人の目を気にしないブログなどありえない。
それはブログではない。
アップする前の草稿中の記事ならわかるが。
「こんな記事、つまらなくて、ごめんなさい」
と、誤ったとする。
誰に謝っているかというと、読み手に、である。
面白いかも知れないという期待を抱かせて、じつに、つまらん場合の落胆、幻滅、時間返せ感、
まあ、無料だし、責任は負いかねます。
無料の強さ、弱さ。
やはりプロはすごい。
しょせん、無料は、無料。
しかしながら、わたしのブログは、ごく稀に、面白いものがある。
ただし、それはゲリラ的に、ある日、突然、現れる。
だから、毎日チェックしないと、安定供給はありえない。
(謙虚風ひとりツッコミ、やめました)
・・・
そもそもわたしは、ムラっけがある。
どうも、脳の血管が一部、詰まっているか、神経が一部、混線、故障していると思われる。
本人は、いつも、同じつもりなのだが、何事にもムラがある。
といっても、「天才と紙一重」枠とまでいかず、通常一般ノーマル範囲内・凡人枠だが。
・・・
時間は、ありすぎるとよくない。
少なすぎるとストレスが溜まる。
ぴったり、ちょうど、なんて、ありえない。
そんなもんだ。
あまりすぎる時間があった時、ネット遊びにも飽きて、パソコンの電源を切る、、、、
わたしにとっては、勇気がいることである。
冬の寒い時期、布団から出られないでいる、その状態に似ている。
えいっと、布団を跳ね除ける勇気。
でもまた、しばらくして、そお~っと掛け布団をかけ直す場合もある。
で、話は脱線していて・・・
パソコンの電源を切ると、豊かな時間が広がることがある。
これは、ごくごく最近経験したこと。
自分で考え、感じる、フリーハンドで描く自由時間。
さて、なにをしようかな。
いつも、時間がなくて、あるいは、面倒で、ほったらかしていること、そういうことに手をかける。
あるいは、新しいことに着手する。
・・・
ある知人が、いつも表現する言葉がある。
「退屈をまぎらわせるために、○○している」
退屈な時間を過ごすことが多いそうだ。
家でいても、退屈だから・・・とか、なにもすることがなくて退屈だから・・・とか、
わたしにとっては、ありえないことをおっしゃる。
わたしは、退屈をすることは決してない。
退屈=即、寝る
なにもすることがないと、寝てしまう。退屈な時間は、即、睡眠時間に変更され、覚醒していない。
退屈を味わうヒマがない。
早く寝ると、翌日は、早く目が覚めて、好きなことができる時間が増えるだろうと、楽天的に予想するが、
なぜか、早く寝ても、起きるのは、いつもと同じ時間。
早く寝た分だけ損したのか?
せっかく、ころがりこんだ時間、なんの得にもなっていない。
・・・
退屈という表現が、しっくりしない。
わたしの辞書には「退屈」という言葉はない。
その代わりに使われるのが、「つまらない」「虚無」「こころ踊らない」「興味がない」
「ノリがない」「気乗りがしない」「モチベーションが低い」「面白くない」「味わいがない」。
退屈と感じるのは、充実感がないとき。時間の無駄遣いをしていると思うとき。
まったく、なにもすることがなくても、退屈と感じないときもある。
逆に、それが究極の贅沢と感じることだってある。
あれれ、この内容、一度、書いたような気がしてきた。
あら、ごめんなさい・・・と条件反射のように言うのもなんだが。
(いや、くまなく隅から隅までわたしのブログを読んでいる人はいないだろうから、何度書いてもいい、と、
楽観的な確信犯は思う)
・・・
たんに言葉の使い方、ニュアンスが人によって微妙に違うだけだろう。
わたしと同じような意味合いに使っているのかも知れない。
あるいは、人によって、ライフスタイル、人生観によって、退屈観は違うのかも知れない。
なにもすることがない時間・・・これは、自由時間なわけだ。つまり、黄金の時間だ。
退屈しているヒマなど、ない。
なので、やはりわたしの辞書には、「退屈」はない。
前にも書いたが、退屈がキッカケで、面白い発想が生まれるかも知れないが、
未成年や、未熟な大人の、危険な非合法の世界に走るキッカケにもなりかねない。
各自、こころは、自分のもの。
身体とともに、大切に。
宝のように扱わなければ、自分で丁寧に愛情を持って手入れしなければ(=メンタル・セルフケアです)、
だれも、そこまで大切に扱ってくれない。
それはブログではない。
アップする前の草稿中の記事ならわかるが。
「こんな記事、つまらなくて、ごめんなさい」
と、誤ったとする。
誰に謝っているかというと、読み手に、である。
面白いかも知れないという期待を抱かせて、じつに、つまらん場合の落胆、幻滅、時間返せ感、
まあ、無料だし、責任は負いかねます。
無料の強さ、弱さ。
やはりプロはすごい。
しょせん、無料は、無料。
しかしながら、わたしのブログは、ごく稀に、面白いものがある。
ただし、それはゲリラ的に、ある日、突然、現れる。
だから、毎日チェックしないと、安定供給はありえない。
(謙虚風ひとりツッコミ、やめました)
・・・
そもそもわたしは、ムラっけがある。
どうも、脳の血管が一部、詰まっているか、神経が一部、混線、故障していると思われる。
本人は、いつも、同じつもりなのだが、何事にもムラがある。
といっても、「天才と紙一重」枠とまでいかず、通常一般ノーマル範囲内・凡人枠だが。
・・・
時間は、ありすぎるとよくない。
少なすぎるとストレスが溜まる。
ぴったり、ちょうど、なんて、ありえない。
そんなもんだ。
あまりすぎる時間があった時、ネット遊びにも飽きて、パソコンの電源を切る、、、、
わたしにとっては、勇気がいることである。
冬の寒い時期、布団から出られないでいる、その状態に似ている。
えいっと、布団を跳ね除ける勇気。
でもまた、しばらくして、そお~っと掛け布団をかけ直す場合もある。
で、話は脱線していて・・・
パソコンの電源を切ると、豊かな時間が広がることがある。
これは、ごくごく最近経験したこと。
自分で考え、感じる、フリーハンドで描く自由時間。
さて、なにをしようかな。
いつも、時間がなくて、あるいは、面倒で、ほったらかしていること、そういうことに手をかける。
あるいは、新しいことに着手する。
・・・
ある知人が、いつも表現する言葉がある。
「退屈をまぎらわせるために、○○している」
退屈な時間を過ごすことが多いそうだ。
家でいても、退屈だから・・・とか、なにもすることがなくて退屈だから・・・とか、
わたしにとっては、ありえないことをおっしゃる。
わたしは、退屈をすることは決してない。
退屈=即、寝る
なにもすることがないと、寝てしまう。退屈な時間は、即、睡眠時間に変更され、覚醒していない。
退屈を味わうヒマがない。
早く寝ると、翌日は、早く目が覚めて、好きなことができる時間が増えるだろうと、楽天的に予想するが、
なぜか、早く寝ても、起きるのは、いつもと同じ時間。
早く寝た分だけ損したのか?
せっかく、ころがりこんだ時間、なんの得にもなっていない。
・・・
退屈という表現が、しっくりしない。
わたしの辞書には「退屈」という言葉はない。
その代わりに使われるのが、「つまらない」「虚無」「こころ踊らない」「興味がない」
「ノリがない」「気乗りがしない」「モチベーションが低い」「面白くない」「味わいがない」。
退屈と感じるのは、充実感がないとき。時間の無駄遣いをしていると思うとき。
まったく、なにもすることがなくても、退屈と感じないときもある。
逆に、それが究極の贅沢と感じることだってある。
あれれ、この内容、一度、書いたような気がしてきた。
あら、ごめんなさい・・・と条件反射のように言うのもなんだが。
(いや、くまなく隅から隅までわたしのブログを読んでいる人はいないだろうから、何度書いてもいい、と、
楽観的な確信犯は思う)
・・・
たんに言葉の使い方、ニュアンスが人によって微妙に違うだけだろう。
わたしと同じような意味合いに使っているのかも知れない。
あるいは、人によって、ライフスタイル、人生観によって、退屈観は違うのかも知れない。
なにもすることがない時間・・・これは、自由時間なわけだ。つまり、黄金の時間だ。
退屈しているヒマなど、ない。
なので、やはりわたしの辞書には、「退屈」はない。
前にも書いたが、退屈がキッカケで、面白い発想が生まれるかも知れないが、
未成年や、未熟な大人の、危険な非合法の世界に走るキッカケにもなりかねない。
各自、こころは、自分のもの。
身体とともに、大切に。
宝のように扱わなければ、自分で丁寧に愛情を持って手入れしなければ(=メンタル・セルフケアです)、
だれも、そこまで大切に扱ってくれない。