話していて、毎日の暮らしを充実させ人生を楽しむコースを選択することにした。
しかし、一社にだけ建て増し出来るかどうかを聞いたのであるが、後年、別の住宅業者に尋ねてみたところ、建て増しは出来るとのことだった。
一社だけでなく、複数の業者にセカンドオピニオンを聞いておけば、選択肢は広がっていた。
2階のベランダ部分に建て増しをするに留まり、建て替えなければ、差額はまるまるそのお金は使わず貯蓄していただろう。
だが、思い切って建て替えて良かったと今は思っている。
間取りは、当時の自分中心主義で勝手に自分の都合が良い良いように決めた。
その時は長女が高3でまさに受験の年。
解体から建築完成まで、仮住まいの家に夏に引っ越し、冬に竣工。
竣工のあたりは、受験日直前。
仮住まいで引っ越し荷物も解かない、窮屈なキッチンで、ダンボール箱の隙間に挟まれ、長女は受験勉強の追い込みにかかっていた。
彼女は、受験寸前、腹痛で、知り合いのクリニックを受診した。
ストレスからだろうとの診断を受けた。
わたしとは違って、意外に繊細な神経の持ち主のようだった。
長女、ダンボール隙間受験の後、引き続き、翌年、長男は、広々新築で受験。
彼のオーダーで自分の部屋は、なんと畳。
広々、和室部屋に、畳が見えないほどにプリントや問題集などを広げられるだけ広げて平たく並べて、その隙間で彼は寝ていた。
うちの子どもたちは、みんな隙間が好きなようだ。
彼は新築の家に2年だけ居て、あとは実家を後にした。
まるで新古品のごとく、新築当時のままの長男の部屋に、わたしは今は毎日、寝ている。
畳にしてくれて、大正解!
屋根裏ロフト仕様になっているため、天井は、高く突き抜け、気持ちいい。
ただし、エアコンは壊れているので、わたしが熱中症にならないか、家族から心配されている。
大丈夫!です。
長女も就職で、やがて家を離れ、次女だけが残った。
次女が実家にいた時間が1番長いが、彼女もやがて一人住まいへと時は移った。
今は、がら〜んとした広い部屋に老人2人、、、と言いたいところだが、全然違った。
自分の好きなインテリア・テイストを保とうとしたリビングも、TV機器周辺は乳幼児侵入防止フェンスでガードされ、滑り台付きジャングルジムや、大きなダンボール製キッチン流し台が置かれている。
広々和室は完全に育児室、プレイルーム、おもちゃ部屋と化している。
私の実家の実家の和室客間に置かれていた漆塗り貝細工(螺鈿)がほどこされた丸テーブル(時代もの)を譲り受けたが、それも押し入れに立て掛けて半分突っ込んでいる。(半分しか入らない)
次女は出産したばかりなので、しばらくは親子幼児ルームとして使用される。
好きなテイストに戻れるようになるには、あと5年はかかる。
大好きなセミオーダーソファはいつもちびっ子の、お漏らしの危機と背中合わせ。
ヨダレは、当たり前として。
今は横並びに3人座ってTVを見ているが、来年には5人座ることだろう。
好きなテイストは、孫と引き換えに諦めている。
孫たちも中学生にもなれば誰も寄り付かないだろう。
が、ひょっとして、ばあちゃん食堂は、大盛り食堂として引き続き開いているかも知れない。
お小遣いはあげられないけれど、食べものはガンガンばんばん。
結構、食費もバカにならないが、まあ、それも賑わい。
枯れ木に花が咲くというもの。
とかなんとか、実はそんな余裕はあまりなく、いつもバテバテで、アゴを出している。
今日も息子が帰省してくるらしく、今日は5人だが、明日は総勢11人。
3日分のメニュー、食材を用意しなければ。
わたしは暑い中、連日、趣味の運動お出かけ帰りはいつも両手に食糧いっぱいの買い出し役夫になっている。
近々、生協の宅配を頼もうと本気で考えている。
趣味活動と並行して、無理を押して両方やろうとするところが、厚かましいとも言える。
出来なくなる日までする!のが今のところのわたしのモットー。
いずれ、趣味も子どもも孫も、さーーーっと波が引くように目の前から姿を消す。
必ずその日はやってくる。
暑苦しくバタバタする今がハナってことだ。