さらさら
2014-02-01 | 人生
なんでも、出来る間にやっておかなければ。
いつか出来るだろう、という、ほんのりした夢を抱くというのもいいが、
時期が来たら、行動に移さなければ、通り過ぎてしまう。
一生、夢に描くだけで満足な人は、それでいいだろう。
ひとそれぞれだ。
いつも、「ああしたい、こうしたい」と、口だけでちっとも行動に移さない人がいる。
その人は、口だけの夢のほうが楽だからだと思う。
実際に実行しようとすると、時間は作らなければいけないし、周囲の協力、段取りや、調整、お金の工面、
あれこれあれこれ、いっぱい、やらなければいけない。
ああ、めんどう。
アマタで空想しているだけのほうが、楽だし、その場で、内容も瞬時に変更したり取り消したりできるし、
ずっとずっと負担が少ない。
得るものも少ないが、どっちがいいかは、各、個人の好み、性格によるだろう。
いつでも出来る、なんて思っていると、一生出来ないまんまだが、
それはそれで、やんわりした、のんびりした、一生だ。
それこそ、ひとそれぞれ。
なにかの事情(物理的、仕事上、経済的、家庭的、身体的)で出来ないのか、
自分の気持ちが盛り上がらないから出来ないのか。
出来なくてもいいと、ハナから思っているからなのか。
別に出来なくてもいい。
やりたければ、やればいい。
それだけだ。
その人の一生は、その人のもの。
一生で多くの人と関わることにはなるだろうが、各自の一生は、各自のもの。
・・・
中でも、家族、親・配偶者・子供は、関わりが深い。
いくら、それぞれ、別個の人生といっても、切っても切れない。
ただし、配偶者は、切ることが可能。
日頃は、個々に活動、成り立っていても、
一致団結する場合もあるし、お互いが歯車になる場合もある。
いがみ合い、憎しみ合っているケースもある。
人の人生が、自分の人生に、めり込んでくる。覆いかぶさってくる。
自分の人生が、人の人生に、圧し掛かる。
お互い、助け合って生きているが、調整が難しい。
・・・
友人や仲間は、個々の人生同士、少し距離があり、うまいぐあいに関わると、負担が少なく良い効果を得られる。
が、家族は、濃厚。その分、絆も強い。
配偶者は変えられるが、親子は組み合わせをフレキシブルに変えることは出来ない。
最近は遺伝子検査で、親子でないことが発覚することもあるが、
普通に暮らしていたら、親子ではないのでは?と本気で感じないはず。
なぜ、真剣にDNA疑問を抱くのか? 検査を行うプロセスこそ、正常ではないと感じる。
実際に親子でないことが判明した場合、悪い結果ではあるものの、もやもやは解消されるだろうが、
親子であることが判明した場合、よけい、もやもやが増長して、悩みが深まる一方だと思われる。
・・・
が、あまり血に頼ると、おどろおどろしいことに、なりかねない。
血液は、さらさらのほうが、よい。
(さらさらには、玉ねぎが、いいそうだ)
・・・
なんの話だった?
あ、そうそう、「いつでも出来る」は、「いつまでも出来ない」の話。
ひとそれぞれという、話。
なんでもかんでも、ひとそれぞれ。
それじゃあ、話にならない。ポエム。
わたしは、めんどくさい場合、ひとそれぞれ、という。
反論があった場合、対処するのがめんどくさい。
「で、あなたは、そうなんですね。わたしは、こうなんです。あら、ひとそれぞれですね」
と、追及から逃げている。
人の意見や考えは、たたき台だと思っている。
人の考えに触れたとき、自分は、こう思う、反対、賛成、好感が持てる、好かん・・・などなどと、
自分の考えをまとめるための一種の下準備。
ゼロから考えると、ぴんと来ない場合、人の意見を参考にする。
なので、いろんな意見があって然り。
感銘、影響を受ける場合もある。
エネルギーの少ない人、多い人、ボルテージの低い人、高い人、
いろいろいるので、各自のお好みで調整して、(料理の塩加減と同じ)
それぞれに、やっていけばいい。
ただし、出来る間にやっておかないと、一生、出来ない。
いつか出来るだろう、という、ほんのりした夢を抱くというのもいいが、
時期が来たら、行動に移さなければ、通り過ぎてしまう。
一生、夢に描くだけで満足な人は、それでいいだろう。
ひとそれぞれだ。
いつも、「ああしたい、こうしたい」と、口だけでちっとも行動に移さない人がいる。
その人は、口だけの夢のほうが楽だからだと思う。
実際に実行しようとすると、時間は作らなければいけないし、周囲の協力、段取りや、調整、お金の工面、
あれこれあれこれ、いっぱい、やらなければいけない。
ああ、めんどう。
アマタで空想しているだけのほうが、楽だし、その場で、内容も瞬時に変更したり取り消したりできるし、
ずっとずっと負担が少ない。
得るものも少ないが、どっちがいいかは、各、個人の好み、性格によるだろう。
いつでも出来る、なんて思っていると、一生出来ないまんまだが、
それはそれで、やんわりした、のんびりした、一生だ。
それこそ、ひとそれぞれ。
なにかの事情(物理的、仕事上、経済的、家庭的、身体的)で出来ないのか、
自分の気持ちが盛り上がらないから出来ないのか。
出来なくてもいいと、ハナから思っているからなのか。
別に出来なくてもいい。
やりたければ、やればいい。
それだけだ。
その人の一生は、その人のもの。
一生で多くの人と関わることにはなるだろうが、各自の一生は、各自のもの。
・・・
中でも、家族、親・配偶者・子供は、関わりが深い。
いくら、それぞれ、別個の人生といっても、切っても切れない。
ただし、配偶者は、切ることが可能。
日頃は、個々に活動、成り立っていても、
一致団結する場合もあるし、お互いが歯車になる場合もある。
いがみ合い、憎しみ合っているケースもある。
人の人生が、自分の人生に、めり込んでくる。覆いかぶさってくる。
自分の人生が、人の人生に、圧し掛かる。
お互い、助け合って生きているが、調整が難しい。
・・・
友人や仲間は、個々の人生同士、少し距離があり、うまいぐあいに関わると、負担が少なく良い効果を得られる。
が、家族は、濃厚。その分、絆も強い。
配偶者は変えられるが、親子は組み合わせをフレキシブルに変えることは出来ない。
最近は遺伝子検査で、親子でないことが発覚することもあるが、
普通に暮らしていたら、親子ではないのでは?と本気で感じないはず。
なぜ、真剣にDNA疑問を抱くのか? 検査を行うプロセスこそ、正常ではないと感じる。
実際に親子でないことが判明した場合、悪い結果ではあるものの、もやもやは解消されるだろうが、
親子であることが判明した場合、よけい、もやもやが増長して、悩みが深まる一方だと思われる。
・・・
が、あまり血に頼ると、おどろおどろしいことに、なりかねない。
血液は、さらさらのほうが、よい。
(さらさらには、玉ねぎが、いいそうだ)
・・・
なんの話だった?
あ、そうそう、「いつでも出来る」は、「いつまでも出来ない」の話。
ひとそれぞれという、話。
なんでもかんでも、ひとそれぞれ。
それじゃあ、話にならない。ポエム。
わたしは、めんどくさい場合、ひとそれぞれ、という。
反論があった場合、対処するのがめんどくさい。
「で、あなたは、そうなんですね。わたしは、こうなんです。あら、ひとそれぞれですね」
と、追及から逃げている。
人の意見や考えは、たたき台だと思っている。
人の考えに触れたとき、自分は、こう思う、反対、賛成、好感が持てる、好かん・・・などなどと、
自分の考えをまとめるための一種の下準備。
ゼロから考えると、ぴんと来ない場合、人の意見を参考にする。
なので、いろんな意見があって然り。
感銘、影響を受ける場合もある。
エネルギーの少ない人、多い人、ボルテージの低い人、高い人、
いろいろいるので、各自のお好みで調整して、(料理の塩加減と同じ)
それぞれに、やっていけばいい。
ただし、出来る間にやっておかないと、一生、出来ない。