蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

2014-02-12 | ファッション
先日、お気に入り店の店長から、バーゲンのお誘い、営業電話が入った。
最大70%オフ。

この「最大」というところが曲者で、すべての商品が70%オフなわけではない。
それを「70%は大きいですよ~。良いものから売れていきます」と
甘い文句に誘われ、ふらふらと遠方にある店舗まで出向いた。

その日は、付いて来なくてもよいのに、
雪でゴルフがないために、いきなり濡れ落ち葉と化した家人が、ぺったり付いて来て、
のびのび、こころゆくまで、時間を気にせず店舗をくまなく・・・というわけには行かなかった。
時々、「まだか~?」というかんじで、店に何度か顔を出す。
「ご主人、いらっしゃってますよ~」と店員さんの笑顔。
あんなに邪魔と思うことはなかった。

「付いて来ても、おもしろくもなんともないよ。長いし」と念を押して警告しているのに。
「ビールでも飲んで時間をつぶしておくから、いい」と言っていたが、明らかにつぶし切れていない。

気が落ち着かない。
焦る中、必死で、すごい数の店中の服のなかから試着する候補を選ぶ。
特にお目当ては、パンツ。
これは、見ただけでは絶対にわからないので、どんどん、がんがん、試着室に次から次へと持ち込んで、はいていく。
その日、店長はお休みだったが、
わたしは、おなじみさん、行けば必ず何か買う、優良顧客なので、店員さんは放置してくれ、やりやすかった。

やたら、動きの早い、激しい客であるわたしを尻目に、店内にいた、あるお客さん(推定年齢60歳中ごろ)。
ぱらぱらと、積極的でもない動きで、どれにしようかな~と、ふわ~っと、ゆる~っと服を選んでいた。
わたしのセカセカ能動的な動きと、のて~っとした彼女の動きは、正反対ではあったが、
彼女とわたしは、同じ売り場で交差した。

こっちは必死で、なにがなんでも買うぞ!という意気込み。しかも制限時間つき。
あちらは、試着もしないで、上から羽織ってもみないで、買う気もないのかな~と、目の端っこに映る彼女を見ていたが、
わたしが悪戦苦闘している間に、彼女はレジで商品代金の支払いを済ませていた。

わたしが、ぽんっ、ぽんっと、獲れたばかりの土佐のまぐろ、一本釣りの大魚を放り込むように、
試着室から直行のレジカウンターに、一本ずつパンツを投げ置く。
それを見た彼女は、「どこが、悪いんですか?」と聞く。
「いえ、悪いんじゃなくて、買うんです」と、わたし。
べつに検品しているわけではないの、わたし。

購入しようとするパンツを見て、
「わあ、ステキやねえ。これ、すごくおしゃれ。こんなの、どこにありました?」
と彼女。
たんにお世辞で、世間話、時間つぶしで言っていると思っていたのだが、延々と、そのパンツを触って、
「こんなのが、いいわ」と言い出す。
わたしは、お譲りするつもりもなんにもないし、自分が買うつもりなので、
「あ、そうですか。これ、イタリア製です」と、めんどくさそうに付け加えておいた。(イヤミですね)

さらに時間制限に拍車がかかり、もうひとつのジャージーっぽいカジュアルな上着も、ぽいっとレジに追加した。
「わあ、・・・すごい、ステキな・・・どこにありました?」
「あ、これね。これもイタリア製です。シルエットがキレイなんです」

「上手に見つけられますねえ。どうやって見つけるんですか? そんなのがあるって、まったく、わからなかったわ。
わたし、主婦だし。家にはいっぱい服、あるんですよ(うんぬんかんぬん)」

主婦って、関係あるのかな~?と不思議に思ったが、
もう、視界の向こうに夫がいる。はやくしなければ。

いちいちめんどうくさい人だなあ、どうでもいいや、と、なかば、わたしは、やけっぱち。
「わたし、ここではいつもイタリア製を買ってます」と、大嘘、大見栄を言い放って
わたしは時間に押され、ふーふー言いながら、店を後にした。

家に帰ってようく見てみれば、イタリアの生地を使っているはずなのだが、日本製と書いてあった。
まあ、日本製ってことは、良品ってことだし、まあいいか。

嫌~な人ですね。わたしっていう人は。

・・・

彼女は、どんなものがいいのか、何を買っていいのか、自分でもよくわからなかったのだと思う。
傍らで、わたしが突進するイノシシのごとく、目指す服めがけて、すごい勢いで攻めていくので、
不思議に思ったのだろう。

自分の好みが確立されていると、候補の中から、体型にぴったり合うものを探し出すだけの作業になる。
時として、斬新な目新しいものや、光るものに出会えたりして、その意外性も楽しめる。
いつもいつも同じパターンでは、ファッション業界も売れ行きが下がり、客足が遠のく。
なので、作り手と買い手の、仕掛ける側と仕掛けられる側の、せめぎ合い。

目を肥やす。
街行く他人のファッションやショーウインドウにあるものを念入りにチェックする。
大勢の人々の集まるところでは、集計数が多く、サンプルの宝庫。
何を着ているか、どんなものを持っているか、年代別、層別に見る。
ただ単に、興味があるだけだ。
そして、わたしの場合、かなりのハイリスク・ハイリターンで、評価が分かれる。
絶賛される場合と、そんなものをよく身に着けるなあ、と、勇気だけを誉められる場合と(これは明らかにけなされているのだが)、
どこがいいのか、さっぱりわからない、と、ハッキリ明確に激しくこき下ろされる場合がある。

失敗を恐れず、わが道を行く。
この失敗は、他人に笑われる、という「恥さらし」部分が非常に大きく含まれている。
笑われることが最大の苦痛と感じられる人には、絶対にオススメできない。
そういう常識人は、常に、無難なものを身に着けるのが最適だろう。
できれば、無難だか、センスよく上質であれば言うことなし。
わたしの場合、最初の、「無難」という要素が欠け抜け落ちているので、
どんなに仮に上質であったとしても、見る人は、ユニークさに目が奪われ、上質さにまで目が行かない。

(試行錯誤の闘いの後、家には大量の失敗作、服の屍の山)

で、無難にしようとすると、自分自身、まったく気が抜けたビールかサイダーみたいな、魂の入っていないお人形のような、
そんな気になってしまう。(おおげさ比喩表現です)
で、結果、あざ笑われるリスクをいつも伴うことになる。
これは、自業自得なので、いたしかたない。

・・・結論としては、
今までの流れとはまったく違うが、
人はだれも自分のことなど見ていない。
自意識過剰なだけである。

なにを着ても、どおってことはない。


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