蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

2014-02-17 | 日々のこと
朝、起きると、部屋中、すき焼きのニオイ。
昨夜は、すき焼きだった。
極上の霜降り牛肉と、最低の牛肉、この2種類ですき焼きをした。
値段は、霜降り肉は、最低の肉の推定4倍から8倍。
量は、霜降り肉は、最低の肉の2分の1弱。

まるでわたしらしい、この肉の選び方、ちょっと笑える。
極上の肉は、頂き物を冷凍していたもの。
最低の肉は、娘たちが、外出後、うちに戻るついでに買ってきてもらったもの。
お金は立て替えておいてね、と頼んだが、追加の牛肉600グラムと注文した。
なので、ひょっとするとお金が足りないかもしれないと思って「お金は持ってる?」
と聞いた。
「あるよ」という返事に安心したら・・・

あらまあ、大きなプラスチックトレーに二つ。
頼んだ量より多い、メガ牛肉。
しかも、おそろしく安い。これは、牛肉の値段か?
しかも熊本産となっている。
疑問がいっぱい。


最初、美味しいほうから食べたが、一人、二口(ふたくち)ぐらいの感覚。
一瞬、あっという間。とろっとしたら、それでおしまい。
食べたことも忘れるぐらいの微量に感じた。

安いほうは、量がある。
ボリューム、命。

がんがん食べても、ぜんぜんへっちゃら。
食べても食べてもまだまだある。
1時間食べ放題1480円か、1980円の店って、こんなかんじか。
吉野家か、すき家は、こんなかんじか。
(わたしは、過去数回しか食べたことがないので、あまりよく覚えていないが)
牛肉は少し残り、皆、満足した。


どんな肉であろうが、朝の部屋は肉のいいニオイで満たされている。
おそらく、ご近所でも、ニオイはよくても、いい肉か悪い肉か、わからないことだろう。
わたしは、肉の感想は、皆には決して口に出さなかった。
場をシラけさせてはいけない。
せっかく買い物をしてくれて、わたしはとても助かったのだから。

安いからだめとも、思わなかった、不味いとも思わなかった。
高い霜降りは、確かに美味しいが、それだけだ。が、これはこれで、素晴らしい。

「特別に美味しい」肉と、「ふつうに美味しい」肉のすき焼き、
家族が寄って皆で食べたら、とても幸福だった。


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解凍不全

2014-02-15 | ブログ
ブログのタイトルというものは、重要だ。
はじめてタイトルを見て、どんなブログだろうと興味をそそられ行ってみる。
お客を呼び込む看板である。

たとえば、自分で恥ずかしげもなく「カリスマ○○の○○日記」とか、
「いいのオンナのつぶやき」とか、そういうかんじのタイトルもある。
「借金地獄のまっただ中で」や「痴情の果てに」みたいな、内容がすぐわかるタイトルもある。
同じ人がハンドルとタイトルを変えて、いくつもブログを開設している場合もある。

わたしも、こういう系のタイトルにしてみてはどうか。
「セレブなためいき」「愛の逃避行」「女社長のゼニ日記」「国に切り裂かれた愛」
う~ん・・・無理がある。作為的偽証、作り話になるし。

「美はわたしのもの」「世界一の美女と呼ばれて」「資産世界一のセレブ・デイリーライフ」
なんてのは?
「安倍総理との暮らし」「プーチンとわたし」「モナコ王妃との日々」とか?
ありえない・・・。


今のブログ名「蝶になりたい」は、とりたてて愛着はない。
とりあえず、理由のあるものだったが、変更せず、今日に至っている。
テンプレートのデザインともまったく関係がない。内容ともまるで、関連していない。
タイトルごと、リニューアルして、まったく別ブログとして一からやり直すか、考え中。

・・・

なんか、そう書いたら、急に筆が重くなった。

・・・

わたしは、このブログを筆で書いている・・・のか?

・・・

またまた出発時間が迫ってきている。
一日中、のんびりパソコンに向かっていたい。
しかし、いつまでもいつまでもいつまでも、パソコンにかじりついていると、離れられない自分が嫌になる。
その時は、ある程度の時間が経過したら、勇気をもって、パソコンの電源を切る。
熟しすぎ、煮込みすぎ、加熱しすぎ、焼きすぎはよくない。
ほどほどが、なんでも美味しい。

・・・

本日は、「ほどほど」などではなく、解凍でききってない冷凍食品をオーブントースターで少しだけ焼いたような、
そんな半ナマっぽさを重々に感じながら、投げ出し、ここでオシマイです。
ブログより、目の前のスケジュールを優先し、ブログが負けた瞬間(投げ出した瞬間)です。
なんて、ブログタイムを宙ぶらりんでやめるだけなのに、いつも大げさであります。



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2014-02-14 | わたし
今日は雪。
1日中、雪で積もるらしい。

今日の気分はカラ雑巾。
絞っても、一滴も出ない。

・・・

ちなみに、ブログの好みは変るのだろうか?
わたしは、大好きで毎日訪れていたブログが、いくつかあったのだが、
今は、ひとつ、もしくは2つしかない。
時間があるときに、ちょこっと覗きにいったりするブログもある。

ある2つのブログは、ぴたりと足が遠のいた。
なぜだろう?

これは、わたしにも言えることだが、
ブロガーは、書いて発散している。
それを読み続けると、読み手には毒のような、副作用のような、目に見えないものが積み重なる。
そして、ある日、しんどくなる。
で、行くのをやめる。

逆に、毒のたまらないブログは、へんに深い追究もなく、とくべつに面白いわけではないのだが、
淡々とした日常が綴られていて、あっさり負担が少ない。
毎日、ステーキやフォアグラを食べ続けると、知らず知らずに病気になっている可能性がある。

お茶漬けや、ふりかけごはん、たまごかけごはん、これは、いつも美味しい。
胃にやさしく、お財布にもやさしい。
でも、オンリーそれのみ、では、栄養不足。
いろいろ、知ってこその、シンプル・テイスト。

・・・

不満や怨念に近いものは、読み続けると、絶対にマイナス。
これの良くないところは、無意識に毒が溜まることである。

ときどき、健康診断のようなものがあれば、わかりやすいが、
ブログ健康診断なんて、そんなアホっぽいもの、だれも、受けないだろう。

わたしも、雪と同じで、真っ白い気持ちで、ニュートラルになりたい。
と同時に、わたしの毒に冒されているかも知れない方には、すみません、と言いたい。

・・・

最近、とつぜん、目が見えるようになった。
これは、こころの目。
わたしだけの目。
なので、世間一般で通じるのかどうかは、疑問であるが。
ことん、と、落ちるかのごとく(表現が、ありきたり。既製品)。

今までの長年の疑問や、確信が持てないこと、腑に落ちないこと、そういうものが、どこかと、どこかでつながって、
自分なりの答えのようなものが見えてきた。
学生時代、英語の学習で、文法や読解力、など、教科書英語ばかり習ってうんざりしていたのが、
実際のリアルな実社会場面での英会話や生活で、習ってきた英語がつながった瞬間に似ている。
それまで死んでいた、テスト点数稼ぎだけの、苦しいだけの英語に、息を吹き込まれた、血が通った瞬間だ。
ただし、英会話の場合は、そこから新たなスタートだが。

ぱーっと視界が明るく開けてくるような感覚。
あ、そうだったんだ、と答えあわせをしているような。
今まで、調査やマーケティング、サンプルばかりを大量に闇雲に体当たりで体験、集計し、分析していったが、
一部分ではあるが、自分なりに体系立てられたようなかんじ。
これは、対象ジャンルが自分の好み、興味あることばかりなので、
あまり教科書にも見本がのっていなくて、自分でしか経験できないことである。

やっとこさ、「○○とは、○○である」という言い切りができるようになった。
これって、年を重ねて、偏見に拍車がかかっただけかも知れない。


まだまだ新しい分野がいっぱいあって、
驚きと感動は、これからもお楽しみとして、スタンバイしている。

いろんなことに興味を持ち、感性を磨くと、生きている間に楽しめることが増えていい。


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2014-02-13 | 日々のこと
わたしは、荒んだものは嫌いだ。
たとえば、他のブログで、ブログ自体は荒んでいなくても、それに寄せられるコメントが荒んでいると、うんざりする。

普通の人であっても、吐き出したいマイナスの本音とかがあるはず。
ちょっとしたキッカケで、誰かが、誰かの非を突っつきはじめると、よってたかって、自分も便乗して蹴っ飛ばしたりする。
一人ではなにも出来ない人に多いように思う。

荒んだブログを書くと、似たような人が集まる。
なので、わたしは、荒んだ内容は書かない。(偏見とイヤミは、あるが)
1000人の外野より、10人の、ほんとうに読んでくださる方のほうが、ずっといい。

自分を斬ると同時に他人まで斬ってしまっては、これは非常によろしくない。
なので、自分を救済すると同時に、他人も救済しようかと、そういう方向に持っていきたい。
しかし・・・斬って、なんぼ。
そもそもM気質であるわたし。
「痛い~、やめて~」と自分で泣いているほうが、気持ちよかったりもする。
自分を擁護すると、限りなく空高く舞い上がり、
鼻持ちならない、どころか、鼻は天国より高くなり、抑える術を知らない。
なので、頭を重い何かで、ぎゅっと抑えるぐらいが、ちょうどいい。

「偏見」と「上から目線」をいかにカモフラージュして、善人ぶるか、が、わたしの課題である。


・・・

話はころりと変って・・・


昨日、行きの電車の中でふと考えた。

小泉さんと、細川さん、彼氏にするなら、どっち?と。
わたしの年齢がバレそうな人選だが。

サロンでの食事やお茶、美術品の閲覧など、ゆったりまったり格調高いお付き合いは、断然、細川さん。
過激な発言や、おもしろいことを熱く語ったり、行動派で活動したりするのを、
目を細めながら、うんうん、と聞いて刺激を受けるのは、小泉さん。

友人には細川さん、彼氏なら、小泉さんかなあ、と。

そう娘に言ったら、
「政策なりなんなり、そういうのを知った上で比較したら?」
と、痛いところを突かれた。
夢のない子だなあ。

朝の電車は、こっくりこっくり、とても幸せ気分で、二人の男性の間で揺れ動いていた。
降りる駅を何度も間違えそうになったが、どうにかクリアーできて、よかったね、
と、まだ半分ぼや~っとしているものの、明るい気持ちでプラットホームに身を移した。


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2014-02-12 | ファッション
先日、お気に入り店の店長から、バーゲンのお誘い、営業電話が入った。
最大70%オフ。

この「最大」というところが曲者で、すべての商品が70%オフなわけではない。
それを「70%は大きいですよ~。良いものから売れていきます」と
甘い文句に誘われ、ふらふらと遠方にある店舗まで出向いた。

その日は、付いて来なくてもよいのに、
雪でゴルフがないために、いきなり濡れ落ち葉と化した家人が、ぺったり付いて来て、
のびのび、こころゆくまで、時間を気にせず店舗をくまなく・・・というわけには行かなかった。
時々、「まだか~?」というかんじで、店に何度か顔を出す。
「ご主人、いらっしゃってますよ~」と店員さんの笑顔。
あんなに邪魔と思うことはなかった。

「付いて来ても、おもしろくもなんともないよ。長いし」と念を押して警告しているのに。
「ビールでも飲んで時間をつぶしておくから、いい」と言っていたが、明らかにつぶし切れていない。

気が落ち着かない。
焦る中、必死で、すごい数の店中の服のなかから試着する候補を選ぶ。
特にお目当ては、パンツ。
これは、見ただけでは絶対にわからないので、どんどん、がんがん、試着室に次から次へと持ち込んで、はいていく。
その日、店長はお休みだったが、
わたしは、おなじみさん、行けば必ず何か買う、優良顧客なので、店員さんは放置してくれ、やりやすかった。

やたら、動きの早い、激しい客であるわたしを尻目に、店内にいた、あるお客さん(推定年齢60歳中ごろ)。
ぱらぱらと、積極的でもない動きで、どれにしようかな~と、ふわ~っと、ゆる~っと服を選んでいた。
わたしのセカセカ能動的な動きと、のて~っとした彼女の動きは、正反対ではあったが、
彼女とわたしは、同じ売り場で交差した。

こっちは必死で、なにがなんでも買うぞ!という意気込み。しかも制限時間つき。
あちらは、試着もしないで、上から羽織ってもみないで、買う気もないのかな~と、目の端っこに映る彼女を見ていたが、
わたしが悪戦苦闘している間に、彼女はレジで商品代金の支払いを済ませていた。

わたしが、ぽんっ、ぽんっと、獲れたばかりの土佐のまぐろ、一本釣りの大魚を放り込むように、
試着室から直行のレジカウンターに、一本ずつパンツを投げ置く。
それを見た彼女は、「どこが、悪いんですか?」と聞く。
「いえ、悪いんじゃなくて、買うんです」と、わたし。
べつに検品しているわけではないの、わたし。

購入しようとするパンツを見て、
「わあ、ステキやねえ。これ、すごくおしゃれ。こんなの、どこにありました?」
と彼女。
たんにお世辞で、世間話、時間つぶしで言っていると思っていたのだが、延々と、そのパンツを触って、
「こんなのが、いいわ」と言い出す。
わたしは、お譲りするつもりもなんにもないし、自分が買うつもりなので、
「あ、そうですか。これ、イタリア製です」と、めんどくさそうに付け加えておいた。(イヤミですね)

さらに時間制限に拍車がかかり、もうひとつのジャージーっぽいカジュアルな上着も、ぽいっとレジに追加した。
「わあ、・・・すごい、ステキな・・・どこにありました?」
「あ、これね。これもイタリア製です。シルエットがキレイなんです」

「上手に見つけられますねえ。どうやって見つけるんですか? そんなのがあるって、まったく、わからなかったわ。
わたし、主婦だし。家にはいっぱい服、あるんですよ(うんぬんかんぬん)」

主婦って、関係あるのかな~?と不思議に思ったが、
もう、視界の向こうに夫がいる。はやくしなければ。

いちいちめんどうくさい人だなあ、どうでもいいや、と、なかば、わたしは、やけっぱち。
「わたし、ここではいつもイタリア製を買ってます」と、大嘘、大見栄を言い放って
わたしは時間に押され、ふーふー言いながら、店を後にした。

家に帰ってようく見てみれば、イタリアの生地を使っているはずなのだが、日本製と書いてあった。
まあ、日本製ってことは、良品ってことだし、まあいいか。

嫌~な人ですね。わたしっていう人は。

・・・

彼女は、どんなものがいいのか、何を買っていいのか、自分でもよくわからなかったのだと思う。
傍らで、わたしが突進するイノシシのごとく、目指す服めがけて、すごい勢いで攻めていくので、
不思議に思ったのだろう。

自分の好みが確立されていると、候補の中から、体型にぴったり合うものを探し出すだけの作業になる。
時として、斬新な目新しいものや、光るものに出会えたりして、その意外性も楽しめる。
いつもいつも同じパターンでは、ファッション業界も売れ行きが下がり、客足が遠のく。
なので、作り手と買い手の、仕掛ける側と仕掛けられる側の、せめぎ合い。

目を肥やす。
街行く他人のファッションやショーウインドウにあるものを念入りにチェックする。
大勢の人々の集まるところでは、集計数が多く、サンプルの宝庫。
何を着ているか、どんなものを持っているか、年代別、層別に見る。
ただ単に、興味があるだけだ。
そして、わたしの場合、かなりのハイリスク・ハイリターンで、評価が分かれる。
絶賛される場合と、そんなものをよく身に着けるなあ、と、勇気だけを誉められる場合と(これは明らかにけなされているのだが)、
どこがいいのか、さっぱりわからない、と、ハッキリ明確に激しくこき下ろされる場合がある。

失敗を恐れず、わが道を行く。
この失敗は、他人に笑われる、という「恥さらし」部分が非常に大きく含まれている。
笑われることが最大の苦痛と感じられる人には、絶対にオススメできない。
そういう常識人は、常に、無難なものを身に着けるのが最適だろう。
できれば、無難だか、センスよく上質であれば言うことなし。
わたしの場合、最初の、「無難」という要素が欠け抜け落ちているので、
どんなに仮に上質であったとしても、見る人は、ユニークさに目が奪われ、上質さにまで目が行かない。

(試行錯誤の闘いの後、家には大量の失敗作、服の屍の山)

で、無難にしようとすると、自分自身、まったく気が抜けたビールかサイダーみたいな、魂の入っていないお人形のような、
そんな気になってしまう。(おおげさ比喩表現です)
で、結果、あざ笑われるリスクをいつも伴うことになる。
これは、自業自得なので、いたしかたない。

・・・結論としては、
今までの流れとはまったく違うが、
人はだれも自分のことなど見ていない。
自意識過剰なだけである。

なにを着ても、どおってことはない。


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祈り

2014-02-11 | わたし
世の中には、なんの欠点もない、どこの誰にも受けの良い、敵のいない人などいない。
なにかしら、悪いところがあり、受け入れられない部分がある。
人はバランスを取るために、ストレスの、はけ口がある。
たとえば、お酒だとか、買い物だとか、趣味だとか、そういうもので発散する。
無我の境地にさせるほど、夢中になれることをして、自分を解放させる。
ギャンブルやクスリ、お酒、など、中には病理に陥る危険性もはらむ。

ほとんどの人は、善も悪も持ち合わせている。
なので、完璧な善人というのは、うさんくさい。

外面がよい、100%の人が「良い人」と認めている人物であっても、
家の中では、弱いものいじめをするDV夫だったりする。

完璧に近い、良い人物という人は、たいがい、特定の宗教を信じているそうだ。
信心が、その人の悪の部分を救ってくれている。
信仰することで、苦しみや抑圧から解放されるのだろう。


ちなみに、

わたしにとってブログは、宗教である。
これって、とても大げさだが、こころが落ち着く。
祈りというものは、こころを落ち着かせるらしい。だから宗教は、人を救うらしい。


祈りの対象は、キリストでもブッダーでもない。
自分自身である。

自分のこころを整理し、もやもやを解消し、すっきりさせ、素の自分と向き合う。
悪も善も、全部含む自分を見つめる。
その上で、理想を見出し、憧れを語り、未来にも夢があると感じる。
それは、カウンセラーに相談することもなく、高名なお坊さんの門を叩くこともなく、
心療内科や精神科を訪れることもなく、
せいぜい、SNSの悩み相談をロムするぐらいで、こころを真っ直ぐに保つことができる。

ヨロヨロっとなっても、自分で、サポートする。
いいの、いいの、だめで、いいの。
あんたは、だめだけど、それでいいの。
そうやって、自分を甘やかせる。(わたしの周りでは、ブーイングの声が聞こえるが)
甘やかし続けて、半世紀。
砂糖で溶けそうな自分がいるが、その揺り戻し現象として、一方で、一刀両断の自分がいる。
甘い人間など、断固、許せない。

わたしが、こんなに甘くて、こんなに自己嫌悪を感じているのに。
そういうジレンマの真っ只中にいると、いっしょに他の人も斬ってしまう場合があるので、
お読みになる方は、「ああ、また始まった、スローのジレンマ遊覧中」とお察しください。

両極端のバランスよろよろ。
空高く舞い上がったり、絶壁から谷間に落ちたり。
これがまた、わたしにとっては、限りなく気持ちいい。
ただし、バンジージャンプには、命綱が必要。

・・・

最近、なんだか、見えなくてもいいものが見えるようになって(死後の世界や幽霊じゃありません)
いいような、悪いような。
どうせなにも出来ない非力なわたしなら、いっそ、見えないほうが楽。
見えているのに、なにもできない自分を認識するのは、結構辛い。
でも、それでもいいんじゃない?と認めるようにしよう、と、つい昨日あたりから思いはじめた。
何年も前から延々と、ブログに書いているではないの、とご指摘を受けそうだが、
書いても、本人は忘れるんです。
なにしろ、わたしにとっては、ブログは念仏、祈りなので、毎日祈っていてもいいのだ。



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無題

2014-02-10 | わたし
昨日の記事、Aさんご本人がご覧になっていたら、気分を害されたかも。
まず、「知人」という表現。
「友人」としたかったのだが、彼女がそう感じていないと困るので、無難な線で「知人」にした。

お互いの家も行き来したことがあるし、ご家族にも何度かお会いしたことがある。
なので、知人ではなく、わたしにとっては友人なのだが。
スパンが、おそろしく長い。
彼女は、勉強と仕事と家事で忙しいし、わたしもなにかと多忙なので、お会いするのは数年に1回。
近況は、年賀状。
電話もメールもほとんどしない。

わたしは、それで十分満足。
とてもコアな関係だと思っている。

べらべら長々としゃべるのは、会っているときだけ。
数年分を一気にしゃべる。
ずっとずっと、何回も何回も頻繁に会ったとしても、そう変らないと思う。
たとえ毎日、いっしょにランチしていたとしても。

10時間ドキュメントの録画を30分に編集したようなものか。

いつお会いしても元気で明るい彼女には、エネルギーやビタミンをいただいている。
「会ってないときは、元気じゃないのよ」などとおっしゃるが、
メリハリも大事だ。
応援するほうは、全然頑張らなくて良いので、楽々、さぼりっぱなし。
こうやって、年を重ねる、ストレスフリーのわたしだ。

・・・

ちなみに、まったく話は変り・・・


わたしの天敵は、マリー・アントワネット。
語り継がれているマリー・アントワネット像は、実在の人物とは離れ、
政治的、策略的に、作られたイメージも多いかと思うが。

「パンがなければ、ケーキを食べればいいのに」発言は、
ほんとうは、マリー・アントワネットの言葉ではなく別人のもの、という説もある。

わたしが、彼女的な(あくまでマリー・アントワネット本人ではない)性質が苦手なのは、
おそらく、わたしと近い部分があるからだろう。
楽天的で、わがまま。人の目を気にすることなく自由奔放。
それを堂々と自分から「わたしは、これこれ、こんなのよ」と肯定的に振舞っているところが、わたしのカンに障る。
隠すとまではいかなくても、人には不快に思われるかも知れないので、控えめにするとか、
あえて外には出さない、とか、なんらかのコントロールが欲しいと感じる。
制御されていない、というより、自分で気付いていないところが、嫌。

しかも、似たような人が集まり、わいわいやっている。
いわゆるお嬢様という人種である。

わたしはお嬢様が非常に苦手。
お嬢様だが、勉学に勤しみ、ちゃんと仕事を持ち自立している人は、OK。(ああ、上から目線)
煌びやかな、くるくるぱーのお嬢様軍団には、気配がするだけで、わたしは、ささっと伏し目がちに後退する。
「ママが、ね」と言って良いのは、小学生まで。
大人になったら、人前では「母」って言うのですよ。
どこかの、いけすかん、小言バアさんみたいになっている、わたし。

悪口を書いていると、自分自身の人格を貶めていることに気付く。
が、確信犯。
もともとたいした人格でもない。

わたしのバイブルである「負け犬の遠吠え」(2003年)の作者・坂井順子女史と、ちょうど目の仇でもある人物像だろう。
バイブルといっても、すでにその時は、人生の真ん中はとっくに過ぎていたが。
もう、いまさらコース変更も出来ない時点で、答えあわせのように読んで、
けっこう、ネタが豊富に詰まっていて楽しめた。
(古いハナシだ)

ガチガチの理系女子でもない、中途半端文系女子の、もっとも中途半端な対極である。
そこが面白い。
お嬢様でも、理系と文系をわたしは分けている。
理系は、お嬢様に位置づけていない。(たんなる偏見である)
お嬢様を脱している、クリアーして、上に昇格している、と勝手に思っている。
文系でも、ばりばりの文系女子もいて、社会でばりばりに活躍していると、それはそれで、また、お嬢様を脱している。
ばりばりではない文系女子、
つまり、超中途半端な、たいして有能でもなく、役にも立たない文系女子、(その典型は、わたし)
こういう人種が、お嬢様というカテゴリーだけをへんに恥ずかしげもなく強調して掲げていると、ハナにつくのである。

なので、その場合は、隠れお嬢様であることが望ましい。
「隠れ」どころか、「強調」は、痛々しくて目が当てられない。

・・・

まだまだ書きたいが、時間がきた。
今日のブログは、自己嫌悪。
しかし、これは、特定の人物を非難しているわけでは決してない。
イメージの好き嫌いを言ったまでだ。
オレンジが好きで、バイオレットは嫌い、みたいなものか。

ということで、突然ではあるが、結論もなく、終了します。
斬られて深い傷を負った、とお感じになられた方、
たんなる負け犬の遠吠えですので、スルーしてください。


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合格速報

2014-02-09 | 交友
知人のA女史。
社労士の資格に加えて、行政書士の資格試験に合格されたご様子。
喜びの合格報告メールをいただいた。

苦節何年か・・・?
けっこう、長い間、頑張っておられた。
とくに、社労士の仕事をしながら、行政書士の勉強をされていた時期は、何度も試験に落ちて、嘆いておられた。
もう、あきらめたころかな~と思っていた矢先、合格メール。
ご苦労様でした。

社労士は、40歳を過ぎてから、行政書士は、50歳を過ぎてから。
彼女は、専業主婦時代、近所のファミレスでアルバイトをしながら、専門学校の学費を蓄えた。
その時、下のお子さんは、まだ幼稚園ぐらい?
とにかく、頑張り屋さんである。

わたしとは、下のお子さんが生まれる前に、仕事で知り合った。
最初は、同じ外部ブレーンという立場だったが、その後、わたしは立場が変り、彼女に発注する側になった。
そして、会社を変ってからも、彼女にお手伝いしてもらった仕事の案件もある。

彼女は、ちゃんとお給料を運んでくれる、薄給ではない(想像です)ご主人がいて、やりくりに困っているわけではない。
が、彼女自身の収入の少なさが、夫に養われているような感覚にとらわれていたのではないかと思われる。
夫に不満を持ったとしても、平等にものが言えないと、感じたのかも知れない。
不満や、もやもやを、実践力、実行力、努力で昇華した。

ぶつくさ不平をたらたら言うだけなら、誰でもできる。
自分の理想や目標に向かって、あきらめずに努力し続けてこられたことには、ほんとうに頭が下がる。

わたしは、少しだけ彼女と似ているところがあるが、他のほとんどは、似ていない。
猪突猛進型なところは、似ている。
ただ、努力方面が、わたしの苦手分野となり、わたしにとっては、お勉強方面は、地獄の苦しみとなる。
受験勉強など、トライするだけで寿命を一気に30歳や40歳は下げることになるだろう。


下のお子さんが2歳か3歳ぐらいの時、お会いした場面を思い出す。
お子さんは、小さな手さげバッグに、電車のオモチャを入れて持ってきていた。
わたしたちが、喫茶店でオシャベリしていた間も、彼は大人しく電車のオモチャで遊んでいた。
あのベビーも、わたしより背が高くなり、もう高校生。
その期間に、彼女は、バイトをし、資格試験に向けて猛勉強。

・・・

わたしに話をしてくれる彼女であるが、わたしは聞く一方。
たいしたリアクションもない。
わたしは、退屈なわけでも、興味がないわけでもなく、ただただ、すごいな~と、うなずいている。
彼女には、のほほんの、わたしとは違う、刺激を受ける立派な先輩や知人の方々も、おられるらしい。
彼らからは向上への刺激を受け、情熱や、やる気をもらっているようだ。
わたしからは、・・・べつになにも受けるものはないだろう。
ただ、わたしが彼女を受け入れる、というかたちか。
少しわたしの方が年上で、人生ではちょっとだけ長く生きていることもある。


わたしは、それでいい。
頑張ってくれている人が、休憩できでばそれでいい。
もう、いっしょに、頑張るライバルではなく、わたしは、いつの間にか、応援する側になっている。
また、一息入れて、頑張ってもらいたいと思っている。


彼女は、これからの道もまた険しいだろう。
わたしだけでなく、お子さんたちも、彼女の頑張る姿を見て大きくなっている。
(子育てには、至れり尽くせりの母親ではないだろうけれど)
ご主人との、今後はどういう歩みになっていくのか。
ご主人がそろそろ定年を視野に入れる頃、彼女は、仕事に突進。
仕事エネルギーが、ご主人と交差する時点が来るだろう。

まあ、それはそれで、ご夫婦でやっていただければよろしいかと。
不満不平も、家庭内での役割も、年齢や、社会での立ち位置で変ってくることだろう。


だが、一説によると、へんに難易度だけが高くて、役に立たない資格だとも言われているようだ。
社会的にトップに鎮座する資格だとか、そうでないとか、そんなことは、この際、比較する意味がない。

せっかくの思いで取った資格も、(それは、どんなタイプの資格であったとしても)
その後、仕事がうまくいかない、さらに仕事自体を辞めるようなことになったとするなど、
現実の厚い壁にぶち当たったとしても、
達成感を味わった経験や、自信の土台を築いた事実は揺るがないだろう。
不屈の根性は養われていると思う。きっと困難に立ち向かえるのではないかと期待している。


いずれにしても、おめでとうと、わたしはエールを送っている。
といっても、短いメールを一通送っただけだが。

我々は、とても細くて、でも短くはない、切れそうで切れない、不思議なお付き合いである。



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自虐ネタ

2014-02-08 | ブログ
同じ感性の人というものは、いるものだ。
ある、別の趣味のSNS。
そこにわたしは、趣味の日記をたま~に書いているが、
そのSNSは、会員同士、日記に対してコメントのやりとりが盛んである。
コメントがあればあったで、いいのだが、そのコメント返しをしていると、蝶ブログを書く時間がなくなる。
時間がたっぷりあれば、両方できるのだが、時間制限がある場合、片方だけというのが、辛いところだ。
そのほかにも、用事がある時も、蝶ブログが書けない。
二日も続くと、いらいらする。これは、ブログ中毒症状。

で、その趣味SNS。
同じ感覚を持つ人がいて、非公開でメールを送ってきてくれた。
わたしは、その感想の一部に書かれていたことに対して、
一度も日記に書いたこともなければ、賛同も非難も、なにもしたことがない。
なのに、いきなりピンポイントで、特定のハンドル名を書いておられて、とても驚いた。


。。。で、ここからが、井戸端会議的、噂話や悪口、陰口の大好きな、おんなのオシャベリ。
陰湿的要素を含みますので、苦手な方はスルーしてください。

「あなたが、もし、○○さんのような日記を書かれると、違和感を覚えます」みたいなことが書かれていた。
一度たりとも、取り上げたことのない○○さんの名前をあげておられた。

その○○さんは、わたしとは違うタイプの人。
同じように楽天家ではあるのだが、なんというか、ちょっと違うのだ。
いつも、わたしの自虐ネタには、皆さんがコメントをお寄せくださるのだが、
○○さんは、「わたしは、あなたのようでなくて(わたしの卑下している、悩みの内容)よかったと、現状に感謝しています」
そういうコメントが多い。

例えば、内容は違うが「わたしには、お金もヒマも友人も、十分になくて、哀しいです」(あくまでも仮の例)
と、つぶやき内容の日記をアップしたとする。
すると、「わたしは、お金も時間も友人にも、十分に囲まれ満たされていて、毎日が楽しくて満足です。
あなたの日記を読んで、(あなたのように不幸でない)自分の幸せな状況に感謝しなければいけないと思いました」
というようなコメント。

わたしの、いじけた日記に対して、はじめて、その人からコメントをもらったときに、
「『パンがないから、ケーキを食べるわ』という状況ではないのが、哀しいです」
このようなかんじのコメントを返した。
(これまた、卑屈で、ひねて、ひんまがっているが)

彼女は、わたしとほぼ同世代で、初孫も、つい最近生まれたようだ。
いつも、ママと呼んでいる○○さんの母親に、家のことを任せておられるとかで、
自由に外出が出来る恵まれた状況。
天真爛漫な、マリーアントワネット的、お金持ちお嬢様のニオイ。
(このマリーアントワネット・イメージも、他者によって作為的に作られた像であろうけれど)

「自分がババなのに、ママって、あなた、いったい何歳?」
なんて、そんなこと、思ってはいけないが、思ってしまう、わたし。
その恵まれた○○さんに、『「じゃあ、ケーキ食べたらあ?」コメント』を時折いただいている。

べつにコメントをお寄せいただくのは、○○さんだけではないし、
○○さんも、しょっちゅうわたしの日記にコメントをくださるわけではないのだが、
「ありがとうございます。○○さんが、羨ましいです」という、コメントを返すこともある、わたし。
羨ましいのは、本音であるから、嘘ではないし、べつに、わたしは、ひんまがっていない。(はず)

そういうやりとりを見ての、メール内容だったのだろうか。
単に、わたしとは無関係に、別個に○○さんの日記をご覧になっての感想だったかも知れない。
いずれにしても、名指しで、指摘されたので、とても、どきっとした。
わたしの卑屈な思いが、行間からにょろにょろと、はみ出していたのに違いない。
ああ、やだやだ。

メールをくださった方は、わたしの日記が自虐的すぎて、時は苦しい気持ちになるそうだ。
そこまで追い詰めなくても・・・もうそれぐらいでいいのでは?と思ってしまうとか。
あれま、えらいこと。
わたし、自分以外の人も、同時に斬ってしまったのか。
またまた、前記事の「失敗」の再現か?

わたし、演出過剰なところがあるので、誤解を招くのかも。
ごめんなさいと、言いたい思いだ。

わたしが作り出した、べつのわたしが、一人歩きしているのだろうか。


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失敗

2014-02-06 | 日々のこと
わたしのブログは、ひとりツッコミ、ひとりボケ、自問自答、完結型。
本人は、気分スッキリ。
この文体に慣れていたが、ある日、個人にメールを送ったときに、過ちを犯した。
一刀両断、自分を斬る書き方で独り言、つぶやき風の箇所を入れたメールを書いたら、
読んだ方が、ものすごく動揺し、火を噴いた。

「あなたは、二つの顔がある。天使と悪魔だ」

なんと大げさな、と、わたしは、慄いた。

そんなすごいことを書いたっけ???

まったく思い当たる節がなく、とりあえずは、陳謝し、(これは、けっこう腑に落ちなかったが)
その後、送ったメールを一文一文、検証する作業に取り掛かった。

この段落は、こういう意味、次の段落は、ああいう意味、さらに、その次は、こんな意味・・・
だいたいは、文字通りの意味なんですけど・・・
みたいなかんじ。

わたしは、相手を怒らせるような要素は、まったく書いていないつもりだった。
が、くまなく、ひとつひとつ懇切丁寧にチェックした結果、どうやら、その魔の一文があぶりだされた。

「あまり頑張りすぎず、アンチエイジングも、ほどほどに」
こんなかんじの箇所。
自分が最近、自分や、年齢に関連して感じることで、もちろん、わたしは自分のことを言ったのだが。
(「ほどほどに」の後に、「したいとわたしは思います」が必要だったか?)
読んだ相手は、自分のことだと受け取ったらしい。
(「ほどほどに」の後に「してください」とご自分で付け足した様子)

烈火のごとく怒られてしまったわけだが、反省もした。
誤解を招く書き方を自分では自覚せず、知らず知らずにしてしまったのは、わたしだ。
書き方も反省の余地があるが、内容が、デリケートだったようだ。
お年寄りをへんに刺激してはいけない。
わたしはまだ、本格的な年寄りだと自分のことを思っていないので、気軽に表現しているが、
深刻なお年寄りにしてみると、さらっと笑えないようだ。(その人も、さほど超お年寄りではないが)


わたしのいつものブログの文章は、気をつけなければいけない、と思った。
メールの時は、いちいち念入りに考え、チェックし、送ることになった。
めんどくさくて、メールが遠のきそうにもなった。
というか、思いを書けないメールなど、たんなる事務伝達だ。
もともとメールは、そういうためのものであるが。

怒りスイッチが、意外なところに隠れていることを発見したわたしは、
当然ながら、そのスイッチを押さないよう、丁寧に扱うことになったが、ある意味、距離を置いた。
触らぬ神にタタリなし。

年を重ねた方のプライドたるや、すごいなあ、とも感じた。
尊敬するかといえば、めんどくさくなった。
わたしは、めんどくさいのが、苦手。
腫れものに触るかのごとく、ではあるが、文章を書くのは苦にならないので、
メールを書くときは、相手によって、言葉を選ばなければいけない、と、肝に銘じた。
(なんて、大げさな)
というか、そういう類のことは、むしろ得意だったりするので、じつのところ、なんの苦労もしていない。


ということは、わたしの文章は、じつに、軽いということだろう。
そりゃあそうだ、毎日毎日、ブログを、ちゃらちゃらと、たいして考えもせず、思いつくままに文字にして
アップしているのだから。

心のこもったことを書く場合もあるのだが、
ついつい、演出過剰になってしまう傾向にあり、自分でも困っている。
(という、この書き方自体が、すでに演出過剰)

ということで、文字による、ぺらぺらオシャベリも気をつけなければいけないということだ。
気を悪くされている方々も、大いにおられることだろう。


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